教会委員合同礼拝・祝福式 説教

2003年1月25日(土)
聖アンデレ主教座聖堂
主教 植田仁太郎

詩編

第62編 1節 わたしは静かに神を待つ、わたしの救いは神から来る
    5節 わたしは静かに神を待つ、わたしの希望は神のうちにある

ホセア書 第6章 1節-2節 さあ、我々は主のもとに帰ろう。
主は我々を引き裂かれたが、いやし
我々を打たれたが、傷を包んでくださる。
二日の後、主は我々を生かし
三日目に、立ち上がらせてくださる。

テモテⅠ 第4章 10節 わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。



今日は、この教会委員の合同礼拝と祝福式にご参加下さいまして、本当にありがとうございます。数年前までは、教区全体で新年礼拝を致しまして、お互いに新年を祝い、決意を新たにする機会としておりました。私が主教の職に任じられましてからもうじき二年になりますが、過ぐる一、二年は残念ながら教区全体で新年を祝うという気持にはとてもなれなかったということは、皆様も恐らく同じお気持だっただろうと思います。

折角、そういう教区会以外に教区の皆さまに集まっていただく機会があったのに、全然それを無くしてしまう、というのも残念に思い、何かの形でそういう機会を設けたい、と思いましたのが、今日の礼拝を行うことにした第一の理由です。もうひとつ理由がございます。私が主教の職を与えられ、各教会を巡回している中で、各教会の教会委員さんとお会いしお話しするたびに、教会委員としてみなさんから選ばれている方々が、教会にとってどんなに大切な働きをして下さっているか、そして労多くして報い少ないお仕事に、何と多くの方々が黙々と精を出して下さっているかに、改めて大変心を打たれました。

ここの教区事務所にいつも出入りしている者たちが、特に主教は、教区会とか常置委員とか、教区代議員とか○○委員会とかの働きによって教区が動いているかのようにとかく錯覚し勝ちですが、実は、そうではない、各教会で信徒と聖職の間に立って苦労してくださっている教会委員の務めを果たしていて下さる方があって、初めて、教会が働き、教区が働いているんだということを、もっとはっきりと認識しなければならない、この方々とともに祈り、お互いに励まし合わなければならないと思いましたのが、今日のこの礼拝を企画致しました第二の理由です。

さて、今日の礼拝は、私も、ここに連なって下さっている同僚聖職も、そして皆さんも、神さまから与えられている務めに何よりも謙虚であらねばならないというつもりで、ともに嘆願をささげるというのが後半になっていきます。そして、前半、今まで読み、唱えてきました聖書と詩編のテーマとなっているのは、「希望」です。

▽詩編62編作者の希望

最初に唱えました詩編第62編は「わたしは静かに神を待つ」ということばで始ります。

これは、この二年間私の心の奥底にあった気持でもあります。世の中一般からも、教会からも、あまりいいニュースは聞こえてこない。時にはムッとしたくなるようなこともある。私が主教という恐れ多い務めに任じられたのは、こんなことをするためだったのだろうか。人々は、教会の方々も、その他の友人達も、こんなことを期待していたのだろうか。神さまは、私に何をしろ、と仰っているのだろうか。神さまは私たちに何をしろと仰っているのだろうか。あの人はあゝ言い、この人はこう言う、そう言う人もまた、どうするのが一番良いのかわからず苦しんでいる。誰もアッと驚くような解決、誰もみんなが納得するような解決を与えることができない。

「わたしは静かに神を待つ」。じたばたするな!「わたしは静かに神を待つ」。しかもこの言葉は5節にも、もう一度出てきます。そしてこの詩編の作者は、ホッとしたように思い出します。「わたしの希望は神のうちにある」。

▽ホセアの悲鳴と希望

次に私たちは、第一日課でホセア書を読みました。冒頭は強烈です。「主は我々を引き裂かれたが、いやし、我々を打たれたが、傷を包んでくださる」。

私たちに振りかかった例の経理事件は、まさに、私たちを引き裂き、私たちを打ちのめしました。だれが悪い、だれが責任があると言っても始まりません。それが分かった時点で色んな形で、私たちみんなが引き裂かれ、打ちのめされました。

ご存知のように、ホセアという預言者は、神さまから、身持ちの悪い女性と結婚せよと命じられて、非常に屈折した私生活を引き受けざるを得なかった特異な預言者です。そして、妻の子ではあっても自分の子ではない子を次々と家族として受け入れなければならなくなります。

妻の不倫によって出来た子に、恐ろしい名前がつけられます。「ロ・ルハマ、憐れまれることのない者」とか、「ロ・アンミ、わが民でない者」とか、空恐ろしい名前です。そういう複雑な家庭をかかえ、悩みながら、ホセアは、気付きます。この自分の状況は、神さまが神さまとイスラエルの民の関係が、このようにねじくれてしまっているよ、ということを身をもって知らせようとなさったのだ、と気付きます。そして、イスラエル、エフライム、ユダの人々に警告し預言をします。6章のこの箇所は、神から悔改めを迫られたイスラエル、エフライム、ユダの人々が悲鳴をあげているところです。「神さまは、我々を引き裂いたがいやし、打ちのめされたが傷を包んでくださる方に違いない」とすがっているところです。そして、「主は曙の光のように必ず現れ…我々を訪ねてくださる」という希望を表明します。

それはホセア自身の悲惨な家庭生活の中からの悲鳴と希望でもあったと思います。希望というのは、何もない所に空しくあるものではありません。失われた信頼の中から、打ちひしがれている時に、その中から信頼を回復しつつ生まれるものが希望です。

▽組織化時代の教会

そしてその次に、私たちは、第二日課でテモテへの手紙を読みました。テモテは、偉大なパウロの弟子として使徒言行録にも、パウロの手紙にもしばしば登場します。テモテという人の名前は、パウロとともに初代教会の人々の間で、かなり良く知れ渡っていたようです。

このテモテへの手紙は、あたかも偉大なパウロが、その弟子に書いているような格好にして、つまり、パウロの権威を借りて、誰かが書いたもので、パウロ自身が書いたものではないし、テモテに対して書いたものでもないことははっきりしています。手紙の差出人とあて名人は、どうでも良いことです。では、あまり重要でないか、というと、そうでもありません。パウロよりずっと後で書かれたようですから、本物のパウロの手紙とは書かれた時代背景や、書かれた意図が違います。つまり、パウロの時代には、まだイエスのことを実際に知っていたり、またイエスのことを記憶したりしていた第一世代のクリスチャンが沢山居りましたが、もうこの手紙の書かれた頃、紀元後百年位ですが、第一世代の人々はとうにいなくなって、第三、第四世代のクリスチャン達の時代で、教会がいよいよ組織化される時代になっています。

つまり組織としての教会を成立させてゆく上でのマニュアルだといって良いでしょう。ですから、この文章は、聖職にも信徒にも、教会という組織を預る現代の私たちにとっても、そのまま、良くわかります。そして、「わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです」と言っています。

教会の歴史のどの時代にも、良心的な人々は、労苦し、奮闘したのでしょうし、この手紙を書いた人も、また読んだ人々も、教会の実状としては今の私たちとそう大差のない状況にあっただろうと推測されます。そして、「労苦し奮闘できる」のは、「生ける神に希望を置いている」からだと理解します。

この手紙を書き、そしてこの手紙を読んだ人々は、実は、教会の運営に責任を持つ人々の「マニュアル」であるこの手紙だけを頼りにしたのではなく、イエスの教えとなさったことを記した福音書のどれかひとつを、当然知っていたと思われます。福音書に伝えられるイエスの姿・十字架・復活に従いつつ、もう一方でこの手紙を教会運営のマニュアルとしました。イエスのなさったこと、教えたことを心に留めながら、希望を神においているから、私たちは労苦し奮闘できるのだと言っています。これも私たちと同じです。

今日は敢えて福音書を読みませんでした。それは、私たちは、福音書のある箇所だけに注目するのではなくて、福音書に記されたイエスの教えたことなさったこと全体を心に留めながら、希望というものを考えたかったからです。私たちが希望を神に託することができるのも、私たちが静かに神を待つことができるのも、そして、私たちが神に悲鳴を挙げつつ信頼できるのも、イエスのなさったこと、イエスの教えたことがあるからです。

▽ひとつの奇跡

イエスのなさったことの多くは、人々に奇跡と映りました。イエスのなさったことの多くは、後の世の人々に奇跡として記憶されました。悪霊が追い出され、病人が癒され、水がブドウ酒に変り、嵐が静まり、一晩中とれなかった魚がイエスの指示で舟一杯とれたのも奇跡として映りました。私たちは、奇跡はイエスとイエスが生きた時代の人々にだけ起ったのであって、現代のような不信仰の時代には滅多に起こらないだろうと考えています。

しかし私には、教会の姿そのものが、やせても枯れても、ひとつの奇跡のように思えてなりません。

東京教区が、三五の会衆を擁し、年間三億四千万円もの予算を計上し、さらにその上に、一千五百万円もの献金を教会の外の働きに献げ、また各教会が直接用いている予算を勘定に入れれば、さらに何億円かを献げて下さっているのは、ほとんど奇跡のように思えてなりません。私を初め、つたない聖職団の力を考えるとなおさらです。お金のことばかり申しましたが、それだけでなく、おカネや人が居ないと嘆きながら、カパティランを支え、ホームレスの人々への働きを支え、ぶどうのいえを支え―、その他多くの働きを側面から支え、どれだけ多くの人々の支えになっているかを考えると、これまた奇跡のように思えてきます。

また皆さんとともに、もっと教会に生涯を捧げる聖職となる人々が増えて欲しいと願っているうちに、この一年で六人もの方々が、将来聖職となりたいのだけれど…と志願して下さいました。これまた奇跡のように思います。

イエスは興味本位や、自分の利益や自分の力を誇示するために奇跡のようなわざを行ったのではありません。そこには、必ず、労苦し、奮闘し、心配する当事者が居ります。そして、そこにイエスが居合わせました。

私は皆さんとともに、ずっとこの東京で起っている、そしてこれからも起るに違いない、奇跡の当事者でありたいと願っております。

詩編の作者が静かに神を待ち、ホセアが神に悲鳴をあげ、初代教会の人々が労苦し奮闘したこと、すべてが私たちに当てはまります。その中で、みんな神に希望を見出しました。そして、その希望はイエスのなさった奇跡的なわざで、むなしい希望でないことが裏付けられました。

今日のこの機会に、皆さんとともに、神さまの力の奇跡の当事者としてあり続けたいという、私の願いと祈りを分ち合っていただければうれしく存じます。

教区主教 聖霊降臨日

(教区時報掲載のもの)

聖霊とバリアフリー


 この頃マンションや住宅のチラシ広告に、『全室バリアフリー』などという、うたい文句があります。どの部屋に行くにも、トイレも台所も、段差がなく造られていて、足腰の弱くなった人でも、つまずかないで移動できますョ、ということでしょう。駅や公共の建物がバリアフリーだというのは、車いすでも苦労が無いですョという意味です。

「バリアー」とは、障碍物のことで邪魔するものという意味で、バリケードという言葉と同じ語根です。「フリー」は、もちろん自由のことで、バリアフリーは、障碍物から解放されている状態を指しています。

使徒言行録で著者ルカが伝える聖霊降臨の出来事に、集まっていた人々が、口々に色んな国や民族の言語をしゃべり出した、というエピソードをつけ加えています。ユダヤ人であったイエスの死と復活のメッセージを、どうしてもユダヤ民族・ユダヤ人文化・ユダヤ人の宗教を越えて、伝えたかったルカは、このエピソードで、言語・文化・宗教の障碍を越える、聖霊の力を示したかったのでしょう。今も昔も、言語・文化・宗教は人間が共に生きてゆく上で大きな障碍となります。それに加えて、階級や性別や年令、教育・収入なども障碍となります。

しかし、聖霊の力は、これらすべてを打ち破ります。全ての人間の間の、また社会の関係をバリアフリーにする力です。事実、初代の使徒たちはその力を発揮しました。教会とそこに連なる私たちも、その力をいただいているはずです。あとは、それを発揮することだと思います。社会と世界をバリアフリーに!

(東京教区主教)

教区主教 イースターメッセージ

(教区時報掲載のもの)

復活のミステリー


 イエスの誕生、そしてご生涯、十字架上の死、そして復活は、ミステリーに満ち満ちています。「ミステリー」と私が呼ぶのは、そんなに高尚な、宗教的な意味ではありません。ミステリー小説のミステリーです。つまり、イエスの生きた時代と現代とが余り隔ってしまったので、事実関係を再構成するのは容易なことではないからです。そして聖書は、その事実関係を解き明かすのに、格好の資料のように思えますが、必ずしも「事実関係」を残すために書かれたわけではないので、ミステリーを拡大することにもなります。

 私は、生涯、このミステリーを追いかけたいと思います。同時に、ミステリーが解けないと信じることができないというわけでは全くありません。

 パウロ―彼も余り事実関係については知りませんでしたが―「キリストが復活しなかったら、あなたがたの信仰も無駄です。」と明言しています。復活の証人となったパウロを含む使徒達に与えられた、圧倒的な神の力と恵みを、私たちも与えられています。私が妻を愛し、妻から力を与えられるのは、私と妻の出会いの「事実関係」が明らかにされないと起らない、というわけではありません。

 そういうものこそ、事実関係を越えた、深い深いミステリーでしょう。

教区主教 クリスマスメッセージ

(教区時報掲載のもの)

馬小屋で寝たことがありますか?


御子イエスが、両親の旅の途上、ベツレヘムの宿屋の馬小屋で、お生まれになったということです。
 子供たちのクリスマスの『聖劇』や、クリスマスカードのデザインに仕立て上げられると、何とロマンティックな情景でしょうか。このイエスの誕生にまつわる話は、ルカが創作したのでしょうか。それとも、ルカは、当時すでに人々が聞かされていた話を、ちょっと手を加えて脚色したのでしょうか。
 いずれにしても、イエス・キリストの本質を良く言い表す物語に出来上がっています。想像力に敬意を表します。

 私は一度だけ馬小屋に寝たことがあります。何年も前に、ネパールの山奥で。正確には、馬も人もニワトリもヤギも一緒でした。まず、寒かった。寝袋に入っていたのに。そしてクサかった。動物の小屋特有のあのニオイです。またうるさかった。闇の中でも馬は足を踏み鳴らし、ブルルッと鼻を鳴らし、おシッコまでします。…これが馬小屋の現実です。
 神さまが、どこかの皇室のお子様のようにではなく、こういう現実のまっただ中に、人の子としてお生まれになったことは、驚きであり、ありがたいことです。
 私たちも、現代の現実の中に生まれたもう御子の誕生物語を、想像力豊かに、作り出したいものです。

第93(定期)教区会開会演説

足らざる所を

 主教に就任致しましてから八ヵ月、皆様のお心遣いとお支えによりまして、不馴れな私を、この間励ましお助け下さいましたことを有難く存じます。教区会とは、もちろん初めてではございませんから、どういう性格と目的の会議であるか分っているつもりでございますが、議長の席には全く経験の無い者ですから、何とぞお手柔らかにお願い申し上げます。
 さて、東京教区とその諸教会の現状につきましては、毎主日の巡回や、教区の諸会合ならびに同僚諸聖職との会話をとおして、極力学びまた把握しようと努めて参りましたが、過去何年間か、実際教区の動きから離れていたせいもあり、その理解については未だ決して充分とは言えません。自信をもって、こういう状況であるから、こういう方向がこれから必要であろうと語れる状況ではないと思いますが、折角の大切な教区の意思決定機関の集りの機会ですから、誠に不充分ながら、私の現況理解とそれに基く、少なくとも向う何年かにかけて果たすことができれば、という期待を申し述べたいと思います。それが教区の真に進むべき道であるのかどうか、それが果たして実現可能であるのか、それが教会・教区とそこに連なる皆さんの成長に本当に資するものであるのかどうか―それは今後、あらゆる機会にご検討いただき、お知恵を拝借しつつご一緒に実効あるプランへと練り上げてゆければ、と希望しております。
教区・教会の現況理解に、いささか助けになるのではないかという観点から、特に前教区主教竹田主教とともに歩んだ教区の姿を振り返ってみたいと思います。お断り致しますが、この試みは、必ずしも統計や面接や調査に基く「科学的」な振り返りではなく、あくまでも私の主観に基く印象の域を出ないかも知れません。願っておりますことは、印象・感想であるから大して意味はないであろうということではなくて、そこには私の見方、私の価値観が否応なく表わされることになりますので、どうか、それを皆さんのこれからのご批判なりご提言の参照点としていただければ、ということです。

 竹田主教のリーダーシップのもとに成し遂げられた、教区・教会の生命と使命にとって、特筆すべき第一のことは、何と言っても、東京教区が日本聖公会における女性司祭の誕生の原動力となったことでしょう。それには、東京教区が姉妹関係を結んでいたメリーランド教区からの励ましが色々な形であったことを憶えます。姉妹関係が単なる友好・親善に止まらず、教会の生命と使命に関わる事柄で関心と経験を分ち合えることのできた素晴らしい一例だと思います。そしてそれは一朝一夕にして成し遂げられたことではなく、相互の訪問団の交換や、教会対教会のパートナーシップの提携などの積み重ねがあったからこそだと思われます。その後、教区には、さらに4名の女性聖職候補生が与えられることになりました。これもまた大きな喜びです。おひとりおひとりの召命を念じつつ、他の聖職候補生並びにその意志を表明しておられる方々とともに、いつか教区の聖職チームに加えられてゆく日を待ち望みたいと思います。
 同時に、司祭職に男女の区別を行なわないという教会全体の公式の在り方に、必ずしも同意されない聖職・信徒が居られることを知っております。その方々の心情と理論に理解を払いつつも、そのご見解の個人的表明が、教区・教会の信仰の一致を妨げることにならない広さを失わないものであることを求めたいと思います。
 第二に、過去十年ほどの教区の歩みの中で、教会の働きの前進の象徴的なステップは、教区に宣教主事が任命されたことでしょう。言うまでもなく、教区の宣教・牧会の最終的な責任は主教職にあるというのが聖公会の理解です。そして聖職は主教の代務者として各教会に派遣されてゆきます。けれども、宣教・牧会を教会単位で考えるのではなく、教区をひとつの単位として考えるとき、ただ教区内の聖職団に全てを託するのではなく、主事を任命して、教区が全体として果たさなければならない業を行ってゆく、というのは近代的な組織の在り方なのでしょう。それは、教区に財務主事が居り教務主事が居るということと同じ考え方で、宣教・牧会、ことに宣教の分野でそのような役割の人が必要であると教区が判断したことは、大きな前進だと言えるでしょう。しかも、竹田主教の英断で、その任に信徒が起用されたということも画期的であり、任用された方がその責任を充分果たしてきて下さったことも、将来にわたって信徒の賜物を重用することの大切さを教えてくれたと思われます。
第三に、一九九五年の阪神淡路大震災に際して、阪神地域の聖公会の諸教会の多大な被害の報に接して、ただちに救援・復興募金がスタートしました。その時の東京教区の反応は目ざましいものでした。手持ちの資金をすぐさま拠出して、悠然としがちな募金のプロセスを後回しにしました。当時私は教区に在住しておりませんでしたが、その行動の素早さに感心致しました。(しかも、各教会はその募金目標をほぼ達成しました。)復興・再建に着手しなければならない被災した教会にとっては、いつ与えられるか分らない助けを期待するのではなくて、すでにある程度の資金が届いているということは、極めて心強いことであったに違いありません。
以上の教区の決断は、多くの方々の心の関心ごとである事柄に、神の導きの徴を察知し、それに機を逃さず教区が応答できたという喜ばしい姿であったと思います。
過去一〇年余りの教区の姿を省みるとき、まだまだ多くの前進と成長の跡をたどることができるでしょう。たとえば、『教区時報』が多くの方々のご尽力で、週刊でキチンキチンと届けられていること、「教会グループ」が様々な形で教区の life(適当な訳語が思い当りません)を共有して下さっていること、「いと小さき者とともに歩む」という教区の姿勢のもとに、数多くのプロジェクトが生まれ、そしてそのプロジェクトがひとまず終了しても、その関心と活動が形を変えて持続されたこと、等々です。これらは、教会が現代の社会と世界の中で、神がお呼びになっている場に馳せ参じようという努力の表れだと思われます。

 これらの前進と成長を評価できることは、大きな恵みであり、私達にとっての励みでもあります。しかしながら、私たちは、教区・教会の数多くの「足らざる所」にも気付いています。新たな分野で新たな体験をし、新しい教会の姿を発見するのは喜ばしいことです。同時に、二〇〇〇年にわたる教会の歴史の中で蓄えてきた教会の体験の延長上にも―つまり、教会の姿の極めて伝統的な分野にも―本当は、新たな体験と新たな姿を見出すべきでしょう。私たちは、案外、そのような分野に「足らざる所」があることに気付いているようです。私たちの獲得した新しい分野での新しい体験をないがしろにせずに、なお「足らざる所」に、教区・教会の関心と活動を意図的に向けてゆくことが必要な時に来ていると思われてなりません。その「伝統的な分野」とは、たとえば礼拝音楽です。今、新しい聖歌集が出版されようとしていますし、そのための講習会なども各地で開催されています。これなど、「伝統的な分野」での新たな体験への取り組みの良い例です。
 同じように私たちが意を用いなければならないのは、信徒(そして聖職の)訓練の分野です。通常、教会では洗礼・堅信の準備を経てめでたくそのサクラメントにあずかることになった方々には、その後、信徒の訓練の場が(組織的・系統的には)備えられておりません。もちろん、教会の聖書研究会などに出席することが期待されているかも知れませんし、説教を良く聴いて自らの信仰の糧とすべきことが期待されているかも知れません。ただし、それはあくまで「期待」であって、今日の教会とキリスト者が世の中にあってあらゆる問題に日々直面してゆくときの、信仰の指針が系統的に与えられていないのは確かです。私自身、四〇年前の神学校時代の新約学の参考書が如何に今の時代と隔たってしまったことかと痛感するこの頃です。恐らく、信仰者には―時代や世界と隔絶して生きることを良しとするのでないなら―、常に自分を私たちの生きる時代と世界に対応させることが必要でしょうし、それが人々に私たちの行き方をとおして伝道する基本的在り方だと思われます。ちょうどクルマの車検制度が、常にメカニズムを整備しておくことを義務付けているように(ただし、信仰者というクルマは、新車より中古車ほど価値があるし、ポンコツはありません)、何年に一度かの信仰的リフレッシュは必要でしょう。そのリフレッシュは、○○研修会でも良いし、修道院の黙想会でも良いし、テゼの祈りの会でも良いし、けれども、なるべく多くの信徒を含めた組織的・系統的に行なわれることが必要なのではないでしょうか。この分野で、教区として考えられるプログラムは、教会委員である方々の研修、信徒奉事者の研修でしょうが、それが、その方々に、教区会に出席するのと同じくらい大切だと考えられることが必要でしょう。
もうひとつの教会の伝統的体験の分野は、聖職を先頭にしての宣教・伝道の分野でしょう。これについて論じ始めますと、キリがないと思われますので、ひとつだけ提案させていただきます。それは家庭集会の復興です。私たちは、伝道といっても、ある教派の人々が行なっているように(その熱意は買いますが)街頭で演説したり、戸別訪問をしたりすることが有効だとは考えておりません。私たちの信仰は、人づて、そして交わりをとおしてしか伝わらない性格のものだと理解しています。そして聖餐式によって送り出され、聖餐式に戻ってくる信仰の形態を伝えたいと思っています。それには、家庭集会の交わりを拡大することこそ最適だと思われてなりません。幸い、戦後の一時期より、私たちの住宅事情は格段に良くなりました。前述の教会委員さんや信徒奉事者の研修と連動して―その方々に限りませんが―、そういう方々の教会の業の分担として、聖職ともども家庭集会の復興に力を貸していただきたいと思います。
第三の教会の伝統的分野での新しい挑戦を行なわなければならない分野は、子供、そしてその延長上の青少年への働きかけです。恐らく、昔ながらの日曜学校、昔ながらの「青年会」「高校生会」を夢見ることは、まさに夢でしょう。年令の低い子供達にはまさに親ぐるみで巻き込む方法を考え出さなければならないでしょう。私自身も、この伝統的分野の方策を持ち合わせてはいません。けれども何もしないで良い、ということにはならないと考えています。

 以上自らに課した宿題とも言うべき分野ですが、私は、これらの分野こそ、宣教委員会で扱い、また知恵を集めていただかなければならない分野だと思います。ただし、伝統的な関心分野であっても、新しい発想と創造的な取り組みを試みなければならないでしょう。この伝統的な分野での新しい挑戦については、聖書の次のような物語を想い起こします。
 ガリラヤ湖の漁師たち(シモン・ペトロ、ゼベダイの子ヤコブ、ヨハネ)と対面したイエスは、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と助言します。しかし、プロの漁師たちは、この素人のイエスの助言を初め聞こうとはしません。「私たちは、このあたりの湖は良く知っています。一晩中やったのですがダメだったんですから、まずダメでしょう」、よく知っている分野だから、今さらやってみてもダメでしょう、という気分は、私たちの気分と良く似ています。「伝統的関心分野は、もうダメでしょう」と。けれども、そこでイエスの指示に従ってもう一度チャレンジすることによって新しい次元が広がります。ひょっとしたら、彼らはどうせもう一度やるならと、ちょっとは前とは違ったやり方、ちょっと違った場所を試したかも知れません。いずれにしても、もう散々やった、という分野での新しい試みはしてみる価値があると思われてなりません。

 大分長くなりました。教区・教会の現況について、私の理解していることはまだまだ沢山あります。皆さんも、「足らざる所」は、こんなもんではない、まだまだ沢山ある、とお思いでしょう。
今回は、私にとって、それを発表する最初の機会となりますので、ひとまず、この辺で大風呂敷を拡げる前に、私の心にあります一端をご理解いただくことを第一にして、教区会における問題提起の第一幕とさせていただきます。次回はさらにこの問題提起の想を練って、皆さまのご批判に耐え、且つ、実際の企画が可能な素材としての用をなす形に整えたいと思います。

 なお教区の来年早々の運営の上で、考慮すべき大きな条件となる要素を付言して、皆様のご理解をあらかじめ得ておきたいと思います。
 第一は、東京教区は、日本聖公会全体の中核的役割を益々負ってゆかなければならない宿命を背負っています。現在でも四人の聖職を、神戸、大阪、名古屋に派遣しておりますし、日本聖公会の諸機関・諸学校でも、さらなる人材の派遣を要請してきております。そして、私は、これら諸機関・諸学校の働きは、聖公会全体の宣教の業として、決して「付け足し」として軽視されてはならないと信じています。「宿命」と申しますのは、東京・大阪などの大都市圏を抱える教区以外から、関連機関へ聖職を派遣することは、量的にも質的にも極めて困難であるからです。
 第二は、上記のことから、東京教区に備えられている当面の聖職数の中で、各教会への牧師派遣を融通しなければならない状況が、この一、二年でただちに好転するとは思えません。一教会一牧師(そして、本当は、大きな教会は一人以上の聖職が必要であるのに)という体制は崩れざるを得ないでしょう。今、与えられている聖職候補生が、聖職へと召されてゆくには、まだ三、四年必要でしょう。

東京教区フェスティバル2001説教

-神の代理人-

主教 植田仁太郎

主教という恐れ多い職務を与えられて五ヶ月になろうとしています。前主教竹田主教の強いお勧めがありまして5月に東京教区の姉妹教区であるメリーランド教区を訪問し、教区の方々、また、教区主教のイーロフ主教と親しくお交わりする機会を与えられました。私たちの姉妹教区では、主教たる者はどういう役割をどのようにこなしていらっしゃるか、ちょっと勉強して来い、という竹田主教の私に対する親心だったと思います。それで、教区会で三〇〇人ぐらいの聖職や信徒の方々がお集まりの折りに、挨拶をさせられましたので、「イーロフ主教から色んなことを学ぶようにということで参りました。しかし皆さんからは、イーロフ主教のこういう所をマネしてはいけない、という所をぜひ教えていただきたい」と申しましたら、会場から大喝采を受けました。新米主教として、皆さんにも同じことをお願いしたいと思います。「竹田主教のこういう所はマネをしてはいけない」ということを教えていただきたいと思います。

いずれにしましても、誰も、他の主教方も、主教というものは、こうあるべきですということを教えてくれませんし、あるいは、あいつは、言ってもとても聞かないだろうとあきらめられているのかも知れません。それで、今のところせめて大変尊敬しておりました竹田主教にならおうと努めている次第です。竹田主教は一二年余にわたって教区と私共を指導してこられて数々の貢献をして下さいましたから、少なくとも、それを充分に引き継いでゆかなければならないと思っています。もっとも、この場は、教区会の演説の場ではありませんので、引き継ぐべきことのひとつひとつには立ち入りませんが、多分、竹田主教も就任早々の頃は教区全体をどういう姿勢にすることが、神の御心に叶うことになるのか、ずいぶん祈られ、そして考えられたのだろうと思います。最近教区の宣教委員会の方々から教えられたことですが、竹田主教が就任なさってすぐに出席されたランベス会議(一九八八年)から、いろいろなヒントや洞察を得られたようです。ランベス会議というのは、ご存知のように全世界の聖公会の主教が一同に会する一〇年に一度の会合です。竹田主教は就任間もなくこの会議に出席されています。
で、私もそれにあやかろうと、その一〇年後、つまり、一九九八年に開催されたランベス会議の報告書というのを読み始めました(つい最近、二年越しの翻訳作業が終わって日本語にもなっています)。全世界の主教さん―恐らく五、六百人という数になるのではないかと思いますが―が約三週間かけて討議したことの報告書なんですが、まア決して読み易いものでもないし、読んでいてワクワクするという読み物でもないので、あまりおススメできませんが、主教というのは、あるいは、教会というのは、こんなにも多方面に注意を向けなければならないのかと、呆然としてしまうほどいろんなことを討議しております。そして何と一〇七項目にわたる決議を採択しております。その決議は、聖公会の教義や礼拝についてばかりではなく、世界情勢のあれこれ、世界経済や社会問題、世界人権宣言や核問題、安楽死やホモセクシュアルの問題、他の教会や他の宗教との関係についてなど、あらゆる分野にわたっています。そのあらゆる問題に、神さまの導きを祈り、神さまの御心に叶う教会の働きができるように各教会に励ましを与えています。ランベス会議という聖公会の全主教が集まる会議は、まさに、できる限り、神さまの意志をこの世界で神さまに代わって実行しようとしているようです。私たちが、神さまの忠実な僕となろうという努力の中で、そうしているのだと思います。

ところで、今日福音書に選びましたルカ福音書の一節は、この神の忠実な僕とはどうあるべきかについてイエスが語られたたとえ話が伝えられています。
イエスのたとえはいつもそうですが、前後の関係なく、一種の永遠の真理を易しく解説したという形ではなく、必ずある人間関係や社会的関連の中で、その場にふさわしい教訓として語られます。いつ、どこにでも通用する格言としてではなく、ある特別な場面への特別な教訓という意味でたとえ話が語られています。ですから、それと似たような場面、似たような関係の中で、現代にも意味があるのです。永遠の真理であるから、現代にも通用するのではなくて、現代にも同じような場面があるので、イエスのたとえ話が現代にも通用する真理となってゆくのです。
先程読みましたたとえ話は、マルコによる福音書に記録されているものを読みましたが、同じたとえ話をルカは、もうちょっと想像力を働かして書き改めています。それによりますとこのぶどう園の農夫のたとえは、「民衆」に対して語られていますが、実際にこの話を聞かせたい相手は、民衆ではなくて、民衆の中にまじって聞いている律法学者や祭司長だったようです。この話の最後のところに、『そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので』(ルカ ・ )イエスに手を下そうとしたと書かれていますから、イエスは一般の民衆に話すような格好をしながら、律法学者や祭司長たちを批判した、ということになるでしょう。
その律法学者や祭司長たちを批判することになったたとえというのはこういうことでした。ぶどう園の主人が、収穫の時期になったのでぶどう園で働いている農夫たちの所へ次々と使者を送り込みます。ところが、その農夫たちはそんな使者のことなどまるで聞こうともしない、そして、ついに主人は息子を送り込みますが、農夫たちは、その息子に従うどころか殺してしまった、というストーリーです。そして、これは典型的なイエスの語り口ですが、「だから、こうしなさい」とみずから教訓を仰有るのではなくて、「さて、皆さんは、この物語をどう受け取るだろうか?」と聞いている人々に問いを投げ返します。『ぶどう園の主人は、このとんでもない農夫たちをどうするだろう』というのがイエスの問いです。つまり主人の代理人である使いの者や息子を無視したり、いじめたり、殺してしまった農夫たちを、主人はどう扱うだろうかというのが問いです。今、私は主人の使いや息子を「代理人」と呼びましたが、実は、農民自身も主人の代理人であるわけです。ぶどう園を主人になり代って面倒を見るように命じられ雇われているわけですから、ぶどう園の運営を任されているという点では、やはり、ぶどう園の主人、オーナーの代理人に違いありません。ですから、一群の代理人が、同じ主人から遣わされたもう一群の代理人を無視したり、いじめたり、殺してしまった場合、その主人はどういう手を打つだろうか、というのがこの物語をとおしてのイエスの問いです。
そして先程申したように、この物語を聞いていた「律法学者や祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけのたとえ話をされたと気付いたので」「イエスに手を下そうとした」と記されています。つまり傍若無人に振舞った一群の代理人というのは「お前達のことだぞ!」とイエスが指摘されたので、律法学者・祭司長たちはカーッときたわけです。何故カーッときたのでしょうか。何故「そういうこともあるワナ」と軽く聞き流せなかったのでしょうか。
第一に、律法学者・祭司長たちは、自他ともに認める「神の代理人」だという確信があったからです。律法をとおして与えられた神からの規範に、誰にも優って最も忠実に、そして厳密に従っている自分たちこそ、神の代理人であると確信を持っていたからでした。
第二に、だからこそそういう自分達に神がもう一群の他の代理人を差し向けて、とやかく言ってくるなどということはあり得ないと、これまた確信していたからでした。自分たちこそ、神からぶどう園の運営の一切を任されている代理人だから、他の代理人と称する者たちにとやかく言われる筋合いではないと、自信を持っていたからでしょう。彼らが怒った決定的な第三の理由は、イエスがみずから投げかけた問いに、あるヒントを与えたからでした。そのヒントというのは「主人はこの農夫たちを殺し、ぶどう園を、ほかの人たちに与えるにちがいない。」というのがそれです。「殺す」というのは穏やかではありませんが、要するに、ぶどう園管理の代理人の総入替えという手を打ってくるのが普通じゃないかな、というのが、イエスの与えたヒントです。
ある一群の代理人が主人の言うことを聞かず、反抗してくるなら、その代理人たちをクビにして、総入替をするというのが普通じゃないかナと仰有います。つまり律法学者・祭司長たちは、神の代理人であるという特権を剥奪されることになるのが普通じゃないかナと仰有ったからカーッときたわけです。

教会の伝統的な、このたとえ話の解説は、ここで終わってしまいます。そうだそうだ、イエス様の言うとおりだ、律法学者・祭司長たちは、イエス・キリストの福音を理解しようとせず、ついには神の御子であるイエス・キリストを十字架に付けて殺してしまったんだから、もう神の代理人ではなくなるのは当然だ、イエス様はそれに代って――ユダヤ教指導者たちを総入替して―イエス様に従う教会をその代理人にして下さったんだ――と、こう解釈しました。この解釈は本当にそれでいいのでしょうか。
「神の代理人」―これは、ローマ法王に対して、世俗の世界がやや皮肉を込めてつけた称号です。ローマに在住して、ローマ史やイタリア史に題材をとった沢山のノン・フィクションを書いている女性の作家で、塩野七生という方がおり――私は大好きですが――その方が歴代のローマ法王の物語を書いた本の名前も「神の代理人」というタイトルです。自他共に「神の代理人」としての役をこの世界で演じているのがローマ法王だというわけで、ローマカトリック世界とその影響のもとにある人々にとってはまさにそのとおりでしょう。それは、イエスがペトロに対して「あなたはペトロ、わたしはこの岩の上に教会を建てる・・・わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。」(マタイ ・ ~ )と仰有ったという故事に、その起源があるのですが、本当にイエスがそう仰有ったのかどうか、現代の新約学者は、かなり疑わしいとにらんでいます。
いずれにしても、見事、教会は、律法学者・祭司長になり代って、「神の代理人」の座に着くことになりました。ローマカトリック教会だけが法王を中心に神の代理人になり代ったというわけではありません。プロテスタント教会も、ただ法王だけが「代理人」だというのはおかしい、怪しからん、と言っているだけで、自分たちも牧師や長老を中心に、いわば神に代って神のみことばを発する神の代理人だと主張しています。
わが聖公会は、主教たちこそ、イエスの使徒の継承者で、神と信仰にかかわることを一切代行している、つまり神の代理人であると暗に主張しています。先の全聖公会の主教たちの会議であるランベス会議は、そうあろうとする姿勢がありありと見えます。

しかし果たしてそうでしょうか。先程、イエスのたとえ話の真実は、今日も同じような状況があるから、今日にも、あるメッセージを伝えているものだと申しました。そういう意味で、このたとえ話を謙虚に読めば、神は一旦定めた神の代理人たちの他に、他の代理人を次々と任命して神の命令と意志とを伝えるものだ、ということを教えています。仮に、教会が神の代理人という役割を与えられているとしても、神はいつでも、その他の代理人をいくらでも派遣なさる方だヨ、ということをまず言っていると思います。そして、もともとの代理人が、新たに派遣された代理人を無視したり、いじめたり、追い返したりした場合には、神は平気でもとの代理人をクビにして、総入替してしまうような方だヨということも言っていると思います。
今日、私たちは、教会に連なりつつ、さらに社会との関わりの中で、様々な奉仕をされている方々やグループを憶えようとしています。その方々は、その活動の中で、教会では聞くことのできない声や叫びや訴えを聞かれることもあるでしょう。教会の方々とは全く異質な環境で生きていらっしゃる方々と接することもあるでしょう。今までの自分の生活の中で感じたことのない悩みや喜びを持っていらっしゃる方と出会うこともあるでしょう。
神は、いつでも、いろんな代理人を私達のところに寄こします。その代理人は、他の宗教の衣を着けているかも知れません。他に頼るところの無い怪し気な外国人の装いをしているかも知れません。どこにでもいらっしゃる子育てに悩んでいる母親の姿をしているかも知れません。そして、私たちか、私たちがそうであると確信している代理人、あるいは僕の努めを果たしているかどうかを問い質します。
今日のイエスのたとえ話は、教会の在り様を正当化するための話ではなくて、私たちに反省を迫る話だと思います。私たちが神の代理人の役を果たせない時には、神さまはいくらでも他のグループ、他の宗教、他の人々を神の代理人としてお立てになるということを示しております。
ランベス会議に集まった主教たちが、凡そこの世界のあらゆる問題について発言し、また祈り求めざるを得なかったということは、そういう神さまへのひとつの応答をしようという努力だと信じております。東京教区につらなる各教会が神さまから託された努めを果たしつつ、なお、次々と送られてくる神の代理人の声を良く聞く、そういう教会になってゆきたいと思います

The Easter Massage from our new Bishop Jintaro UEDA

そこでお目にかかれる

 マルコによる福音書16章7節に記されていることばです。イエスの墓を訪ねた女性たちに対して、見知らぬ若者が「あの方は、あなた方より先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」と教えてくれたということです。

 私の親しくしていたあるカトリック修道会のシスターに、かつて私がバチカンで教皇にお会いした時の写真を見せましたところ、そのシスターは、「教皇様はどうでもいいの。ただ『あの方』にお会いしたい」と仰有っていたのを想い出します。慎ましやかなシスターの眼が輝いていました。

 イエスの墓の傍らに座っていたという見知らぬ若者と、その若者が語ったことばは、含蓄に富み、私たちの信仰的想像力を掻き立てます。あのイエスを慕って止まないシスターも、「お目にかかれる」場所を生涯目指しているに違いないと思いますが、現代のガリラヤとはどこでしょうか。どうしてイエスは私たちより先に行っているんでしょうか。そのことを私たちに伝えた(現代の)見知らぬ若者とは誰のことでしょうか。

 みんなで「そこ」を捜したいと思います。生きて働いていらっしゃるイエスを捜しましょう。確かなことは、イエスは「そこ」に先回りされていることです。

東京教区主教就任式

3月31日(土) 午後1時半
立教女学院聖マリア礼拝堂で

主教 ペテロ 植田 仁太郎

  • 1940年生まれ(60歳)。聖マーガレット教会出身。
    1963年立教大学卒業。
    1968年立教大学大学院修士課程修了、聖公会神学院聴講生修了。
    この間、英国、ドイツ、スイス留学。
  • 1968年執事按手、1986年司祭按手。
    聖マーガレット教会、聖三一教会、聖ペテロ教会などの主日勤務。
    1986-88年吹@ 聖愛教会牧師補、聖アンデレ教会副牧師(非常勤)。
    1981-88年  アジアキリスト教協議会出向、
    1988-94年  管区事務所(総主事)出向。
    1994-2001年 アジア学院(校長)出向。

東京教区主教按手式説教

 

 

 

 

 

 

 


イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。
父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」
そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。…」
(ヨハネによる福音書20・21~22)


一九八八年以来東京教区主教として永らくその職責を果たされ、本日をもって退職される竹田真主教の後継者として、植田仁太郎被選主教を東京教区第8代の主教に按手聖別する今日のこのサクラメント。このサクラメントを祝う、大きな群れの一人に加えられたお恵を、先ずもって感謝し、また、私たちが今日ここにおいて行うすべての事が御心に適うものとなり得ますように、聖霊なる神様の親しきご臨在と御導きとを皆様と共に切に祈り求めたいと思うのであリます。

ずいぶん昔、東北の盛岡の聖公会で、まだ駆け出しの司祭であったころ、東京から一人の青年が訪れて来ました。牧師館でいろいろ話をしているうちに、ちょうど大斎節にあたっていたのでしょう、当時大斎節第三主日の福音書として読まれていた有名なイエスのたとえ話(ルカ一一・一四~二八)が話題になりました。家を縛麗に掃除して、汚れた霊を追い出しても、もしそのまま空き家にして置くならば、他の七つの悪霊を連れて戻ってきて、状態が前よりも悪くなるだろうという、誰でも良く知っているあの譬え話でした。私は、日本の伝統宗教である神社神道を例に挙げ、禊によって諸々の汚れを洗い清めるとか、お払いによって諸々の崇りを払い去るという儀式を持ち、また塵一つ無く掃き清められた静かな美しい神殿や境内を持っているけれども、確たる神学を持たなかったために、元々神社神道にはなかった種々な思想、イデオロギーが次々とヤドカリのように人リ込み、神道本来の姿がゆがめられてしまった歴史がある。国家神道などもその一例ではないか。それと同様、聖公会もきちんとした神学を持っていなければ、キリスト教とは異なる思想、あるいは見たところキリスト教のようでもキリスト教とは相入れない思想が、他の七つの悪霊を連れて入り住み、教会としての内実を失った、キリスト不在の、見せかけだけの教会になってしまうのではないか。そのような話をした記憶があります。

東京から来たその青年は、私の演説を静かに聞いていましたが、「先生、教会が神学を失えば教会で無くなってしまう、というのは本当だと思います。でも、先生、教会が教会としての生活を失うとすれば、もっと教会でなくなってしまうのでないでしょうか」と言ったのです。ウーン、おぬし、若いながらなかなかやるではないか、と、内心思いました。その青年こそ、誰あろう、植田仁太郎当時執事だったのです。教会が教会であるためには、神学が神学に終わることなく、生活の中に具体的に実践されるべきことを、彼は私に教えてくれたのでした。旧約聖書を背景として主イエスは、預言者・祭司・王という三つの役割を身に帯び、且つこれを完成・成就なさったとは、古典的な聖書神学の教えるところですが、主教の勤めも、まず第一にキリスト教の正しい信仰を擁護することであり、そのために新主教は預言者として常に神のみ言葉に耳を傾け、またそのみ言葉を人々に述べ伝え、またそれが生活の中で実践されるよう励ましてくれるであリましよう。

同じころ、新教出版社の月刊雑誌「福音と世界」に掲載された日キ教団の牧師さんの文章を読んで、また大きな学びをさせられました。その一節を一字一句正確に記憶している訳ではありませんが、大体次のような内容だったと思います。ある人が教会を批判して、わたしにこう言いました、「教会という所は、お祈りぱかりしていて、何もしていないじゃないですか」と。この批判は私の心にグサッときました。しかし、もっとグサッと来たのは、その批判を耳にした人が、次のような疑問を発した時でした、「教会はお祈リぱかりしていてと言う批判ですが、それよりも先生、教会はその人が言うように、本当に、お祈りしているのでしょうか」と。この疑問、この批判は、私の心に更に更に深くグサッと突き刺さって来たのでした。

と、大体こういう内容だったと思います。つまり、教会は礼拝ばかリしていて、福音宣教の実践が欠けているという、この第一の批判も、言い訳のできない手厳しい批判であるが、それよりもまず、元々、教会の中で、本当に、心のこもった祈りが神様に向かって捧げられているのか、という第二の批判は、更に手厳しい、謂わばもっと教会の内面に迫る批判であるように思った、という訳ですが、これは他人事ではない。私自身に向かって、場合によっては日本聖公会全体に向かって投げかけられた批判でもあるように思われたのでした。

いま、私たちは立派な祈祷書を持っています。また、遠からず、聖公会らしい品格を失うことなく、且つ又神学的にも確かな、新しい聖歌集も与えられようとしています。しかし、本当に心から祈っているのですか、本当に心から歌っているのですか、と問われると、私などは少からず反省せざるを得ません。私はどちらかと言えば形式に重きを置く方だと自分では思っていますが、過きたる形式主義となると如何なものか。過きたる礼拝主義、過きたるサクラメンタリズム、過きたる恩寵主義に、或いは単なるヒューマニズムに甘えているところがあるのではないか、と、反省せざるを得ないのです。先程ご紹介した「福音と世界」に載せられた牧師さんのお話ではありませんが、われわれに必要なのは、祈祷書に定められている礼拝諸式を形式的に上手にこなすことではなく、あるいは、聖歌の新しい言語表現や、新しいリズムやメロディに酔い痴れることではなく、心を開いてイエスの息吹を受け、心の奥底から「アバ父よ」と呼び掛け、また人々を神のみ前へと導く祈リなのではないか、と思うのであリます。主教職の第二の勤めである祭司の勤めを、新主教は誰にもまして担って行かれることでありましょう。

もう一つ、随分昔に読んだ本なので、著者の名前も、本の名前も忘れましたが、今なお心に残っている言葉があります。それは「罪による一致は簡単であるが、聖霊による一致は難しい」という言葉です。罪による一致とは何か。それは、人間は不平不満があると驚くほど簡単に一致するということでもあリましょうし、あるいはまた権威を与えられた者が、簡単に権威(auctoritas)を権力(imperium)に変えて、人々を力ずくでまとめようとしたり、真面目な議論を恐れて安易な妥協的な一致を試みたリすることでもあリましょう。それに較べて、聖パウロが熱望した「聖霊の賜う一致」(エペ四・三)を守ることはなかなか難しいことだと、言うのであります。

聖公会の管区・教区・教会の組織を考える場合、我々は聖パウロのあの有名な「キリストの体としての教会」の譬えを常にイメージします。そのイメージするところは、言うまでもなく、生きたキリストの生きた体であって、てんでばらぱらに勝手に動く体なのではない、ましてや死んだ体なのではない。体の各部分がお互いの存在と働きを認め合い、尊重し合い、助け合い、時には自らを犠牲にしてまでも、一致に向かって生きまた働く姿を描きだしています。教区にあっては主教は一致の要であり、またその実現のために仕える僕となります。それが主教職の第三の勤めである王の姿であります。

このように、キリストの体としての教会を常にイメージしていることは、大変結構なことですが、しかし外見的に整ったキリストの体をイメージし過ぎて、教理的に、礼拝的に、組織的に、或いは宣教牧会の活動の上で、伝統にこだわり過ぎたり、目に見える秩序だけが尊重されたり、またそれとは逆に、独善的な安易な進歩主義に心を奪われることがあります。そのいずれの場合においても、人間的な失敗や挫折に正直に謙虚に向き合うことをせず、結果的に、肝心要の聖霊のお働きになる余地がないということに若しなるとするならば、組織体としてのキリストの体も分裂するか硬直するほかなく、また、運動体としてのキリストの体もその機能を果たせない物になってしまうであリましょう。ここでも必要なことは、初めの使徒たちと同じように、主イエスの息吹を受けること、聖霊の激しい風に揺り動かされ、聖霊の火によって燃やされることであります。そのような観点から、東西両教会の再一致に向けての話合いの中で、ニケヤ信経から「フィリオケ条項」を外す、外さない、という手続き上の論議の前に、東方教会の三位一体論、ことに聖霊論からもっと学ぶべきことがあるのではないかという西方教会の学者の声にも、耳を傾けて見る必要がありましょう。また、聖パウロが、教会を「キリストの体」に楡えた時、同時にまたそれが「聖霊の賜う一致」であることを念頭に置いていただろうことを、我々はしばしば思い起こすべきであリます。

今日、東京教区に新しい主教が与えられ、新しい一致へ向けての新しい一歩が踏み出されます。教理の面でも、組織の面でも、礼拝の面でも、宣教牧会の面でも一層神様のみ心にかなう、活き活きとしたもとのなり得ますよう、改めて主イエスの息吹きを受ける日であります。もちろん、我々が改めて主イエスの息吹を受けるということは、あるいは我々に新しい困惑、ためらい、恐れを引き起こすことになるかも知れません。というのも、我々一人一人が、そしてまた東京教区が、主イエスの息吹の赴くところへ、使徒言行録的に言えば「地の果てにまで」、改めてさし遣わされることになるからです。「地の果て」と言えば「北の果てなる氷の山の」との聖歌が示すようにかつては地理的な距離を意味しました。しかし、主イエスがお弟子たちに「沖へ漕ぎ出して網を下ろしなさい」「深みへ乗り出し、網を下ろして漁れ」と命じられたお言葉を考えると、主イエスの言われる「地の果て」とは、単に地理的な距離だけではなく、「人の心の深み」「人の心の一番深いところ」を差しておられたのでありましょう。その意味では、心の底で言葉にならないうめきをもって主を待ち望んでいる方が、我々のすぐ身近におられるかも知れない。我々の同労者の中に、信徒・求道者の中に、或いは我々の友人・家族の中にいるかも知れない。その心の一番奥深い所へ届くように福音を述べ伝えるということは、なんと恐ろしい使命でしょうか。それは、最初の使徒たちが主イエスによって遣わされた時の恐れと同じ恐れであります。しかしまた、主イエスは彼らに言われました「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」と。最初の使徒たちへの主イエスのこの御約東は、正に今日の私たちに対する御約束であります。主イエスの息吹、聖霊の御導きを豊かに受けて、新しい一歩を踏み出すことのできるお恵を感謝いたしましょう。(イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに生きを吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい…」。)

 

植田主教第八代・教区主教座に

去る3月31日(大斎節第四主日後の土曜日)、立教女学院聖マリア礼拝堂で、ペテロ植田仁太郎師が主教に按手され、第八代東京教区主教に就任された。

 プロセッションはトランペット、オルガンによる「喜びの行列」で始まった。朝から小雪が舞う真冬なみの寒い外気がうそのような熱い思いに包まれて、八百人ほどの会衆が見守るなかで、日本聖公会教区主教十人のほか退職主教四人、海外から臨席された主教五人が植田被選主教の頭に手を置き、「主の教会における主教の務めと働きのために…聖霊を注いで下さい」と祈り、会衆共々「アーメン」と唱和。古本純一郎首座主教司式による主教聖別につづいて主教団、東京教区代表より主教の職務を示す品々が言葉を添えてプレゼントされた。

また主教座聖堂理事長竹内謙太郎司祭より指輪を受けた後、現任の竹田眞教区主教が「司牧のしるし」牧杖を授与し、新主教を主教座に導かれた。このあと植田新主教の「主の平和が皆さんとともに」の導入で「平和の挨拶」が交わされ、植田主教司式(主教団共同司式)による聖餐式へと移っていった。

 説教者として村上達夫主教(退職・前東北教区主教)が迎えられた。福音書朗読は五十嵐正司主教(九州)、主教推薦には高野晃一主教(大阪)・佐藤忠男主教(東北)が、また主教按手の証朗読は宇野徹主教(北関東)がつとめた。式典は式典長竹内司祭(前出)、加藤博道・加藤俊彦・高橋宏幸・宮崎光四司祭の副式典長がはこび、また司式主教チャプレンには輿石勇司祭(管区事務所総主事)・下条裕章司祭が、教区主教チャプレンには大畑喜道司祭・山野繁子司祭がそれぞれ当った。 

 分餐はチャンセルが植田・竹田両主教、一階・二階を埋めた会衆席には韓国とメリーランド教区主教を含めた八組の聖職班が分かれて当った。東京教区聖歌隊、立教女学院高等学校聖歌隊もアンセムを奉唱。岩崎真実子氏のオルガン、戸部豊氏のトランペットによる奏楽は式典の雰囲気を盛り上げていた。そのほか聖卓、奉献、手話通訳、会場・案内、受付などの礼拝奉仕にも多数が当り、つつがなく感謝と喜びの式典を終えた。退堂に先立ち、主教や来賓者が実行委員長前田良彦司祭から紹介された。

 15時半すぎ、短大学生ホールに会場を移して祝賀会が開かれた。常置委員長大畑司祭(前出)の歓迎の挨拶につづき、来賓を代表して日本キリスト教協議会総幹事大津健一氏、日本カトリック教会大司教・世界平和会議理事長白柳誠一枢機卿、そのほか大韓聖公会首座主教(テジョン教区主教)尹煥主教、米国メリーランド教区R・イーロフ主教から、それぞれ祝意と励ましを交えて挨拶を頂いた。植田主教の緊張をほぐすメッセージも聞かれて、歓談の時間では終始、和やかなムードが溢れていた。

 植田主教から家族の紹介があったあと、竹田主教の挨拶をはさんで植田主教が挨拶に立ち、主教職へのジョークで話を閉じながら感謝を述べて、決意の一端を披瀝された。司会は村守直芳氏、通訳には香山洋人司祭 (韓国語)、寺内安彦氏(英語)が当った。最後は前田実行委員長(前出)の閉会挨拶があり、5時すぎ、会場入口に立った植田主教夫妻が参会者を一人ずつ見送って、散会となった。