主教教書(4) 新型コロナウイルス感染症対応のお願い

2020年3月4

主教 フランシスコ・ザビエル 髙橋 宏幸

 

+ 主の平安をお祈り申し上げます

先般、2月26日に「新型コロナウイルス感染症対応へのお願い」を発信致しました。 その中で、政府の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」の2月24日付見解に基 づき、少なくとも3月11日までは緊急議題や課題がある場合、業務を滞らせないために 集まらざるを得ない場合を除き、委員会・研修会・その他の会合の開催を自粛の方向で検 討されますようお伝え致しました。 しかしながら、依然として世界的に新型コロナウイルス感染が広まっており、未だ見え ていない感染連鎖は日本中どこで起きていても不思議ではなく、対策を徹底することがさ らに強く言われております。

常置委員会、教区事務所主事会議、教会グループ幹事教会牧師とも相談の上で、以下の ことをお伝え致します。

教会や礼拝堂に人が集まることに因る感染や拡大のリスク以上に、東京という過度の人 口密集度、接触頻度の高さなどに因る感染リスクの高さに加え、公共交通機関等の利用に よる人の移動が一層感染リスクや拡散リスクを高めるとの懸念は拭えません。 また、これまでの文書ではマスク着用、アルコール消毒の励行を呼びかけましたが、そ れらが極めて購入、設置困難な現在、礼拝出席者を守る術も縮小しています。 そこで、教役者や信徒の皆さまはじめ、人々の「命を守るために」を最優先とすること、 教会の社会における責任を果たすことなどの観点から、

1 3月8日(大斎節第二主日)~29日(大斎節第五主日)まで礼拝(公祷)を休止する

2 葬儀に関しては、十分な感染予防対策の上で執り行う

3 第136(定期)教区会を延期する(別途、詳細をお送り致します) ことと致します。

 

それに伴い、諸会合に付きまして、前文書では 3 11 日を目途と記しましたが、更な る事態の深刻化ゆえに、引き続き一層の開催自粛の方向での対応をお願い致します。 前回文書発信以降、今日まで、日本全国での感染者数は100人近い増加を見ています。 苦渋の決断ではありますが、前述のように何よりも「命を守るために」ご理解とご協力を切 にお願い申し上げます。

 なお、その間は、祈祷書の「朝の礼拝」「朝の祈り」「聖書日課」などを用いて、神様との交わりの時、祈りの時を持たれることをお勧め致します。自宅で祈られることも命を守り合うことに通じます。 また、祈りと信仰の営みを支えるために、聖アンデレ主教座聖堂ホームページを通して 「自宅で行なう主日礼拝」をはじめとして、情報の提供を計画してまいります。 これまでにない形でもありますが、共に祈り合うことによる連帯や信頼の中に主がおら れることを強く信じます。

なお、今後の公的機関からの情報や推移を注目しながら、さらにメッセージを発信して まいります。重ねまして、皆さまのご理解とご協力を切にお願い申し上げます。

尊い命を失った方々の魂の平安、感染した方々の回復と医療従事者のお働き、感染の収 束を切にお祈り致します

【新型コロナウイルス感染症患者のため・医療看護に携わっている方がたのため】

「世の救い主よ、主は十字架の苦しみによってわたしたちを贖われました。どうか、わたしたち、ことにこの度の新型コロナウイルス感染症の苦しみ、不安の内にある人々を救い、癒しのみ手を差し伸べてください。また、医療と看護に携わる人びとの働きを助け導き、み力をもってその人びとを守り、励ましてください。主イエス・キリストによってお願いいたします アーメン」

【新型コロナウイルス感染症によって亡くなられた方々のため】

「永遠にいます全能の神よ、新型コロナウイルス感染症によって尊い命を失った方々の 魂をすべての重荷から解放し、主の聖徒とともに永遠のみ国で安らかに憩わせてください。また、悲しみの中にある方がたに主の慰めが与えられますように、命の贖い主であられる主イエス・キリストによってお願いいたします アーメン」

「主よ、世を去った人びとの魂が、主の憐れみによって安らかに憩うことができますように アーメン」

 

主教教書(3) 新型コロナウイルス感染症対応のお願い

2020年2月26

主教 フランシスコ・ザビエル 髙橋 宏幸

 依然として世界的に新型コロナウイルス感染が広まっています中、現在、日本ではようや く人から人への感染連鎖が見え始めている段階であり、まだ見えていない感染連鎖は日本全国どこで起きていても不思議ではなく、対策を徹底することが必要と思われます。 大規模イベントの中止などが全国で検討されていますが、それぞれにどのようなリスクがあるかの冷静な判断が求められます。リスクの高い会合とは、対面で互いに手を伸ばしたら 届く距離での会話などが一定時間以上続くものと言われています。
 現時点では未だ先が見えず、不安材料が多くある中、緊急議題や課題がある場合、業務を滞らせないためにどうしても集まらざるを得ない場合を除き、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の意見に基づき、当面少なくとも今後2週間(少なくとも 3 月11日まで)は 委員会・研修会・その他の会合の開催を自粛の方向で検討されますようお伝えいたします。
 
 尚、既にお伝えしておりますが、
1 飛沫感染予防・ウイルス拡散を防ぐためマスクの着用、こまめな手洗いや握手による接触は避けるなどの心がけをお願いいたします
2 聖堂や会館等の入口に手指消毒用のアルコール設置をお願いいたします
3 体調不良の場合は、無理をせず聖餐式等、諸礼拝への参加自粛をお願いいたします
4 咳、発熱、呼吸困難の場合や、37 度以上の発熱など風邪の症状がある時は当面の間、聖餐式等、諸礼拝への出席はお控え下さるよ
うお願いいたします
5 教役者に体調不良や、発熱などが生じた場合には、聖餐式執行を自粛するようお願いいたします なお、その際には「み言葉の礼拝
」等、信徒の方がたによる礼拝を守られる ようご考慮ください。その際には急なことであり、教話はなくても構いません
 
 日頃の予防対策はもとより、体調不良や体力の低下を感じられる際、また長時間の交通機 関使用の際には、この度の感染拡大に対して不安を感じていらっしゃる方々も含め、決して無理をされずに、時を同じくして自宅で祈られることも命を守り合うことに通じますので留意ください。
 また、同感染症をめぐり、不確かな情報に基づいていたずらに不安を煽るようなことや、海外渡航者や他国籍の方がたへの偏見、差別が乗じることのないよう留意ください。
 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議等より以下のこと(抜粋)が発表されましたので以下に記載いたします。対応の際の参考にしてください。
 
1 国内の感染が急速に拡大しかねない状況にあり、これから1~2週間が急速な拡大に 進むか、収束できるかの瀬戸際となる
2 風邪や発熱などの軽い症状が出た場合には外出をせず、自宅療養を勧める
3 今後とるべき対策の最大の目標は感染拡大のスピードを抑制し、可能な限り重症者の 発生と死亡を減らすことである
4 症状のない人も、それぞれが一日の行動パターンを見直し、リモートワーク、オンラ イン会議などのできうる限りの工夫を勧める
5 新型コロナウイルスは軽症者や症状のない人でも他の人に感染させる可能性があ り、同ウイルスでは鼻風邪程度の症状であって
も、決して外出や出勤をせずに自宅待機をしてもらう必要がある
6 感染者の家族など感染している可能性のある人についてもできるだけ自宅待機をしてもらうことが望ましい
7 これには寝込まなくてもすむような軽症の人も含まれるので、自宅で仕事をすることは可能である
 
 また、教区事務所が所在する港区では、次のような基準が出されました
1 感染拡大のリスクを考慮し、
 「不特定多数の人、特に高齢者が参加する会合」
 「屋内で開催される会合」
 「屋内の部屋の規模や換気の状況にもよるが、概ね 100 人が集まる会合」
 上記三項目全てに該当するイベントについては、安全が確保できる時期に改めて実施する延期措置をとることを原則とし、やむを得
ない場合は中止とする
2 上記基準に当てはまるイベントであっても、全参加者が20歳未満である場合は、新型コロナウイルス感染症の20歳未満の患者報告
例が少ないことを踏まえ、イベントを実施することがある
3 上記基準に当てはまらない会合であっても、重症化リスクが高いとされる高齢者が換気の効かない場所に密集するなど、参加者や
会場の状況等を考慮し、イベントを延期または中止することがある
4 予定どおり実施するイベントについては、次の感染防止対策を徹底する手指消毒剤を会場の入口やトイレ等に設置し、使用を呼び
かける掲示を行うトイレのハンドドライヤー稼働を中止し、ペーパータオルとゴミ箱を配置
5 発熱など体調不良の方は参加を控える
 
引き続き、尊い命を失った方々の魂の平安、感染した方々の回復と医療従事者のお働き、感染の収束を切にお祈り致します

主教教書(2) 新型コロナウイルス感染症への対応について

2020年2月21日

主教 フランシスコ・ザビエル 髙橋 宏幸

 先般、2月6日付で教書をお送りしましたが、その後も世界的に感染は衰えを見せることなく、感染された方がた、亡くなられた方がたの増加も報じられ、ますます警戒が強められています。学校に対しては感染防止のための休校や学年閉鎖が必要に応じて要請され、各種イベントやスポーツ種目の中止なども生じております。
 同感染症をめぐり、不確かな情報に基づいていたずらに不安を煽るようなことや、海外渡航者や他国籍の方がたへの偏見、差別が乗じることのないよう心してください。
感染予防への備えは不特定多数の方が集まる教会に於きましても極めて重要なことですので、先日の「新型ウイルス感染症への注意喚起」に加え、再度以下のことを周知されたくお伝えし致しますので、当面の間よろしくお願い申し上げます。
 つきましては、教会内外の人びとの健康を祈り、より良い行動をとられるようお願い申し上げます。
新型コロナウイルス(COVID-19)は、飛沫感染と接触感染が主な感染経路であることが判明していますので、
1 司式者や聖体に触れる方がたは、手を洗い除菌して清潔に保つこと
2 感染を避けるため、「平和の挨拶」では握手は避け、会釈に留めること
3 チャリスから複数が陪餐を受ける方法や、多くの陪餐者がチャリスに手を入れる形でのインティンクションは避け、補式者等がパテン/シボリウムを持ち、分餐者がパンにワインをわずかにつけて陪餐者の手に置くこと
4 分餐者が、陪餐者の手にあるパンを取りワインに浸すことも避けたほうがよいこと
5 陪餐者の口に分餐者が手を触れたり、近づけたりすることは避けたほうがよいこと
6 場合によっては、パンのみの分餐も可とすること
という形での励行と対応を当面の間お願い致します
今後も推移を見守りますが、行政から集会自粛要請があった場合はそれに従い、対応を定めてまいります
尊い命を失った方々の魂の平安、感染した方々の回復と医療従事者のお働き、感染の収束を切にお祈り致します

主教教書(1) 新型コロナウイルス感染症に伴う注意喚起

2020年2月6日

主教 フランシスコ・ザビエル 髙橋 宏幸

新型コロナウイルスによる感染症発生が報じられ、国内でも感染事例が公表されています。
同感染症をめぐり、不確かな情報に基づいて、いたずらに不安をあおるようなことは避けなければなりませんが、感染予防への備えは不特定多数の方が集まる教会に於きましては不必要とは思えません。
つきましては、教会内外の人びとの健康を祈り、より良い行動をとられるよう、当面の間、以下のことを心に留めてくださるようお願い申し上げます。

1 飛沫感染予防・ウイルス拡散を防ぐためマスクの着用と、こまめな手洗いの心がけをお願いいたします
聖堂や会館等の入口に手指消毒用のアルコール設置をお願いいたします
2 体調不良の場合は、無理をせず聖餐式への参加自粛をお願いいたしします
咳、発熱、呼吸困難の場合や、37度以上の発熱など、風邪の症状がある時は当面の間、
聖餐式への出席はお控え下さるようお願いいたします
3 聖水盤のある教会では、使用を控えるようお願いいたします
4 聖餐式中のマスク着用は構いません また、聖書朗読者やアコライトなどの礼拝奉仕に携わる方がたも同様、マスク着用は構いません
5 司式者はじめ御聖体を扱う方がたは、聖餐式前の入念な手洗いをお願いいたします
6 日頃、インティンクションの形を取られている際には、サーバーや信徒奉事者にパテンやシボリウムを持っていただくなどして、司式者(分餐者)が聖体をブドウ酒に浸して授ける方法をお取りください
  但し、このケースが困難な際には、あるいは一種陪餐を希望される方が生じた際には、非常時ゆえに一種陪餐での対応もご考慮ください
7 教役者に体調不良や、発熱などが生じた場合には、聖餐式執行を自粛するようお願いいたします
  なお、その際には「み言葉の礼拝」等、信徒の方がたによる礼拝を守られるようご考慮ください。その際には急なことであり、教話はなくても構いません
8 「平和の挨拶」は、握手等は避け、会釈に留める等ご考慮ください
今後も推移を見守りますが、行政から集会自粛要請があった場合はそれに従い、対応を定めてまいります
尊い命を失った方々の魂の平安、感染した方々の回復と感染の収束を切に祈ります
(尚、この文書は、日本カトリック教会東京大司教区菊地功大主教が2020年1月31日に出されました「注意喚起」を参考に、日本聖公会の礼拝に適当な言葉遣いに書き換え、編集したものです)

主教からのメッセージ

主教 フランシスコ・ザビエル 髙橋 宏幸

 新年のご挨拶を申し上げます。
 閏年を除けば一年365日、一日24時間、一時間60分と全人、全世界共通です。共通しているからこそ、生活上、仕事上、種々の約束をする上でも便利であるとも言えましょう。もし、この数字が、個人の好みや都合、国や地域によって決められたり、好き勝手に操作されたりすることが起ころうものなら混乱を招くこと必至でありましょう。
 どこででも、誰にでも共通の数字、時の刻み方であるにもかかわらず、年々時の経つ速さを痛感させられます。時計の針のスピードが速まったわけではありませんし、カレンダーが一枚減ったわけでもありません。私たちの感じ方、時というものに対する在り方、生き方そのものに因るところ大であると思えてなりません。大都会東京で働いている時に感じる時間の流れや速さと、都会を離れて大自然の中でゆったりと過ごしている時に感じる時間の流れはどこか違った感じがします。楽しいこと、好きなこと、心込められることをしている時、時間はあっという間に流れます。嫌なこと、苦痛を伴うことしている時には1分が1時間にも感じることがあります。
 取り分け一月前の12月は「師匠も走る」と書くだけに、忙しい様を彷彿とさせられますが、わが国ではクリスマスあり、年賀状あり、お正月の準備あり、神社への初詣ありと、マンガの世界なら神様も右往左往する様子が描かれるかも知れません。  
 さて、肝心要の聖書には、「神様の時間」というものが描かれています。新約聖書の原語であるギリシャ語では時計やカレンダーで計れる時間を表す「クロノス」と、神様の働きがなされている「まさにその時!」を表す「カイロス」とがあります。時に、このカイロスは異常な程ゆっくりとしたものに感じることがあります。せっかちな人なら「待っても、待っても一向に」という思いに駆られるでしょう。エジプト脱出然り、カナン定住までの道のり然り、イエス様のお誕生を巡っての出来事然り、イエス様の荒野での出来事然り、神様の働きはじっくり、ゆったりとも言えます。しかし、同時に着実に、確実にでもあります。待つことが苦手になった現代人には聖書のメッセージは相容れなくなったとは思えません。むしろ、生き急ぎ、生き急がされているこちらに課題があるようです。

2020年1月

主教からのメッセージ

主教 フランシスコ・ザビエル 髙橋 宏幸

  子どもの頃も学生時代も、1分は60秒で1時間は60分、1日は24時間、1年は閏年でなければ365日、その長さは全く変わっていないにもかかわらず、時の流れの速さを痛感します。「世の中が目まぐるしくなったから」と言う人もいるでしょう。「スピーディーな時代になったから」という意見もありましょう。数多意見や考え方はありますが、一番は、やはり「自分が感じる」という点にあるようです。
 そのような中、十字架を目前にされたイエス様が、ベタニアに暮らすマルタに言われた言葉、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」を、時折思い浮かべます。イエス様は、マルタを非難してはいらっしゃいません。見下してもいらっしゃいません。そうでは無しに、マルタの選び違いを指摘していらっしゃいます。その背景には、次のことがありました。マルタには妹のマリアがいます。ところが、姉がイエス様への持てなしで忙しなく働き、動き回っている一方で、妹のマリアはイエス様の足もとに座って、その話に聞き入っていました。普通に見れば、姉が忙しく働き中、座って話に聞き入り、手伝おうともしない、気が利かない妹と非難することもできることでしょう。しかし、この期に及んではイエス様には時間がありません。十字架は、直ぐ目の前に迫っています。マルタは、心を込めてイエス様を持てなそうとはしていますが、ある種「マニュアル的」な彼女は、「今この場面では?」という判断、選択、応用が利きませんでした。
 一方、妹のマリアは、状況を敏感に感じ取る力に長けていたように見受けられます。状況を敏感に感じ取り、目の前にいらっしゃるイエス様と、その置かれた状況を感じ取り、心を向けることができたからこそ、この場でのより望ましい選択をすることができました。それを裏付ける、「必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」というイエス様の言葉が後に控えています。
 今の時代、選択肢が多すぎるがゆえに、選び取ることの難しさが増し加わっていることも感じます。けれども、選択肢がいくら増えようと、大事なことは自分の中に揺るぎない基準と軸の有無のはずです。また、余り意味の無い比較に一喜一憂したり、心を乱したりするのも、同じく自分の中の揺るがぬ基準と軸の有る無しに因るのでしょう。もちろん、いとも容易く基準や軸を作り上げられるのならありがたいことですが、中々上手い、手っ取り早い方法は見つかりません。けれども、手っ取り早さだけを求め、マニュアルやHow Toに走るのも、これまた危険でもありましょう。
 しかし、私たちの周りには数え切れない程の命の営みがあります。まさに「生きた教科書」「軸を創(造)る生きたヒントの宝庫」と言えます。「命ある人から学ぶ、人に学ぶ」ことを蔑ろにすることだけはしたくないものです。

2019年6月21日

新主教からのメッセージ

主教 フランシスコ・ザビエル 髙橋 宏幸

 物事には得手不得手とありますし、皆が皆プロになれる訳でもありません。しかし、そこには教え方、教わり方というものも大きく関わっているようにも思えます。例えば、スポーツの世界では、「もっと足を動かせ!」「膝を柔らかく使え!」「もっとしっかりボールを見ろ!」と、何度も何度も言われますけれども、誰もが直ぐに出来るようになれば苦労は要りません。幾ら励ましているつもりでもあっても、肝心の相手に叱責としてしか響かなければ、却って緊張感を与えるだけでしょう。
 むしろ、なぜ上手くいかないのか、その理由を一緒に考えるという大切なプロセスを経て、さらにこういうアドバイスの仕方もあるはずです。それは、「あと一歩頑張れば追いつけたぞ!」「今のボールは生きていたぞ!」「体の軸がぶれていなかったから、今のボールは体重がのっていたぞ!」等々、いいところに目を付け、褒めることで、技術が上向きになるだけではなしに、余分な緊張もほぐされていくことでしょう。
 スポーツに限らず、どうしていいか分からずにいるところへ、やれ「下手だ」、「何で早く走れないんだ!」と厳しく言っているだけでは、相手には励ましとしては響き難いことでしょうし、加えて余分な緊張をも強いることになるでしょう。否定的な言い方や発想よりも肯定的なものの言い方や発想は、その先に生み出す可能性を遥かに豊かに秘めているはずです。
 イエス様は、ものわかりの悪かった弟子たちを見放すこと無く、優しく、時に厳しく育て続けられました。そして、その根底に置かれていた心とは「無い物探しの心」ではなしに、「有るもの探しの心」でした。もっとも、無いものを探し続けても、無いものは無いままです。有るものを探し、一緒に喜ぶ、そこには人を育て、伸ばす極意とも言えるものが潜んでいたことでしょう。無いもの探しにエネルギーを費やすことではなく、有るもの探し、与えられているもの探しにエネルギーを注ぎたいものです。

2019年1月18日