聖霊降臨後第12主日

<特   祷>

主よ、どうか絶えることのない憐れみをもって主の教会を守ってください。人間ははかないものであり、あなたに頼らなければ倒れてしまうほかありません。み助けによって、害のあるすべてのものからわたしたちを守り、益となるものを与えて常に救いの道に導いてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> マタイ15:21~28

<メッセージ> 主よ、どうかお助けください。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

 その時、主イエスは、カナンの女性の娘を悪霊から救い出そうという気持ちは全くなかったかのように感じます。

 主イエスは、ユダヤ人としてお生まれになりました。神さまから与えられたご自分の使命は、まず神さまに選ばれた民である同胞のユダヤの人々、イスラエル人に神の国の福音を宣べ伝えることと認識されていました。この使命を果たすために、主イエスと弟子たちは、ガリラヤ地方を巡って活動されました。

 しかしながらファリサイ派をはじめ、ユダヤの宗教者は反発し、敵意さえ抱き、耳を傾けようとはしませんでした。それゆえ、主イエスと一行はいったんユダヤの地方を離れ、異邦人の地、ティルスとシドン地方に来られました。イスラエル人とカナン人は、ずっと長きにわたって、深くかかわりをもってはいけない民族同士だったのです。ところが、主イエスとカナンの女性の出会いが起こります。

 彼女は主イエスを、「主よ、ダビデの子よ」と呼び、悪霊に取りつかれた自分の娘を慈しんでください。ひどく悪霊に苦しめられています。」と切実に訴えるのです。どこかで主イエスの噂を聞きていたのでしょうか。どちらにしても、娘を救いたい一心で、叫びながら主イエス一行についてきます。

 主エスは不思議なほどに何もお答えにならないので、弟子たちもたまらなくなって主イエスに願います。「この女を追い払ってください。叫びながらついてきますので。」ここから、主イエスとカナンの女性のやり取りが始まります。

 主イエスの対応は、先生、それは冷たすぎやしませんかと言いたくなります。

 「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない。」

 マタイによる福音書の背景には、ユダヤ教的な影響の強いキリスト教共同体があり、異邦人世界とのかかわりは大きな課題であったと言われています。

 最初に申しましたように、主イエスと一行も、まずイスラエルの失われた羊のところに赴き、彼らに福音宣教すると言う使命をもって歩んでおられたのでしょう。

 しかし、カナンの女性は、愛する娘のため必死であります。主イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください。」と執拗に願い出ます。

主イエスは、「子供たちのパンを取って、子犬にやってはいけない。」カナンの女性を、絶望のどん底に追いやるようなことばではないかと私は心配です。しかし、母親はへこたれることなく、くじけることなく、また引き下がりません。主イエスのことばを取って返し、確かに私たち親子は子犬かもしれませんが、主人の食卓から落ちるパン屑は頂くのです。主イエスは、ユダヤの人々の間では見出すことのできなかった信仰を見出されました。

 主イエスが、母親の姿にかぶとを脱がれたのであります。

 「あなたの信仰は見上げたものだ。あなたの願い通りになるように。」

 カナンの女性が、どれほど主イエスのことを知っていたかはわかりません。彼女の信仰がどういうものだったのかもわかりません。ただただ「主よ、どうかお助け下さい。」娘を救いたい一心であります。娘への深い愛情は確かであります。「娘を慈しんでください。娘の苦しみをわかってください。」それ以外にはないのです。そして主は、そのような信仰ではだめだとか、こうでないといけないとは一言も仰いませんでした。

 「あなたの信仰は見上げたものだ。立派だ。」最大の賛辞を送り、そこに癒しの出来事が起こりました。カナンの母娘は、安心して新しい人生を歩み出したでしょう。信仰とは何か、神学的に、教理的にはいろいろな説明があります。今日の福音から教えられることは、大切なことは「慈しんでください。憐れんでください。どうかお助けください。」この一念があるかなしかです。

 この時、主イエスとカナンの女性の出来事を通して、神の国の福音は、すべての人の開かれたものであることが明らかになりました。このように、異邦人との出会いを通して、マタイの共同体は、ユダヤ教的影響力から、自由になっていったということがわかります。そして、マタイによる福音書28:19・20「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

 キリスト者、キリスト教会のすべての人々、この世に開かれた歩みが、この時始まったのです。私たちのところにも福音が届くことになります。主に感謝。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナとロシアの人々、世界の平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。

またわたしたちは世界の平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<黙想しましょう>

大阪教区成立100周年の年、わたしたちが聖霊の働きに心を開き、神の御力が大阪教区に豊かに注がれますように。教区婦人会100周年を憶えて

この社会にあって、居場所がなく、生きづらさを感じている人々のため

新型コロナウイルス感染症の収束のため

戦争に苦しむ人々のため 特にスーダン、ミャンマーの人々

世界各地の災害(地震、洪水、山火事、台風)犠牲者・被災者を憶えて。

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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