退 任 ご 挨 拶

主教 植田仁太郎

 この度、日本聖公会の定めによる定年退職の時期より、半年ほど早く、教区主教を退任させていただくことになりました。昨年から二回ほど、会議中に倒れ、緊急入院する事態となり、みな様にご心配をおかけすることになってしまいました。検査の結果、決定的な病因は確定できないようですが、全般的には高血圧症と加齢による一過性の血栓が見られるようです。血圧を上げることがないようにするのが、第一の注意点のようです。血圧・血管のための数種の薬を服用しております。

  みな様にご迷惑をおかけすることになった二度の入院と静養の間に、主教職が負うべき身体的・精神的持久力と集中力が大幅に欠けてきてしまったことを、大変恐ろしいことであると自覚するに至りました。年初以来、近くで私の仕事を補ってきて下さった方々も、同じ観察をしていらっしゃるでしょう。後任教区主教が着座されるまで、みな様には、いずれにしてもご迷惑をおかけすることになりますが、しばらく、管理主教の任をお引き受け下さる廣田北関東教区主教のもとで、通常の教区・教会の営みを続けていただきたく望み、また祈るものです。
  これまで、教区主教在任中お寄せ下さったみな様のお支えとお祈りに深く感謝申し上げます。主教職をになう者として誠に不充分な私を許し、励まし、ご理解下さった方々みな様に御礼申し上げます。

  退任後の新たな生活を整え、健康への心配が減じました暁には、再び日本聖公会の一隅で、何かお手伝いできることがあれば、と念じております。教区・教会でのみな様の変わらぬご奉仕に感謝しつつ…、また私をお用い下さった神さまへの深い悔改めと感謝をもって…。

「変わらないもの」にこそ

主教 植田仁太郎

 2009年をふり返って、多くのマスメディアが、内外の流行のことばとなったのは、「チェンジ」ということであったと、時代の風潮を指摘していた。
  アメリカのオバマ大統領が掲げた標語として始り、日本の総選挙を通じて民主党政権が誕生して、チェンジが現実のものとなったような気にさせられた。アメリカでも日本でも、チェンジに期待したことは、そう簡単に変わらないという失望感が感じられていることも確かである。
  それでも、前政権のもとで当然とされてきた、特に利権や特権を得てきた人々にとっては、変りっこない、と思っていたことが変ってしまうことに、多くの戸惑いがあっただろう。
  気候温暖化についての大きな国際会議の開かれた、デンマークのコペンハーゲンという町は、自動車中心の考え方から、自転車中心の町づくりに変ったと、ずい分報道されていた。世界の自動車産業界は、石油・ガソリンに代るものを動力源とするクルマの開発に必死になっているという。
より公平な、一部の人間だけがトクをするのではない社会へと、社会が変ってゆく、社会を変えてゆくのは、大切なことである、後戻りのできない資源や環境を守ってゆく社会と人間生活へと変えてゆくことも大切なことである。
  そういう中で、教会は、どのような時代にあっても変らない価値と変らない真実を語り続ける。世界と人間は、神さまの支配のもとにあるという謙虚さを常に持ちなさいと。2010年を、変らないものにこそ注目する年としてゆきたい。

クリスマスの指し示すもの

主教 植田仁太郎

 毎年この時期に、キリスト者としてくり返し言わなければならないことがある。それは、クリスマスというものが、余りに世俗化してしまった(宗教や信仰と無関係に祝われている現象)故に、その真実を、語ることが大変難しいということである。聖書に記され、残されている、イエス・キリストの誕生物語さえ、イエス・キリスト誕生そのものの意義を充分に表現しているとは言えない。

 ただし、イエス・キリストの誕生という事実が無ければ、誕生物語も語り継がれなかったし、聖書も書き残されることもなかった。そこに、クリスマスの真実性があるようである。イエス・キリストの出現という歴史上の一点がなければ、キリスト教という宗教やそれから派生した広大なキリスト教文化や、その周辺の世俗化したクリスマスも無かっただろうという認識こそ大切であるように思われる。

 そのキリスト教文化の一部に、いわゆる西暦、AD・BCという年の数え方がある。イエス・キリストの出現を起点として、その前と後とに時の流れを分けて、年を数えることにしたあの考え方である。(実際には、キリスト誕生の年の数え方のミスが後で判明して、誕生の年はBC4年とされた。) それでも、誕生を起点として前後に歴史を考えるという、その原則は貫かれた。

 これを単なるたまたま広く通用するようになった便宜上の年の数え方だ、と一蹴してしまうこともできる。しかし、私は信仰者として、そのようにたまたま広く採用されることになった慣例のうちに、世界と歴史と人間の中心を、はからずも私たちに指し示す、そういう真実を見ている思いに駆られるのである。

歴史の重み

主教 植田仁太郎

先月、この欄で、私たちの日本聖公会という教会は、宣教開始から150周年を迎えた、と書いた。
 教会が与えられている使命を果たすために、また教会という信仰者の共同体がこの世の中で存続してゆくために、150年間、多くの苦労と犠牲が捧げられてきたであろうことは間違いない。教会のために、いのちをかけた人々も数多く居た。それはそれで実に尊い。しかし、それは、その人々の決意と決断が、苦労と犠牲を敢えていとわなかった、その行為の歴史である。
 このような歴史を語ろうと思って、多磨全生園(たまぜんしょうえん)(元ハンセン病患者さんの療養施設)内の礼拝堂での礼拝に臨んだ。その数日前、この年が、全生園という施設が作られてちょうど100年目だということを知った。さらにその数日前頃、100周年の記念式典が行われ、厚生労働大臣の謝罪文が読み上げられたという、小さな新聞記事があった。
 それを知った時、自分たちの教会の歴史を、強制と差別と偏見の中で、みずからの人生を奪われてきた、(私たちもそのことに加担したのだが)――そういう人々に語って何になろうと、痛感した。その人々の歴史は、いわばみずからの決断と選択の結果の歴史ではなくて、たまたま当時不治の病いとされた病いに冒されたというだけで、強制的に(国家権力と社会の世論の力で)みずからの人生を放棄させられた歴史である。
 様々な歴史の憶え方があろう。しかし、ただ何周年というその重みには、大きな違いがあるように思えてならない。
 今年は、安重根(あんじゅんぐん)の、伊藤博文の暗殺から100年目だそうだ。韓国独立運動の英雄として憶えられている。ところで韓国では、暗殺ではなく「銃殺」した人物とされている。この歴史の重さを、多くの日本人は知らない。

1 5 0 年 の 歴 史

主教 植田仁太郎

 イギリス国教会の流れをくむ、私たちの日本聖公会という教会は、今年、宣教開始(最初の宣教師の日本上陸)から150年目を迎えた。つい先日、記念の礼拝を、聖職・信徒2500人以上が集まって、ささげることができた  
  16世紀にカトリックの宣教師たちによって伝えられ、一度はこの国に根付いたかに見えた、教会が、迫害と鎖国の歴史の中で立ち消え、ようやく、再び宣教師たちの努力によって、存在することになった。遠くパレスチナと地中海世界で生まれ、ヨーロッパ、ロシア、アメリカなどで成長することになった、ひとつの“精神世界”とも言える宗教が、この地にもたらされ、「信徒」である私たちが、その精神世界に生きるようになったということは、どんなに私たちが少数であるにせよ、ひとつの奇跡のように思えてならない。
  そして、キリスト教という精神世界が、この国の社会にもたらしたものは、信徒の数こそ未だに大きなものではないが、決して無視できないものであろう。端的に言って、キリスト教は、この国の教育と社会福祉の分野で、パイオニアであった事実は消すことができない、
  同時に、その精神世界は、時代の限界も反映していた。植民地主義や、軍隊による他民族への暴力に、絶対的に反対する基盤を持つことができなかった。
  150年の歴史を思い返すとき、本来、私たちの獲得した精神世界から、生み出すべきであった価値や、またそれに基づく行動が、できなかったと思われることのみ、多かったと思わざるを得ない。これからは、その精神世界から新たな価値と視点を生み出す努力をしてゆきたいと思う。

「裁く」 と 「赦す」 -その2-

主教 植田仁太郎

 朝日新聞7月8日号に、オピニオンとして一面全部を使って「犯罪とゆるし」という対談が掲載されていた。

 その対談の中心になったのは、アメリカで独特のキリスト教共同体生活をしている人々の「ゆるし」の実際である。06年10月に、アーミッシュ学校銃撃事件というのが起ったそうだ。そこでアーミッシュの子ども5人が殺され、さらに5人が重傷を負ったという。犯人はその場で自殺してしまった。アーミッシュの人々は、近代以前の生活形態をかたくなに保ち、電気や自動車などを全く使わず、自給自足の共同体をアメリカ各地で守り続けている。

 その子どもたちが多数犠牲になるという悲惨な事件であった。それに対するアーミッシュの人々の対応が注目されることになった。事件当日のその晩から、何人ものアーミッシュの人々が、自殺してしまった犯人の家を訪ね、自分たちはその殺人者を「赦す」と告げていったそうだ。そして、その死んでしまった殺人犯の葬儀にも、何人ものアーミッシュの人々が参列したという。けれども、彼らは、もし犯人が生きていたら、もちろん赦すけれどもちゃんと刑務所にはゆくべきだと語ったそうである。

 つまり、被害者が加害者を赦すという気持ちと行為は、司法制度の下で加害の責任を取ることとは全く別のことだと考えられている。信仰者、キリスト者は、このアーミッシュの人々のような「赦す」勇気と恵みを与えられていると思う。

 しかし、それと司法制度は別のものであって、制度の良し悪しは絶えず問われなければならないが、それは、「赦し」の心と相反するものではない。

「裁く」 と 「赦す」 -その1-

主教 植田仁太郎

 裁判員制度が施行されるようになって、信仰者の対応が論じられている。色々な面を論じなければならないが、ひとことだけ、カトリック教会の岡田大司教が語ったと報じられる、「裁くということは信仰者になじまない」という理解にコメントしておきたい。
  裁判という司法制度を、一群の専門家(検事や判事や弁護士)に委託しておくか、今回の制度のように一般市民にも参加してもらうように改めるか、まだ議論は続くだろう。しかし、ここで市民に求められているのは専門家とともに、反社会的行為や非人間的行為(いわゆる犯罪)を認定し、その行為者に社会的責任を取ってもらうことを決定することである。その行為者を、神の前に断罪しようというのではない。
  またキリスト者は常に「赦す」ことを教えられているから、裁きに加担しない方が良いという論を展開する人も居る。しかし、イエス・キリストが「七を七十倍するまで赦しなさい」と教えられたのは、物的、身体的、精神的に被害をこうむった人に対して、その加害者を赦しなさいと教えているのであって、世間一般に暴力・横暴が横行しても、放っておきなさいと教えているわけではない。また被害者でもない第三者が、加害者の悪業を放っておいて、偉そうに被害者に対して「赦してあげなさい」などと言うことほど、ひどい話はない。
  キリスト者は人を「裁く」ことに加担したくないかも知れないが、この社会に司法制度は必要である。キリスト者にとって「赦す」心は大切であるが、それはこの世の悪を放置することを容認することではない。

味方にがんばってほしい

主教 植田仁太郎

 ある社会学者の分析によると、今日の日本の社会では、「宗教」や「信仰」は、何かしら危ないもの、あまりかかわり合わない方が良いものと、一般的に見られているそうです。例のオウム真理教による恐ろしい事件や、怪し気なカルト宗教への勧誘活動が、しばしばニュースになるからでしょうか。
  けれども、私たちは、私たち自身がそう努めているように、信仰をとおして、人間と世界と、そして生と死とにまじめに向き合おうとしている仲間が沢山居るし、そういう宗教も沢山あることも知っています。
  最近出版された岩波新書「寺よ、変われ」の主張には、キリスト者である私も、拍手したい気持ちになります。あるお寺の住職が、すべてのお寺が、人間と社会のあらゆる「苦」と取り組めば、この社会は変わると訴えておられます。この本によれば、日本には8万を越える数のお寺があり、その数は、全国のコンビニ店の数の2倍だそうです。そして、20万人にも及ぶお坊さんが居られるそうです。
  ずっと、この社会の少数者としての歩みを運命付けられているような、キリスト者の眼には、うらやましいような巨大なネットワークです。私はかねがね、何千万人もの人々が初詣に出かける、その神社、あるいはひとつのお寺でも、みなさんの献げるおさい銭の1割を「ホームレスの人や難民の人々のために使います」と言ってくれたら、世の中と人々の意識を変える力になるのになァと思っています。
  今、異なった宗教間の対話や協力が色々なレベルで行われていて、共同して、世界や人間の諸問題に取り組もうとしているのは喜ばしいことです。
  イエス・キリストも弟子たちに教えられました。「あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」

インフルエンザ騒ぎの中で

主教 植田仁太郎

 5月始めの、新型インフルエンザの発症報道以来、日本中が大騒ぎになった感がある。私の関係している諸学校では、どこでも、その対応に苦慮している。日本国内で最初に発症が疑われた高校生の属する高校の校長先生は、まるでマスコミから悪者扱いされているようで、実に気の毒な感じがした。いわれのない責任を追及されているようなのは、どこかおかしい気がする。
  そして、その追求をあらかじめ避けようとしたのか、もう駅に集合していた修学旅行の生徒たちも、旅行を中止させられたということもあった。幸い、症状も軽く、大流行にも今のところならなかったのであるが、そして、関係者の涙ぐましい対応には敬意を払うのだが、ある病気が発生し、伝染してしまう、という事態は、そもそも誰かの責任(・・)なのだろうか、という疑問が残る。もちろん、いのちにかかわる病気が発生しない方が良いし、伝染もない方が良いに決まっている。
  しかし、人間の世界と、人間の生命体に生じることが、本来すべて人間の手によってコントロールできなければならない、という考えがこの大騒ぎの根底にあるのだとしたら、――どうもそういう傾向が見え隠れするのだが――それは恐ろしいことである。
  人間は、天変地異も、社会現象も、生命の現象もコントロールできない。信仰者は、そのような謙虚さを常に抱きつつ、なお、人間として最善の努力によって、生命と人間性を脅かす事態に、立ち向かうだけなのだろう。誰かの責任だ、と犯人捜しをする必要はない。

パレスチナの友人達

主教 植田仁太郎

 パレスチナとは、イスラエルとパレスチナ人の紛争が続いている、あの地域を指す。イスラエルという地名は、聖書を通じて馴染み深いが、「イスラエル」という国家が地図上に現れることは、1948年までは、2000年以上無かったことである。
 私たち、聖公会東京教区では、数年前からパレスチナ人のクリスチャン、特にあの地の聖公会の教会との交流を深めている。パレスチナ人は、他のアラブ諸国の人々と同様、みんなイスラム教徒だと思われがちだが、それは大きな誤解である。パレスチナ人のクリスチャン達の出自をたどれば、新約聖書に言及されている最初のクリスチャン達のグループに至ることだろう。
  去る 4月の末に、ひとりのパレスチナ人司祭と、クリスチャンではないが、ひとりのユダヤ人の平和運動に携わる方をお招きした。お二人は、民族としては、「追い出された側」(パレスチナ人)と「追い出した側」(ユダヤ人)と立場は真向から対立するが、すでにイスラエル国家が成立してしまったからには、両者が平和的に共存する方法を打ち樹てるしかない、という現実論を共有しておられる。そしてお二人とも、イスラエル国家が、パレスチナ人の地域として(国連によって)認められている地域を「占領」しているという事態を、まず絶対にやめなければならないと、強く主張される。国際的にも、批難されるべきはイスラエル政府であって、絶望的な抵抗を試みるパレスチナ人ではない、という見解でも一致しておられる。
 パレスチナのクリスチャン達が、この司祭のように、平和を作り出し和解の務めに徹底しようとしている姿には、頭が下がる思いであり、本当に祈りを共にしたいと思う。