東京教区について

東京教区 草創期のあゆみ

 江戸終期、ペリー来航に伴い鎖国の終了、明治維新に時代が変わろうとするなか、1854(安政元)年に日米和親条約が締結した翌年、1855(安政2)年にアメリカ聖公会バージニア神学校を卒業した C. M. ウィリアムズ (Channing Moore Williams) およびJ. レギンズ (John Liggins)両師は、最初中国宣教師に任命され上海に上陸し伝道、その後1859(安政6)5月に最初の日本の地、長崎に上陸しました。開国後とはいえキリスト教禁制の法令は厳しく伝道は命がけの時代でした。健康を害したレギンズ師が帰国したのちウィリアムズ師はその後7年間困難のなか、日本語を学び祈祷書を日本語に翻訳するなど伝道の準備を重ね、1866年に一度アメリカに戻り、現在のニューヨーク教区の主教座聖ヨハネ教会にて10月に日本・中国伝道主教に按手され1869(明治2)年再び来日し大阪に滞在しました。新政府になってもキリスト教禁制の方針が緩まず(1868年浦上キリシタン弾圧など)、海外からのプレッシャーによりようやく1873(明治6)年キリシタン禁制の高札撤去 となり、これを機にウィリアムズ主教は日本伝道に集中すべく日本専任主教を希望され、容れられたのち12月に新首都東京に転居されました。

一方で、その3か月前の9月に、イギリスSPG (Society for the Propagation of the Gospel、英国福音宣教協会)からは、A. C. ショウ (Alexander Croft Shaw)師およびウィリアム・ボール・ライト(William Ball Wright) 師が横浜に到着、翌月三田に移動、ここから東京教区のあゆみが始まります。

 ウィリアムズ主教は日本聖公会樹立の構想を進めると共に、各地で伝道所・講義所を設け、教会堂を建て、施療所・病院施設を開き、1874(明治7)年築地に私塾(後の立教学院)を開講し、また邦人指導者の養成をすべく1877(明治10)年東京三一神学校を開校し、校長兼教授として学生と礼拝、寝食を共にし、生活を切り詰め私財をほとんど宣教のために用いられました。ショウ、ライト両師も最初は日本語学習に専念し、また東京在住の英米人信徒のため英語礼拝を奉仕、また英語教師をした。その後ライト師は東京では四谷に借家の講義所を設け、赤坂、青山、小日向等に英語教育のほか聖書やキリスト教倫理の講義などを持ち巡回伝道をされ、キリスト教の間接的宣教を行い、SPGミッションの神学校であった聖教社神学校をショウ師と設立し、東京三一神学校も含め神学教育に従事し人材の育成に努めました。

 ショウ師は、三田に移動後には慶應義塾の創立者福澤諭吉の子息らへの学習指導のため福澤宅に同居し、その後1876(明治9)年芝に転居、現在の聖アンデレ教会を建てこの芝の地に定住し生涯働かれました。聖アンデレ教会に集中し会衆を形成、その会衆からはのちの日本聖公会の指導者たちが多く生まれました。CMS (Church Mission Society, 英国聖公会宣教協会)からも東京には1874(明治7)J. パイパー(John Piper)師が来日、1878(明治11)年に築地に聖パウロ教会を創設、市内に説教所も開設しました。パイパー師は、聖書や祈祷文の翻訳にもウィリアムズ主教共々貢献されました。1879(明治12)年には最初の日本語祈祷書として『聖公会禱文』が出版され、また翌年1880(明治13)年にはプロテスタント諸教派の協力により日本語新約聖書が出版されました。

 こうして草創期が展開され、1887(明治20)年に日本聖公会の組織が成立、1893(明治26)年にウィリアムズ主教の後任にマキム(John McKim)師が、当時は江戸監督と呼ばれ、主教に聖別されました。マキム主教時代には日本聖公会の地方部区別が進められ、東京においては各地に教会を建て、学校教育にも従事、聖ルカ病院にも尽力をつくされました。1923(大正12)年の関東大震災で東京教区の多くの教会や施設が灰になりましたが、この時マキム主教がアメリカに打電した「神にある信仰のほか凡てを失えり」という言葉は今も語り継がれています。

 この大震災の年に、数十年前より望まれていた日本人監督(主教)として、東京教区創立と共に日本人としては初代の元田作之進主教が誕生します。

  その後戦時下には聖公会にも大きな苦難、受難がありましたが、これらの試練を乗り越えて東京教区の教会、学校、施設が今に至ります。現在それぞれの教会・施設は宣教の器として福音を宣べ伝えています。そして2023年に迎える東京教区成立100周年に向けて歩みを続けています。各教会・施設のあゆみが東京教区のあゆみでもあります。

それぞれの詳しいあゆみについては当HPの「教会・施設」をお読みください。

参考文献:あかしびとたち、日本聖公会歴史編集委員会編
日本聖公会宣教100年記念大会記録