<特 祷>
あなたを愛する者のために、人の思いに過ぎた良い賜物を備えてくださる神よ、どうかわたしたちに何ものよりもあなたを愛する心を得させ、わたしたちの望みうるすべてにまさる約束のものを与えてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
<聖 書> マタイ9:35~10:5
<賛 美>
聖歌517番 (おりかえし) 主が来られたから 主がわたしのもとへ
主がともに歩む この道を行こう
聖歌563 わたしはなりたい キリストを生きる人に
わたしはなりたい キリストを生きる人
<メッセージ> 悲愛の人主イエス
父と子と聖霊の御名によって アーメン
聖書見てくださると、今日の福音書には肩書といいますか、テーマが書かれています。「群衆に同情する」この同情は、単に「かわいそうだ・かわいそうに」という表面的な同情ではありません。英語ですとコンパッション、ギリシャ語ではスプラングニゾマイということばです。深い、五臓六腑を駆け巡るような痛みを伴うような悲愛の心であります。主イエスは、深い悲愛の人です。このことは苦しみ、悩む人に対する主イエスのお近づき方の特徴として、福音記者マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネがしばしば強調していることでした。悲愛はまた、民全体の苦難や悲しみ対する主イエスの姿勢を言い表しています。
本日の福音書は、「悲愛」が主イエスの福音の実践・活動の根本にあることを思い起こさせてくれます。主イエスの福音の実践というのは、神の国は近づいているという宣言と心(魂)と体の癒しのことです。
36節「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」ユダヤは、ローマ帝国の支配と抑圧の中にあって、民衆は貧しくされていました。病気も人々を苦しめておりましたので、人々は弱り果て、打ちひしがれていました。救いの地平を切り開いてくれるような導き手もいませんでした。主イエスは、そうした人々に対して、気の毒に思う、単に関心を示す以上の思いをもっていました。苦しみや悲しみを分かち合うこと、みんなの苦しみを自分の苦しみとして歩まれました。共に苦しむこと、共に悲しむこと、互いに重荷を負い合う姿勢をもって、人々に近づいていかれました。私たちに対しても、悲愛の心をもって近づき、肩を抱いてくださるのです。
聖霊降臨日にもお話をしましたノーベル文学賞受賞者のオルガ・トカルチュクさんのメッセージにもう一度耳を傾けてください。トカルチュクさんは、悲愛の心を「やさしさ」と表現されました。攻撃的で、暴力的になっている世界に対
して、「やさしさ」の大切さを語っておられます。
「優しさは、関係するすべてに人格を与えます。共感する力、絶えず似ているところを見つける力です。優しさあふれる物語では、物に命を与えます。
人形や食器や動物が語り始めたり・・・・。
優しさは。愛の最も慎ましい形です。人を罪にも嫉妬にも導きません。
優しさは、自発的で無欲です。他者を深く受け入れることです。
私ではない者に注意深く集中する時にやさしさは現れます。
人間の壊れやすさ、かけがえのなさ、傷つきやすさ。時の影響をまぬがれないことを深く受け入れることです。
優しさは、わたしたちの間にある結びつきや類似点、同一性に気づかせてくれます。・・・・・」「世界を命ある、生きている、結び合い、協働する、互いに頼り合う者として示してくれます。」(「優しい語り手」2021年 岩波書店 小棕彩・久山宏一訳 41頁)
そして主イエスは、この世界の大規模な欠乏や苦難の大きさに比べて、働き手が少ないことを嘆かれ。弟子たちを私たちを招かれます。37節・28節「収穫は多いが、働き手が少ない。だから収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
教会の活動や私たちの生き方に、主イエスにならって、悲愛の心が根本になくてはならないのです。最初に歌いました。「
わたしはなりたい キリストを生きる人に
わたしはなりたい キリストを生きる人
主イエスが私たちの心に「悲愛」の心を与えてくださるように祈りつつ、歩みましょう。
父と子と聖霊の聖名によって アーメン
<ウクライナとロシアの人々と、平和のための祈り>
正義と平和の神よ、
わたしたちは今日、ウクライナとロシアの人々のために祈ります。
またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。
明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。
平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。
そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。
平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。
<黙想しましょう。>
大阪教区成立100周年のため この1年間を100周年記念の年として憶えます。
11月3日 大阪教区婦人会100周年感謝記念礼拝のため
11月10日~13日 日本聖公会宣教協議会(清里清泉寮)のため
この社会にあって、居場所がなく、生きづらさを感じている人々のため
戦争や災害、病気、飢餓に苦しむ人々のため 特にスーダン、ミャンマーの人々、世界各地の地震・洪水被災者を憶えて。
<主の祈り>
救い主キリストが教えられたように祈りましょう。
天におられるわたしたちの父よ
み名が聖とされますように
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人を
ゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン