リア主教 2004年教区フェスティバル説教

リア・アブ・エルアザル主教 
(エルサレム・中東聖公会主教)

和 解

 これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちをご自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。
(IIコリント5章18節)

 教会の中にあり、なおかつ、教会の外に対するもっとも素晴らしい賜物のひとつに、クリスチャン同志の交わりがあります。それは、共に歩むという行為であり、手をつなぎ、声を一つにしてゆく、という行為であり、また、お互いに持っているものを分かち合うという行為でもあります。誰にとっても同じことですが、その交わりに入れないで、孤立したり、無視されたり、あるいは脇に押しやられるといったことがおきる時、それは見殺しにされるのと同じような苦痛となります。
 アラブのパレスチナ人キリスト者としての長い間の私たちの歴史においては、それはほとんど二千年に及びますが、私たちは皆さんの友情と祈りによるサポートとキリストにおける兄弟としての愛と配慮を熱望しています。皆さんに、私たちのところを訪ねて来ていただきたいと思っていますし、私たちは、皆さんが今までにしてくださったサポートを感謝しています。私たちは、皆さんがが祝福されるよう、そして皆さんの存在そのものが祝福であるようにと祈っています。
 有名なロシアの作家、トルストイは、ある日物乞いの男が自分の方に近づいてくるのに気がつきました。その頃の多くの作家がそうであったように、彼は自分のポケットを探ったけれども、そこには何もありません。その男の方にふりむいて、トルストイは言いました。「わるいな、兄弟。もし何かあなたの助けになるものを持っていたなら、あげられるのに」。すると、その男はにっこりと笑ってトルストイに向ってこう言ったのです。「いえいえ。あなたは、私の考えていたものよりよっぽど素晴らしいものを呉れましたよ。あなたは今、私を『兄弟』と呼びました」。

 あなたは、わたしたちをあなたの兄弟姉妹として受け入れますか?

 今日の説教の題は、「和解」です。今や白日の太陽の下、「平和」や「シャローム」という言葉を使いながら、実際にそう行われているのは、イスラエル中探しても、どこにもありません。私たちは、「シャローム」と言ってお互いに挨拶します。シャロームという名前を貰った子どもがいます。また、テル・アビブの高層アパートにシャロームという名前がつくことがあります。しかし、実際には本当の意味のシャロームはほとんどありません。この言葉は、すっかり面目を失ってしまい、間違って使われ、また、悪用さえされています。まさに神が詩篇の中で語っておられる通りです。「平和をこそ、わたしは語るのに 彼らはただ、戦いを語る」(詩編一二〇篇七節)。
 一九九六年のクリスマスパーティーの席上で、イスラエルのネタニャフ首相は「私は平和を成し遂げて、世界中の皮肉屋をがっかりさせてみせる」と豪語しました。私は、その言葉に応えて、ナザレのイエスが何と言ったか彼に思い起こしてしてほしいと願い、「平和を実現する人々は、幸いである」と言いました。おー、神よ!あなたが「平和を語る人々は幸いである」と仰らなかったことに感謝します! 「平和を実現する人々は神の子どもたちと呼ばれます」と仰っておられます。平和を実現して行きましょう! ただ単に、「平和について」語るのは、もうやめましょう。もし皆さんが、神さまの子どもとして受け入れられたいのなら、平和について説教だけするのもやめましょう。

 和解とは何なのか?

 和解とは行動であって、説教ではありません。私たちが行うべき努めであって、お題目ではありません。和解は、産み出され、そして実体となっていくべき良い知らせなのです。
 冒頭、私たちは、「神は、キリストによって世をご自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉を私たちに委ねられたのです」とコリントの信徒への手紙を読みました。
 「新しい年、新しいいのち」(二○○二年1月号エピスコパル・ライフ=アメリカ聖公会新聞=訳者注)という題の総裁主教フランク・グリスワルト師による年頭の挨拶で、彼は、「ところで、いったいどのようなミニストリー(奉仕職)に、私たちは招かれているのだろうか?・・それは、どんなところにあったとしても、不信と憎しみの大きな壁を叩き壊すことではないだろうか。ことにそれが、文化や民族、また国籍や宗教の違いによって引き起こされたもの、経済格差の開きによって作り上げられたものであった場合、ことにそれは、私たちの仕事なのではないだろうか。和解するとは、正しい関係を築くことであり、私たちの関係を仕切り直すことなのではないだろうか」と書いています。

  (中略)

 では、どこで、どのようにして、そしていつ?

 私の親しい友人が、その地方のお役所から「平和賞」を受けることになった時、彼が私に書いて寄越した文章の中に、「対立していることを無視して、平和や和解の道を探すことは、私には全く理解できないことである」というくだりがありました。
私たちは、対立のあるところに平和を実現することはできるのです。私たちは、対立と憎しみの渦巻くその場に身を置いた時に、はじめて他の人々と和解できるのです。常識のある人なら誰もわかるように、お互いにいがみ合っている仲間をそのまま放っておいて、友だちの中に平和を実現することはできません。愛し合っているもの同士には、彼らを和解させるための私たちの助けというものは必要ありません。しかも、何かに関わるということは、テレビのリモコンを操作するように、離れたところからコントロールするというわけにはいきません。誰でもそこに実際に行けば、ピクニックに行くような気楽な心構えで取り組めないことは、おのずと知ることになります。
 私たちが住んでいる中東地域であれ、私が想像するに、皆さんが住んでいる場所であれ、対立のない場所などどこにもないでしょう。もちろん状況はいろいろでしょう。でも、家庭の中の対立は政治的対立に比べてたいしたことじゃない、とは言えません。何が不充分なのか、という問いに応えるならば、本気になることと、関わりの中での忍耐力が足りないことだと私は答えます。

 和解は、平和の果実である

 正真正銘の平和は、単に戦闘状態でないことでも、憎み合うのを一時中断することでもありません。また、征服や抑圧によって静まり返っている状態をさす言葉でもありません。
 正真正銘の平和は、正義が存在し機能することです。それは、戦争を引き起こす全ての要因がもはや存在しなくなり、癒しがみんなを和解へと導く、そんな関係に入ることです。平和と和解が本物になり持続するためには、正義が行われなければなりません。不正によって傷つけられてきた人々の、尊厳をはじめとしたもろもろの人権が取り戻されなければなりません。
 「平和の地」は、中東では和解の出発点でした。イスラエル人が、彼らの所有物でないものを引き渡してくれる時と場所には平和が存在し得るのです。つまり、国連の合意のもとにある占領下の地では、調和が存在し得るのです。「占領」、それは、私の見解では全ての痛みと受難、また、私たちの国における安全管理の不足の根源的な原因となっているものであります。皆さんの国が占領下に置かれていたり、めちゃめちゃに壊された家や人間の体の部分が散らばっている中で、あなたは平和と安全を楽しむことはできないでしょう。私たちを分離してしまう中垣は、和解への道を強固にすることは決してありませんが、私たちをつなぐ掛け橋だけが、それを可能にします。防衛は、前提条件ではありません。それは結果です。もっとも安全な境界線(国境)を完備することとは、壁を築くことではなく、和解した隣り人がそこにいることです。安全のために隔ての中垣を作るのではなく、掛け橋を作ること、それが私たちクリスチャンの務めなのです。

 和解は、私たちを悪魔に対する戦いへと誘います、いかにして?

 ある時、偉大なるインドのマハトマ・ガンジーはこう言いました。「この世における悪の力や不正と戦うことを拒むのは、私たちの人間性に降伏してしまうことだ。悪の実行者によって武力を帯びて、悪の力と戦うことは、あなたの人間性に従事することだ。神の武器を帯びて、悪の力や不正、抑圧と戦うことは、神の業に従事することだ」と。私たちも、神の武器によって戦いましょう!
 和解は、勇気を必要とし、単に許すだけでなく、忘れることも要求するものです。

 最後に、それは誰の役割ですか?

 平和を実現することは、世界の政治家たちだけの業務ではありません。自分たちの考える政治的経済的な興味や利益を、保障したり守ったりするための、新たな秩序を設置したい人の役割でもありません。その役割は、私たちのものです。神の子どもになるということを信じている皆さんと私たちの仕事です。聖パウロの言葉がそれを語っています。「神は、キリストによって世をご自分と和解させ…(和解の言葉を)私たちに委ねられた」のです。誰か他の人に、ではないのです。

 その仕事は、全面的なかかわりが必要でしかも非常に犠牲も大きい

 養鶏場の鶏と養豚場のブタが、ある時一緒に逃げ出して、大きな街の中心地にやって来ました。鶏は、「美味しい卵とベーコンをお安く提供します」というスーパーのチラシを見て、ブタに言いました。「これ見てよ。私たちは、この人間どもを食べさせるのに本当に貢献してるのに、ちっとも感謝されないじゃないか!」
 すると、ブタは言いました。「いやあ、そう言うのは簡単だけどね。もっともあなたがたは寄贈していればいいだろうが、ぼくらの場合は、全面的な献身だからね」。
 私たちは、全面的な献身をする用意ができていますか?元カンタベリー大主教、ケイリー師の好んで用いた祈りを、一緒に祈りましょう。

 主イエス・キリストよ、木材と釘をもって細工された十字架を通じて、人類に救いをもたらしたナザレの大工職人よ、あなたのこの仕事場で、あなたの道具で充分に細工してください。そうすれば、あなたのもとにある私たちも、粗いけれど少しは仕事をすることができるでしょう。あなたのみ心のままにものを作り上げることができますように。あなたの優しい憐れみによって、アーメン。

 

 

[二〇〇四年九月二〇日]

第98(定期)教区会開会演説

主教 植田仁太郎

 今日は、折角のお休みのところ,教区会にお集まり下さいまして感謝申し上げます。

 春の定期教区会は、教区会が年二回行われることが慣例となりました時から、主として前年の教区の活動報告ならびに前年の決算報告を致す機会となっております。もちろん、教区の最高議決機関として、その時機に決議していただかなければならない案件も、その都度提出していただくことになります。それと、もうひとつ大事なことは、教区の常置委員を選挙していただくことです。

 何年か前に常置委員選挙方法に関するガイドラインを採択し、昨秋の教区会で、そのガイドラインを改正致しました。このガイドラインは、日本聖公会法憲法規が規定する範囲内で、東京教区独自で定めたものです。その目的は、事前に候補者を立てることができるようにしよう、というものです。ただし、法憲法規に抵触しないよう、候補者として認められた方以外も被選挙権を有する者であることを当然認めております。そしてそのガイドラインは、教区会開催の公示があった後に、代議員から候補者を推薦したいという要請があり、議長がそれを妥当と認めて、初めて発動されることになります。今回は、どなたからもそのような要請がございませんでしたので、この選挙方法ガイドラインは適用されず、旧来の方法、すなわち、全く特定の候補者を立てず教区内の全ての成人の現在受聖餐者が被選挙権を有する者として選挙を行うことになる、ということをまずご報告致します。

 この機会に、常置委員会の実際的な役割について、ひとこと述べさせていただきます。

 法憲法規に言及されております、常置委員会に託されております役割の全てをここに拾い出すつもりはございませんが、「主教制」という教会制度を持っております聖公会にとって、常置委員会は極めて重要な役を負っていただくことになることだけはお憶えいただきたいと思います。いわば、主教が最終決定しなければならない事柄全てに、意見具申する責任を負っていただきます。主教は、極めて多岐に渡る事柄、特に財政・人事に関して、多くを常置委員会の助言に頼ることになります。常置委員会の会合は、原則的に月に一回開催されますが、その会合が深夜にまで及ぶこともしばしばで、臨時の委員会を開催しなければならないこともございます。信徒常置委員の方々は通常のお仕事を持ち、聖職常置委員の方々も牧会する教会の責任の上に、この重要な役を負って下さっており、私は、日頃から、常置委員の皆さまの献身的なお働きに心から感謝致しております。代議員の皆さまの、常置委員諸兄姉へのご支援をお願いする次第です。

 さて、この常置委員諸兄姉のお知恵をいただきながら、二〇〇四年4月以降の教区の教役者(司祭・執事・伝道師・教育課程を終えた聖職候補生)の配置を、最近ようやく終えることができました。一部教会で、小職の認識不足が原因で、多少混乱を生じることとなりましたことをお詫び申し上げます。

 この教役者の人事配置は、聖公会の伝統の中では、主教職を分ち持つ教区の聖職団を、教会全体の宣教・牧会・伝道のわざにどのように用いることが、イエス・キリストの身体としての教会を体現することになるか、という基本から出発することになります。その基本の中には、言うまでもなく、信徒もできる限りそのわざに参画していただくことを奨励することも含まれます。世の中の組織の人事異動のように、教役者の適材適所という観点も全く無いわけではありませんが、ローマ・カトリック教会で近年強調されております信徒使徒(主教)職をどのように発揮していただくか、という視点を充分に取り入れるということでもあります。信徒は、聖職団の司牧の対象――製品販売会社の顧客、サービス会社の顧客、カスタマ――であるよりは、協働者であるとういう考え方を、教役者も信徒も持つように期待されているということです。それは、教会が、より大きな社会の中に存在しており、教会が全体として、社会の司牧に当るという考え方を持とうではないか、という呼びかけであると思います。

 そのような基本理念に基づいて、教区(すなわち教会全体)の力の配分の調整を行うということが、主教の責任において教役者の人事異動を行うことに表われてくるという次第です。4月というのも、別に絶対的な異動期ではなく、教役者のお子さんの学校とか、教役者の生活のサイクルに合わせたもので、必要と判断されればその他の時機にも異動をお願いすることになります。また、官庁や公立機関の人事異動のように、個人に関して定期的に命じられるわけでも、一種の人事評価に基くものでもありません。

 近年、この東京教区の聖職団の働き方と、信徒使徒職を最大限に発揮していただくことが形の上で表すことになる教役者の人事異動で、心がけていることがいくつかございます。

(1) 信徒の皆さんを同労者と位置づけるにしても、その中心を担っていただくのは、教役者です。ただし、教役者の数は限られますので、その力を大教会・小教会の別無く分ち合っていただく。

(2) 同労者である皆さんには、教役者のサービスの受け手(カスタマー)としてよりも、教役者を育て、励ます役割を一層負っていただきたい。

(3) 教会の宣教・牧会・伝道のわざのために備えられている賜物(教役者・信徒という人材、教会関係の施設・グループ、その他の資源)に、日本聖公会の中では比較的恵まれている東京教区は、聖公会全体のためにその賜物をできる限り分かち合いたい。

(4) 定年退職をされた聖職の方々のお力を、そのご意志を尊重しつつ、拝借したい。

 これらの点は、現実に教役者の異動が無い教会の方々にも、ご理解願いたいことです。以上のことを念頭におきつつも、実態としては、聖職の人数が限られている現状では、多くの教役者に管理牧師の任務を兼務していただいたり、信徒の方々に多くの働きをお願いする結果になっていることは、良く認識しております。また、教会の働きは、あらゆる点で人間関係を基礎としていることは事実であり、人事異動の結果、多かれ少なかれ、新たに赴任する教役者との間で、その人間関係(交わりの共同体)を築き直していただく努力をお願いしなければなりません。

 それにつけても、教区にさらに多くの教役者が与えられることを祈らざるを得ません。現在東京教区には、十二人の聖職候補生と聖職候補生志願者が与えられております。この方々が、神様と教会の期待する働き人として成長されてゆくことを願うものですが、この方々が向う数年のうちに、次々と候補生としての教育課程を終えられるという時期を迎えますと、いくつかの実際的な課題も教会全体として考えてゆかなければなりません。通常、それぞれの候補生に課せられます教育の期間を終えますと、実際の宣教・牧会の現場に派遣されてさらに研さんを積まれて、執事、司祭に按手されることになります。この期間は、指導する司祭のもとで、ある働きを担いつつ、研鑽されるということになりますが、指導司祭と候補生もしくは執事が、チームとして働いていただく環境(住宅)を備えて下さっている教会は、そう多くはありません。その課題に積極的に応えてゆく方向としては、たとえば、二人のチームで、一つ以上の教会の宣教・牧会を担うとか、二人のチームのために、少しでも財政的余裕のある教会は二つの住居を備えていただくとかの方途を、余り遠くない将来に展望していただく必要があるでしょう。現在の候補生や志願者の多くが、ご家族持ちの方々であることを思えば、なおさらのことのように思います。今から、皆さんのお心に留めていただければ幸いです。

 このような教役者配置の現況と近い将来を考えます時、これを支援する教区の体制ということも考えなければなりません。ひとつは信徒使徒職の強調につながる、自立的信徒の養成で、これは、徐々に信仰と生活委員会や正義と平和協議会、その他の教区諸委員会の活動をとおして、その焦点が定められつつあります。また、教会グループの自主的な活動の中でも、そのような方向性が見られることを、大変嬉しく思っております。

 昨年の11月の教区会開催以降、教区の教役者の配置について小職の関心の多くを割きましたので、以上のような展望を申し上げることとなりました。

 最後に、正義と平和協議会の発意で実施致しました、中東聖公会エルサレム教区への訪問は、随行して下さった方々共々、パレスチナの人々の強い正義と平和への願いをひしひしと感じさせてくれるものでした。イスラエル国家との間で起きている紛争の結果、同教区への訪問者も激減している中で、その紛争の本質を理解してくれる仲間を、世界中に求めている切なる思いを受け取ることができました。エルサレム教区主教も、東京教区をとおしてパレスチナの人々の願いを日本の世論に訴えたいとの希望を持っておられ、今秋に、東京を訪問して下さることを内諾して下さいました。今、始まろうとしている交流をとおして、世にある教会の、和解と正義と平和への努めについて、一層の理解と証しが前進すれば、と願っております。

 それぞれの教会が見出し、取り組んで下さっている、宣教・牧会の課題に、本年も、教役者・信徒が互いにパートナーとして歩んでゆくことができますよう、共に聖霊の助けを求めたいと思います。

[二〇〇四年三月二〇日]

パレスチナの聖公会・エルサレム教区訪問を終えて

行って自分の眼で確かめてごらん

今般東京教区の主教他、12名は2004年2月3日から10日間、エルサレム教区を訪問することができました。この計画を推進した東京教区「正義と平和協議会」は、世界の紛争の縮図ともいえるパレスチナの地にある教会の仲間から、その正義と平和を求める信仰と教会の使命について学び、そしてそれを分かち合うことを、訪問の第一の目的としたいと考えてきました。東京教区内には、マスコミで報道されている“危険”な地域に、殊更この時期に訪問団を送ることは必ずしも適当ではないという声もありました。日本政府も、パレスチナ・イスラエル地域を“危険”地域と指定し、一般旅行者には渡航を控えるよう勧告しています。毎年多くの「聖地旅行団」を送り出している日本の諸教会も、過去ニ・三年来そのような旅行団を組織していないようです。

にもかかわらず…・というより、だからこそ、私たちはこの困難な中にあるパレスチナ・イスラエル地域の主にある兄弟姉妹たちを、今訪ねたいと思いました。従って、訪問先ではなるべく多くの方々と出会い、その状況から学んだことを、日本ならびに世界の主にある兄弟姉妹に伝えたいと願ってきました。

以下は、私たちの10日間の訪問を通じて学び、理解し、そして語り伝えたいと強く感じた点です。

  1. イスラエル政府によるパレスチナ自治区を囲む「壁」の構築は、西岸及びガザ地区の人々の生活を脅かし破壊しており、国連決議により合意されたイスラエル・パレスチナ自治区の境界を無視していること。
  2. イスラエル政府による西岸及びガザ地区内のユダヤ人入植地の建設は、(そしてそれをつなぐ道路網の建設は)パレスチナ自治区での人々の生活と生存を危うくするものであり、1948年のイスラエル建国以来の様々な手段(戦争、暴力、嫌がらせ等)による、パレスチナ人所有の土地奪取が現在も進行していること。
  3. また、イスラエル国内のパレスチナ人は、イスラエル国民であるとされながらも、行政、雇用、教育、医療、社会サービス、司法、住宅/土地所有などのあらゆる面で差別を受け、国民としての権利をユダヤ人とは同等に与えられていないという現実。(イスラエル国内における「アパルトヘイト」状況)
  4. 世界の諸教会、特に原理主義的傾向の強い教会は、イスラエル国内のユダヤ教徒との連携と協力を強め、パレスチナ人クリスチャンの意志を無視し、結果としてイスラエル政府のパレスチナ人弾圧に加担していること。(「クリスチャン・シオニズム」と呼ばれている状況)
  5. 上記のような状況のなかで、パレスチナ・イスラエル双方が希望を見出せない状態になっており、特にパレスチナ人クリスチャン達についていえば、他国へ移住する決断をせざるを得なくなり、教会の存続が危くされていること。
  6. パレスチナ人クリスチャン達をはじめ多くのパレスチナの人々は、この状況の中で、イスラエル軍・イスラエル市民に暴力的に抵抗すること(たとえば、いわゆる自爆テロ)に反対しており、パレスチナ人、イスラエル国民はそれぞれに、正義と平和を求めているにちがいないと感じたこと。
  7. にもかかわらず、国際的合意を全く無視して、様々な方法でパレスチナ人の土地を奪い、家屋を破壊し、勝手に道路や地域を封鎖するというイスラエル政府のやり方は、テロに匹敵する非人間的行為であること。
  8. パレスチナ人クリスチャンの願いは、国際社会の中で、また全世界の教会の交わりの中で、彼らの状況と声が少なくともそのまま認証(recognition)され、広く世界に伝えられることにあること。
  9. パレスチナ人クリスチャンと教会は、これらの絶望的な状況のなかで、世界の理解ある諸教会の人々の援助を得つつ、パレスチナ人の教育、医療、福祉のために最大限の努力を続けていること。
  10. 以上のような理解と学びを通し、日本聖公会東京教区においてもエルサレム教区との交わりが継続的、かつ相互的なものとなるよう努力しなければならないこと。

言うまでもなく、パレスチナ・イスラエルを訪問することによって、私たちは聖書の世界、イエス・キリストの歩まれた歴史的な地に直接触れることの恵みを与えられました。ガリラヤ湖畔で、イエスの時代と変わらぬ自然にふれ、エルサレム聖ジョージ大聖堂とナザレの教会で、主にある兄弟姉妹と共に聖餐にあずかることができたことは、かけがえのない信仰の体験となりました。この体験を私たちの信仰の養いにするとともに、現実にそこで生活している人々の苦難と希望を、みなさんにお伝えしたいと思いました。

この訪問を可能にして下さったエルサレム教区の皆様、日本聖公会東京教区の皆様に、心より感謝致します。

一日も早く、この地に正義と平和がもたらされますよう に………。

 

   エルサレムにて

 

日本聖公会東京教区 主教 植田仁太郎

随行員                 
司祭 井口 諭(神田キリスト教会)
司祭 神崎 雄二(聖救主教会)
岩浅 紀久 (東京聖マリア教会)
大畑 智 (聖アンデレ教会)
梶山 順子 (聖マーガレット教会)
黒澤 圭子(聖テモテ教会)
鈴木 茂 (聖アンデレ教会)
松浦 順子 (聖マルコ教会)
宮脇 博子 (教区宣教主事)
吉松さち子(聖オルバン教会)
八幡 真也(管区渉外主事)

 

2004年2月12日

 


 

行って自分の眼で確かめてごらん

聖オルバン教会 吉松さち子

行って自分の眼で確かめてごらん

イエス様がお生まれになったベツレヘムの街

かつてあんなに巡礼者でごった返していたあの街が

ここ2,3年は観光客も途絶えたという

金を掘りつくして人々が去っていった

ゴースト・タウンのような街で

「あなた方が一月ぶりのお客様」と喜ぶ老店主

棚に置き去りになった聖母子像には埃が一杯

行って自分の耳で確かめてごらん

マリア様が受胎告知を受けたナザレの街に

かつてあんなに巡礼者で賑わっていたあの丘の街に

「今は通行許可書が必要で、それがないとイスラエル軍の

関所は通れないのよ。そんなに遠くない所に住んでいる

娘や孫に会いたいが、それもままならないの」

と涙ながらに嘆き訴える老婦人の声を

行って自分の肌で感じてごらん

イエス様もこの岸辺に立ったというガリラヤの湖畔に

2000年前と同じように風は肌を撫ぜ

湖畔の水は細波を立てている

道端にはアネモネが赤く

限りなく青い空に向かって咲き乱れているのに

   「この聖地にクリスチャンが2%しかいなくなってしまったの」という

    人々は傷つき、嘆き、そして将来を不安に思い、去ってしまった

    カナダへ、ドイツへと

    残されて行き場のない人々は

    壁の囲いの中に閉じ込められて

    檻に入れられた家畜のように

    自由に外出することも出来ない

乳と蜜の流れる”国で

    いまも無用な鮮血がながされている

    昨日もガザではイスラエル軍の攻撃を受け

    数十人のパレスチナ人が亡くなった

    世界中の和平への期待をよそに

    歴史の歯車を逆転させたのは、誰か。

    アメリカの詩人ロバート・フロストの

    “塀直し“ (Mending Wall) という詩の中で

    “隣人”は”よき塀あってのよき隣人“と繰り返す

    そして、詩人は彼に聞く、

    “塀をつくるのなら、何を締め出し、何を囲い込もうというのか”

    突き抜けるような高い空に

    グンと伸びたむきだしのコンクリートの壁が

    パレスチナ人の人として自由に生きる権利を

    奪い去ってしまった

さあ、今度はあなたたちですよ

行って自分の眼で、耳で、肌で確かめてください

そして、共に行動を起こしましょう!

パレスチナ人の人としての尊厳を守るために

〈東京教区新年礼拝説教〉
第二イザヤが私たちに呼びかけていること

主教 植田仁太郎


 今日は二〇〇四年度にあらためて、教区の諸委員会の委員をお引き受けくださった方々にお呼びかけして、ご一緒に私たちに与えられた責任を自覚し、神さまの前に、神さまの道具となって、謙虚にその務めを果たすことを誓いましょう…そういう機会を持ちたいと思いまして設けました礼拝です。昨年は、各教会の教会委員に選任された方々に呼びかけました。各教会委員さんであれ、教区の諸委員としてご奉仕くださる方であれ、その務めの本質は同じだと思います。事実上、両方の務めを重なって担ってくださっている方も沢山おられるでしょう。いわば教区というひとつの楕円形の二つの中心のように一つはそれぞれの教会という視点から、もう一つは教区全体という視点から大きな意味での教会の成長を目指す上での無くてはならない二つの視点に立っていただこうということです。

 昔、算数を勉強したときに、楕円形を描くには二つの点の間に紐を弛むように留め、その紐をピンと張るような形で二つの点のまわりに鉛筆を動かせば楕円形が描けると教わりました。教区というのは、主教を中心とした同心円ではなくて、各教会という一つの点と、教区全体というもう一つの点の周りに描かれる楕円であると私は思っています。主教はいわばそのふたつの点の間に渡された紐みたいなもので、それを用いて教区の皆さんが楕円形を描いてくださればいいと思っております。そういうわけで、教区の各教会の視点を持っていただく教会委員と教区全体という視点を持っていただく教区の諸委員と、一年ごとに集まって礼拝をすることにしたいと思っております。しかし今も申しましたようにその果たす役割は本質的には同じことです。二つの視点をしっかりさせた上でいつもはデレッとしている紐である主教をピンとさせて楕円形を描くということです。

 さてこの頃、毎日テレビ、新聞のニュースでは何やらキナ臭い自衛隊の駐屯地だとか装備だとか攻撃だとか正当防衛だとか、そういう戦争、軍隊用語が飛び交っています。それが通常の世界、日常の世界となってしまって良いのかどうか、大いに疑問です。そういうことが当たり前になって良いのかどうか私たちは注意しなければならないでしょう。そのニュースの焦点となっているイラクの地は、実は先ほど読んでいただいた旧約聖書が問題としている地と、たまたま全く同じ地域です。おおよそ二五〇〇年前も旧約聖書の主人公であるイスラエルの民がイラクという土地に注目しておりました。勿論、イラクという地名ではなくバビロンという地名で呼ばれている地域です。先ほど読んでいただいたイザヤ書51章にはこういう背景があります。

 イザヤ書は一つの書物ですが、学者によれば三つの本の合本だそうです。そして、学者たちはそれを第一イザヤ、第二イザヤ、第三イザヤと呼んでおりまして、これは真ん中の部分、第二イザヤと呼ばれる書物です。イスラエルの民が何万人という単位でバビロニアに捕虜になりました。その捕虜になった人々が、バビロニアの支配者が代わったお陰で何年か後にいよいよ帰還してよいということになりました。それは強制連行で日本に連れて来られた韓国・朝鮮人の人々が、日本が戦争に負けて日本の支配体制が代わった機会に帰ってもいいよといわれたのと良く似ています。帰ってもいいよと言われても帰りたいのは山々だけれど、連れて来られて何十年も経ってしまえば、はいそうですかとすぐ帰る決心がつくというわけでもない、帰る道筋だってちゃんと送り届けてくれるわけではないし、色々苦難が予想される。で、そこで二五〇〇年前のバビロンでも、せっかく故国に帰る可能性は開けたけれども、みんな帰ろうじゃないかというリーダーの呼びかけに従ったのは結構少数だったということです。

 終戦後の日本でも、日本に謂わば拉致された何万人という韓国・朝鮮人の人々の中でも日本に残った人と帰った人と居りました。それと同じような状況でした。そのバビロンから故国エルサレムに帰ろうと呼びかけたリーダーが第二イザヤという名で呼ばれる預言者です。その預言者が、神さまが昔から約束された土地に帰って、神さまとの正しい関係をもう一度築き直そうよ、と呼びかけたのですが、折角与えられたチャンスを前にして、ほんの少数の人しか一緒に来ないという現状を見て、歌ったのがこの箇所です。このように歴史的、社会的背景は中々複雑です。

 第二イザヤが立っている場所は現代のイラクですが、その語ってる背景は違います。それなのに何故、私たちはこの二五〇〇年前の第二イザヤの呼びかけを未だに大切にしているのでしょうか。旧約聖書は膨大な書物ですから現代に意味があることをそこから見出すのは中々大変です。明らかに現代ではどうでも良いことも沢山書かれています。歴史の古文書としての価値はあるでしょうが、現代の私たちの信仰にとってどうでも良いこと、必要ないことも沢山含まれています。そうであってもイザヤ書、特に第二イザヤは現代の私たちにも極めて大切な信仰の書とされています。バビロニアがどうのこうの、エルサレムに帰るの帰らないの、というのは現代の私たちにはどうでも良い歴史の一頁に思えます。二五〇〇年も前の一つの国際的な事件を背景にして記された文書から私たちが現代学ぶことは、その事件を背景にして語る預言者の観察と呼びかけです。多くの人々が帰国を前にして躊躇しているのを見てがっかりしながら、預言者はそれを神が与えてくださった一つのチャンスと見て取ります。何を躊躇しているんだ、私たちの神さまはアブラハムの妻に素晴らしいことをしてくれたのではないか、エジプトの奴隷状態から助けてくれたではないか、それを忘れたのか…「奮い立て奮い立て遠い昔の日のように」。つまりその神に依り頼めば不安材料は小さなものだ、これは大きなチャンスだと預言者は呼びかけます。

 第二イザヤと呼ばれる預言者ばかりではなく、旧約聖書に登場する全ての預言者は皆同じです。どんなひどい苦しみの中にあっても、どんな神の審きと思われる状況の中でも、これはチャンスだと呼びかけます。悔い改めのチャンスだし、新しい出発のチャンスだし、与えられたものを生かすチャンスだし、神をもう一度見上げるチャンスだし、新たな喜びと恵みを感じることの出来るチャンスだ、と呼びかけます。現代的に言えば、預言者は人生はいつも神様の与えてくださるチャンスに満ち満ちている、今現に与えられているものから出発しよう、という人生に前向きの人々です。

 さて教区の委員として推薦されたり、選ばれたりした皆さんは、どうして推薦されたり、選ばれたりしたのでしょうか。何か特別な能力が認められたからでしょうか。何か教区に対して功績があったからでしょうか。何か学歴がモノを言ったのでしょうか。そうではないことは皆さんご自身が良くご存知です。常置委員会が各委員長さんを選び、また委員長さんに推薦された方々を選ぶのに別に履歴書を見ているわけではない、勿論テストをするのでもない…。

 教区が皆さんにある役割を担っていただくようにお願いするのは、何よりも皆さんがあのいにしえの預言者のように人生に向かって前向きである人だと確信出来る方ですし、またブツブツと無いものネダリをするばかりの人間ではなくて、今与えられてるものから出発しよう、今は一つの神さまが与えてくださるチャンスだと考えらえる方々だからです。それは第二イザヤの表現を借りれば「正しさを求める人、主をたずね求める人」ということです。イザヤの呼びかけに多くの人は躊躇しましたから全部が全部イザヤが言うように、今は神の与えられたチャンスだとは考えられなかった。東京教区の方々全部がやはりそうではないかも知れませんが、皆さんは「正しさを求める人、主をたずね求める人」だと私は信頼申し上げております。

 その人たちに向かって、リーダーである第二イザヤは何と言っているでしょうか。この長い51章の文書の中から「○○せよ」という命令形の呼びかけの部分だけを拾い出して見ると、今が神さまの与えてくださったチャンスだ、現に与えらえた状況から出発しようと考えられる人はこうしなさい、ということがはっきりしています。 まず「私に聞け」とある。これは預言者が神さまになり代わって言っていることです。「私に聞け」は何度も出て来ます。「あなたたちが切り出されてきた元の岩、掘り出された岩穴に目を注げ(1節)」。これは自分が自分自身一つの孤立した存在になるのではなくて全体の一部だ、いわば「教会の、教区の一部だ」ということを忘れるなということでしょう。

 そして「あなたたちを産んだ母サラに目を注げ(2節)」と命じます。人類はみなアブラハムとサラから生まれたという神話に基づいた呼びかけですが自分が勝手に生きていると思ってはいけない、私たちはみな人類の営みの一部として生まれてきているのだということを憶えて欲しい、ということでしょう。そしてまた「心してわたしに聞け。…わたしに耳を向けよ(4節)」、そして「天に向かって目を上げ下に広がる地を見渡せ(6節)」と命じます。つまり文字通り、宇宙全体を見渡すつもりで広い視野でものを考えろということでしょう。そして三たび「私に聞け」です。そして「奮い立て奮い立て(9節)」と続きます。

 つまり、今が神さまの与えられているチャンスだと考えられる人は何をしなければならないか、というと、「神さまに耳を傾けよ」ということが最も大切なこと、そして私たちは全体の一部に過ぎない、人類の営みの一部だ、それを忘れるな、ということ、そして広い広い視野を持てということでしょう。

 私たち、聖職も信徒も教会の人間として何事かを託される人は、世間とは全く違った基準で選任され、またそうやって選任された私たちは、まず神さまに耳を傾けるところから始めなさい、と預言者は言います。

 教会はこの世の組織としてまた人間の共同体として、企業的側面も学校の側面もまた趣味のサークルのような面も、NGOのようなある目的のためのグループのような側面も持っておりますが、それを支える私たちに求められるのは、能力や学識や技術をはるかに超えて「正しさを求め、主をたずね求める人」であること、そして神に耳を傾けること、いつも全体の一部であることを忘れるなということ、宇宙的視野でものごとを見、また考えられる人となってゆくことだと教えられています。この意味で二五〇〇年前にイザヤが呼びかけたことは、未だに教会に連なる私たちに力強く語りかけるものを持っています。

 ここにいくつか挙げた資質を一言で言ってしまえば、信仰によって生きている人ということです。神さまに耳を傾ける、つまり神さまの前にいつも謙虚になる、という意味でご一緒に嘆願をいたします。ご一緒に祈りのうちに、教区と教会の成長に私たちが私たちの力を出し合うことが出来るようにお祈りしたいと思います。

 

〈2004年1月24日〉

第97(定期)教区会開会演説

 教区会にご参集下さいましてありがとう存じます。

 春・秋と召集されます教区会は、春は主として前年の教区の働きの報告、そして秋は、主として次の年の教区の活動計画を議する機会となっています。そして、教区の活動の中で明らかになった、機構や制度の修正が必要となった場合には、その都度教区会に諮って検討することとなっております。前年の評価と反省に立って次年度の歩みを決定するという意味では、春の教区会と秋の教区会は、八ヶ月隔たっているとはいえ、検討する事柄の精神はおのずからつながっているということでもあります。

 昨年11月の教区会で採択されました、「信徒代議員に女性が一層選出されるための方策を実施する件」という決議を各教会の皆様が真剣に受け止めて下さった結果、一年後の今日の教区会にご出席の女性の信徒代議員の方々は、信徒代議員総数の35%を越えることになりました。「…未だし」という感想をお持ちの方もおられるでしょうが、少くとも、教区で協議し、教区で合意したことに沿ってそれぞれの教会がご努力下さったことに、敬意を表したいと存じます。

 春と秋の教区会は精神においてつながっているという意味で、この春にはやや準備不足の感が否めなかった・そして、結果として撤回された・、「教区常置委員選出方法指針」の改定を、もう一度今回改めて皆さんに検討していただくことになっております。いずれにしても、これらの一連の施策は、教区会と教区常置委員会という教区の意思決定機関に、教区の皆さまの思いと声を、できるだけ適切に反映させたい、という願いからであると信じております。そういう流れのひとつの表れとして、この教区会にも、教役者議員はともかく、この二、三年のうちに、新らたに信徒代議員に選任されて出席して下さっている方が多くなったと思います。その方々を歓迎申し上げる気持ちとともに、教区会というものの位置づけについて、ひとこと申し上げたいと存じます。

 ちょうど二週間前に、毎年行っております、聖職養成委員会主催の教役者研修会が二泊三日で行われ、今回は、「教会法」を学ぶことが、そのテーマでした。半分はそこで学びましたことの請け売りですが、「教会法」といった場合、それは、教会のどこかに「六法全書」のような法律集があって、それが教会の運営の全ての法律となっている、という意味ではありません。(ローマ・カトリック教会では、それに似た包括的な法律集がありますが)聖公会の場合、それらしいのは「法憲法規」だけです。しかし、教会法というのは、そのような法律集に限られるものではありません。むしろ、聖書・祈祷書・教会会議の決議である信経、すべてが広義の教会法にあたります。それに加えて重要なのは、現にいのちを持って存在し、働いている教会・教区・管区のそれぞれのレベルで協議され、合意される事柄が、いわば教会法の延長とみなされます。その意味で、(各個教会ではなく、the Churchという意味での)教会は、特に聖公会は、いわゆる議会制民主々義という政治形態が生まれる以前から、合議制によってものごとを決定してゆくことを大切にしてきました。そして主教は、その合議制に基く合意を保証してゆく、教会の意志を代表する者として見なされることとなりました。

 従って歴史的な主教制度を引き継いだ教会は、ことに主教のこの責任を重視し、主教のもとにある(各個教会ではなく)ひとつの教区を、全体的教会の地域的単位と考えてきました。もちろん、宗教改革以降、このような制度に異を唱えて、ひとつの会衆(各個教会)こそ、全体的教会の唯一の表明であると主張する会衆派や、バプテスト教会も存在することとなりました。しかし私たちは、教区こそ、全体的教会の最少単位であるという伝統に立ってきております。(だから「オレの言うことを聞け!」と申しているのではなく)教区会というものは、単なる東京教区という教会連合体の運営について意見を交わす場であり機関である以上に、全体的な教会のいのちに関わる事柄を考えるひとつの重要な機会であることを憶えたいと思います。

 そして、その教会のいのちの働きを実際に担って下さっているのは、各教会の牧師とともに信徒の皆さんです(もちろん主教の責任も重いことも確かです)。いのちを持って生きている教会ですから、時代とともに盛衰があり、強大になったり、弱体化したりすることがあるでしょう。いのちを保ちつつ、耐え忍ぶ時があり、闘う時があり、生き延びる努力をする時があり、大いに成長する時があり、また将来を望み見て備える時があるでしょう。そのいのちが生きるよう命じられた時代がどのような時代であれ、その中で、世の中の苦しみと痛みと重荷をともに担うことの中に、そのいのちは喜びと希望を見出します。イエス・キリストの身体といわれる教会は、別の言葉で申せば、神を指し示しつつ、実際に神の国の片鱗を実現するいのちある共同体です。

 その共同体に洗礼・堅信をとおして加わって下さる方が与えられるというのは、いのちある共同体の生きている確かな証拠であるように私は思います。それぞれの教会で洗礼・堅信を受ける方が絶えず与えられ、教会で洗礼式・堅信式のサクラメントが行われるというのは、いのちの心臓の鼓動のように思います。洗礼・堅信が久しく行われない教会があるとすると、その教会のいのちがやや弱っていると言わざるを得ないでしょう。ひとが、教会の共同体に導かれその共同体の一員として生きることを決断することになるには、実に様々な要因と力と祈りが働く結果なのであって、まさに「神さまの導きによって」としか言い様がありません。

 また東京教区の多くの教会では、専任・定住牧師が与えられず大きなハンディを抱えています。ですから、時には、いのちがやや弱ってしまうという徴候が表れるのも避けられないことかもしれません。にもかかわらず、二〇〇三年は今日までに一三四人の堅信受領者が与えられました(二〇〇一年度は五八人、二〇〇二年度は一一六人)。私はこれらの数字を挙げるとき、それを何か私たちの意図した業の達成を表わすものとは考えません。むしろ、教会いのちに触れて下さった方がこれだけいらっしゃったという望外の喜びの数として受けとっています。教会のいのち、神の国の片鱗を分ち合って下さる方が与えられるというのは、そのいのちの営みに教区の聖職・信徒の皆さまがそれだけ真剣に参与して下さっていることを示しているものとして、喜びを共にしたいと思っております。

 各教会に託された日常の宣教・奉仕・交わりの業をとおしてその喜びを常に持ち続ける教区・教会として二〇〇四年度もご一緒に励みたいと思いますが、同時に、教区としてのそのいのちに連なる業を続けたいと思います。

 一年前に宣教委員会を改組して、「信仰と生活委員会」と「正義と平和協議会」を発足させ、宣教委員会の持っていた広範な活動分野を二つの焦点に絞るという方向に歩み出しました。信仰と生活委員会が打ち出しました信徒の研修と子供へのミニストリーを自覚的に進めるという重点方針を引き続き喜んで支えたいと思いますし、それとともに本教区会で正義と平和協議会がお諮りすることになる「エルサレム・中東聖公会との交流」という新しい歩みにも意を注ぎたいと考えております。

 世界の聖公会との連帯と交わりは、常に東京教区の働きに新たな認識と友情と刺激と挑戦を与え続けてきました。歴史的には、大韓聖公会、フィリピン聖公会、アメリカ聖公会メリーランド教区との交わりは、私たちに神さまの呼びかけに応じる多くの機会を与えてくれました。今、私達の心を痛めている世界の戦争と紛争そしていわゆるテロの脅威の根幹にあると思われるのは、五〇年間満足な合意を得られないまま苦しみと犠牲だけを生み出してきたイスラエルとパレスチナの問題です。

 そのパレスチナの地で、私たちと信仰を共にする聖公会の人々が苦闘している体験から、私たちが学ぶべきことは実に多いと思われます。かつて東京教区をエルサレム教区主教、ナザレの教会の司祭(現主教)が訪問されましたが、当時は残念ながら両教区の交わりにまで発展することはありませんでした。小さな教会の交わりが、ただちに平和をもたらすことはできないでしょうけれども、その交わりの種が将来どんなに大きく育つものか私たちは、大韓聖公会、フィリピン聖公会、メリーランド教区との交わりの中で実際に体験してきました。

 私たちの各教会での礼拝と交わりと奉仕が営々と続けられる中に、教会のいのちがあり、そのいのちを分ち合ってくれる方々が次々と与えられる喜びがあります。また教区全体として、お互いの教会を支え合う働きと、世界の聖公会との交わりを継続することになります。

 終りに過去二年間にわたって私が教区会の席上で所信表明致しましたことは、依然として私の宿題として残っていることは言うまでもないことを申し上げ、それに加えて本教区会と、来年に向けての私の期待するところを述べさせていただきました。

(了)

[2003年11月24日]

2003年平和アピール

日本聖公会東京教区 正義と平和協議会

2003年8月1日

正義と平和協議会 議長 香山洋人

 

主の平和が皆さんとともに

今年も敗戦から五十八年目の八月十五日をむかえようとしています。日本国民はもちろんのこと、アジア太平洋地域に多大な犠牲をもたらせた戦争の反省に立ち、日本は軍備を放棄し平和の道を選択しました。戦後の日本社会は、憲法を拠りどころとし、民主主義の確立と、アジアの人々との和解に基づく世界平和への貢献を目標として努力してきたはずでした。しかし、今日、日本政府はアメリカの一国覇権主義に追随しながら「新ガイドライン法」、「イラク新法」、「イラク特措法」を制定するなど、多大な犠牲と半世紀にもわたる努力を踏みにじるかたちで平和憲法を骨抜きにし、アフガニスタンやイラクの人々への武力行使に荷担し、「ゲリラ戦状態」といわれるイラクに自衛隊員を送ろうとしています。これはアジア太平洋戦争のすべての犠牲者、今もその被害を受け続けている人々に対する背信です。私たちはこのように歴史を逆行させることによって、未来を担う世代に負いきれないくびきを課すことになることを自覚しなければなりません。

自民党の麻生太郎政調会長は、五月三十一日の講演会で、「朝鮮人の創氏改名は朝鮮人が望んだこと」、「ハングルは日本が教えた」、などと述べました。また、七月十三日には、自民党の元総務庁長官江藤隆美氏が、「南京大虐殺(の死者)が三十万人なんてでっち上げのうそっぱち」、「新宿の歌舞伎町は今、第三国人が支配している無法地帯。そういうのが犯罪を犯している」などと述べました。江藤氏は総務庁長官時代にも「植民地時代、日本は韓国によいこともした」と発言しています。言うまでもなく、これらは事実誤認であるばかりか、中国、韓国、北朝鮮の人々や、日本による植民地支配の犠牲者たちを著しく侮辱する言葉、外国人労働者に対する差別を助長、扇動するものです。

こうした暴言は、六月二七日の自民党の大田誠一代議士による「集団レイプするくらい元気」発言や、七月二日の森喜朗元首相による「子どもを産まない女性に年金は不要」などの常軌を逸した暴言とともに、日本の政治家たちの非常識さ、倫理性の崩壊、アジアや女性に対する明らかな差別と偏見、悪意の存在を露呈するものです。

今、平和憲法を無力化し、戦後の民主主義の努力を嘲笑する力が政治指導者たちの中に働いています。正しい歴史認識と倫理観を喪失した政治家たちの判断が、日本を再び戦争加害国、侵略国へと導き、国内外の人々に災いをもたらすのではないかと危惧せざるをえません。

このような人々が国会議員であり続けられる現状に対し、すべての選挙民は責任を問われています。私たちキリスト者は、自らの良心と信仰に照らして善悪を識別し、自らの行動を律する必要があります。いまこの時にこそ、「知る力と見抜く力とを身に付けて、あなた方の愛がますます豊になり、ほんとうに重要なことを見分けられるように」(フィリピ書1章9節)との使徒の祈りを想起しましょう。

特に、私たち日本のキリスト者は悔い改めと赦しへの希望に従って、アジア、特に韓国の教会とのあいだに信頼関係を築き上げようと努力してきました。今後ますます、私たちは悔い改めの結ぶ実を携えてアジアの隣人たちと共有可能な歴史観を構築し、アジア蔑視の風潮を克服するために祈り、行動しなければなりません。

東京教区正義と平和協議会は、東京教区の各教会、信徒、教役者の皆さん、ならびに他教区や修道会の皆さん、そしてキリストにあるすべての姉妹兄弟の皆さんに対し、次のことがらを訴えます。

アジアの人々と共有可能な歴史認識を学ぶための機会を設けましょう。
日本による植民地支配の犠牲者、侵略戦争の犠牲者への償いと人権の回復の働きに参加しましょう。
自衛隊のイラク派遣を阻止するために行動しましょう。
「平和の器」としての教会の働きを強めるために、祈り、学び、行動しましょう。
祈りの課題として

8月17日の主日に、侵略戦争を反省し、戦争犠牲者を覚え、日本とアジア諸国の和解の実現のためにお祈り下さい。
世界平和と正義の実現のため、特に、イラク、パレスチナ、その他の紛争地域に一日も早く正義と平和が実現するようにお祈り下さい。

なぜ「正義と平和」は教会で不人気か ~
「正義と平和」協議会だより~

主教 植田仁太郎

 

 教会の二千年の歴史の中で培われてきた務めは、礼拝、牧会、伝道、教育そして福祉でした。そして世の中と直接関わる教育と福祉の分野では、教会は輝かしい貢献をしてきました。現代では、その分野では国家が責任を持つようになったのも、教会の先駆的働きがあったからに他なりません。同時に、国家の手になる教育や福祉が主流になった今でも、その分野の教会の働きの意義は、少しも減じてはいません。そのことは教会の中でも充分に認知されています。

 ところが、教会が「正義と平和」の問題に関して発言しまた行動することになったのは二千年の教会の歴史の中で、極く最近のことです。だから、社会正義と平和の問題に教会が発言し行動すること―それは否応なく「政治的」発言と行動になります―は、教会の務めに馴染まない、適しないと考えられるのは良く分かります。二千年来してこなかったことをやろうというのですから、「教会がすべきことではない」という思いが、何となく教会を支配してしまうのでしょう。

 旧約聖書で語られている時代には、正義と平和に関しては、しばしば預言者によって取り上げられ、発言がなされ、王や支配者や宗教的リーダー達に鋭い批判が向けられました。預言者達は信仰的良心からそうしたのです。

 この預言者達の社会批判と政治的発言の伝統が、イエス・キリストの中に脈々と息づいています。多くの人は、イエスは政治的には関与しなかったと良く言いますが、今日的な意味での政治的活動はなさらなかったでしょう。けれども、大多数の人々が貧しく何の権利も持っていなかった当時の社会で、「貧しい者は幸いである」と主張すること自体、極めて政治的です。

 やがて、教会が成立し、地中海世界で公認され、さらにヨーロッパである権力を持つようになると、教会は社会の支配層と結びつくことになり、預言者的批判精神を鈍らせることになりました。

 しかし近代になると、社会制度や法律、それに経済システムが公正であるためには、どうあらねばならないか、という知識と経験が飛躍的に増大します。それについての人々や社会一般の自覚も高まりました。かつては神から賦与された犯さざるべきものと考えられていた社会制度や人間の身分制は、そうではなくて、単に人間の造り出したもので、多くの欠陥を持っていることが分かってきました。

 また教会は、教会だけが神の道具なのではなくて、神は世界のあらゆる所で、あらゆる人々を通して働いておられるのだ、ということを再発見しました。そしてようやく、教会も、神の造り給うこの世界と歴史の中で、正義と平和を実現する器とならなければならないと、自覚できるようになりました。弱い者の味方になられたイエスのように・・・。

 こうして、二十世紀以降になって、正義と平和の問題に発言することが、大切な教会の務めのひとつとなりました。

第96(定期)教区会開会演説

2003年3月21日
主教 植田仁太郎

 お忙しい中、各教会の信徒代議員の方々、また聖職議員、教役者議員のみな様、教区会のためにご参集下さいまして感謝申し上げます。

イラクでの戦争が現実のものとなり、国際連合を舞台としての平和維持の試みの難しさを経験し、また一部の反戦への国際世論の高まりにもかかわらず、日本政府の外交努力や一般の政治への関心度が誠に貧弱に見えるこの頃です。また経済は低迷し、いわゆる「構造改革」も、いたずらに失業者の数を増すという犠牲だけが目立って、その成果が上がっているのかどうかさえ不明です。また世相も、悲しい幼児虐待や奇妙な集団自殺、動機の薄弱な殺人や暴力が横行していることを伝えています。私たちの生きている世界と社会が一体どのような状態にあり、どのような方向に進もうとしており、私たちキリスト者を含めた良心的に考え行動しようとする者達が、一体どこに私たちの指針を求めまた何を目指して歩むべきかを読み取るのが極めて困難な時代です。

そのような混迷を深めている世界であっても、そこではひとりひとりかけがえのないいのちを与えられている人間がその生の営みを続けており、無名の少数で目立たない人々やグループがそのいのちと人間の尊厳が損なわれることのないよう、様々な活動が続けられていることも事実です。そして何よりも、この世界・社会は神さまの働き給う場です。

▽創造的な人間

私たちの信仰の教えてくれることに従えば、神さまの働きは、多くの場合、人の眼を魅くことも、新聞の見出しを飾ることも、世の喝采を浴びることもない姿で、ほんの小さなしるしをみせるだけで続けられているのだと思います。「地の塩」である働き、「一粒の麦」である働きはいつもそのような姿で続けられます。にもかかわらず「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためではない」のですから、神とともに働く人々のわざは、必ず世界と社会に、その大切さが認められるようになると、私たちは信じています。

従って教会は「時が良くても悪くても」、イエス・キリストによって示された道を忠実に歩み、またその歩みを共にしてくださる方々を迎え育てることを、常に怠ってはならないのでしょう。それは、混迷を深める世界・社会から一切身を引いて、自分たちだけのささやかな安心や敬虔さを求めることではなく、イエス・キリストがなさったように、混迷の中で行き場を見失いそうになる人々と共に居て、なおそこに見えてくる神さまの光を見出し指し示すことだと思います。それもまた容易ならざることを充分承知しています。

混迷の中で光を見出し、指し示す試みは、神のみに信頼を置きつつ、あらゆる可能性が尽きてしまうように見える中で、なお神さまが備えて下さっているものがある、その賜物を見つけ、それを活用することから始まるのでしょう。教会そのものは、社会の混迷に較べれば、少なくとも何を指針とすべきかがはっきりしているわけですから、大変恵まれていると思われます。けれども、世界・社会の在りようと無関係な一隅として存在しているのではなく、その影響を少なからずこうむり、たとえば、教会のメンバーの平均年令が高令化するなどの現象が見られます。けれども、大都市圏に位置する東京教区は、多くの賜物――教会が与えられている最も大切な賜物は「人」に他なりませんが――に恵まれていると思われます。私たちの場合、「賜物である人」とは、言うまでもなく聖職(教役者)と信徒です。恐らくいつの時代にも、教会が教会として世界・社会にその使命を果たせるのかどうかは、聖職・信徒がどれだけ、教会の業の良き伝統を身につけ、さらにその時代の人々の根源的な必要に応えられるような創造性を発揮できるかにかかっているでしょう。恐らくそれは、この時代に生き残りをかけた企業人に求められていることと似ているかもしれません。良き伝統を身につけつつ、時代の(表面的ではなく)根源的な要求に応えられる創造的な人間です。

▽共同体の核に

本年1月に、初めて、教会委員合同礼拝・祝福式を催しました。一五〇名を越える教会委員の方々が各教会からお集まり下さいました。私は、その方々の教区・教会への忠実さに敬服致しました。未だ、そこから何が生まれた、というわけではありませんが、その方々の忠実さと勤勉さ無しには、教区と教会の何事も進めることはできないのだということを、改めて強く認識しました。言うまでもなく教会委員という役をたまたまお引き受けいただいてない多くの方々も、同じような忠実さと勤勉さをもって、教会生活に励んで下さっていることを良く承知しています。この方々が教会の「よき伝統を身につけつつ」「時代の根源的な要求に応える創造性」を発揮できる共同体の核になっていただければ、教区・教会にとって、今まで以上に大きな力となってゆくでしょう。議決された信仰と生活委員会は、そのような核となっていただける方々を育て助けるプログラムを考えて下さっています。他方、教会の共同体のもうひとつの核となるべき聖職団も、やはり私たちに与えられた「賜物としての人」であることに他なりません。

▽緊張感をもって

数週間前、私はある教会に招かれ、例の教区不正経理事件の教区の対応について懇談する機会がありました。教区の対応へのご不満を訴えていらっしゃる中で、ある方から、「こういう事件が起きてしまうということは、要するに全体に緊張感が無いということですよ」と指摘されました。私は、一生懸命反論しようとしましたが、分かっていただけそうな反論はすぐには見出せず、沈黙しました。それ以来、この叱正のことばはずっと私の心に残っています。後から考えてみても、私のできる唯一の反論は、「そう言われても、事件の発生した二年間が、とりわけ緊張感を欠いていたわけではなくて、過去五十年の事務体制と過去五十年の職員配置と過去五十年の教区の運営と、過去五十年の教区会のやり方と、過去五十年の聖職と信徒の在りようが、そのまま続いていた、その中で不幸にもひとつの不正な行為が為されただけなんです」という、誠に責任転嫁的な反論だけでした。その方の指摘されたことは、まさに五十年来の私たちの「緊張感の欠如」を図らずも指摘されているのかも知れないと理解するに至りました。

そしてそのことばは、教区のあらゆる人々・機関に当てはまることではないけれども、少くとも私自身を始めとして聖職団が謹んで引き受けなければならないことだと思いました。

私自身は、その指弾を、百パーセント不当なものだと斥ける自信がありません。聖職団は、これまでにも増して、伝道・牧会のプロとしての職務を与えられている者として「緊張感」をもって、その職務に当たらなければならないと思うに至った次第です。

▽牧会報告・研修の義務化

一番最近の教役者会には、教区の教役者がなるべく多数出席下さるよう要請し、小職からひとつの発案をさせていただきました。大方の賛成をいただきましたが、それは、各教会牧師・定住教役者に、二ヶ月に一度、「伝道・牧会業務報告」を主教宛に提出していただくことと致しました。

「報告のための報告に終わってしまうのではないか」「それをどのように活用するかが問題だ」などの意見が表明されましたが、少なくとも実験的に始めても構わない、というのが大方の教役者の反応でした。もしかしたら、何の成果もない、もうひとつの悪しき官僚制のひとつに堕するかも知れませんが、少なくとも聖職団がその伝道・牧会の働きを「緊張感をもって」自己検証するよすがとなれば、と願っています。同時に、各教役者が、年間十五時間の研修の時を設けるよう要請致しました。詳細はなお検討中ですが、ただ自ら読書や視察をしてその時間を過ごすことではなく、講演や研修コースや特別講義・セミナーなどに出席して、正味十五時間を、そのような新たな研鑚の時として意図的に用いるというのが目的です。そのような研修を義務付けているアメリカ聖公会諸教区の教役者のお話では、年間わずかその程度の時間でも、実際に実行するのは結構大変であるとのことです。これも教役者の職務に緊張感をもって当っていただくための一助となればと願い、実施する予定です。各教会におかれましては、そのような試みを全教役者が始めようとしていることをご了解下さるよう、この席をお借りしてお願い申し上げます。

▽牧会の体制づくり

それにつけても、聖職・教役者数が現在の教区の教会数に満たないことは、残念ながら現実です。九つの教会で、専従司祭を置くことができない実情は、信徒の皆様に誠に申し訳ないことだと思っております。この現状を打開するためには、――数年後でも、教役者数が劇的に増加することは望めませんので、

  1. 一人の司祭に、二つの教会の伝道・牧会を担当していただくことを視野に入れ、そのための体制を信徒の皆さまのお知恵をいただいて、造り出したい、
  2. できる限り他の教区(海外を含めて)の応援を仰ぎ、『人』の確保を目指したい、
  3. 将来を踏まえ、教会が用いることのできる賜物は、ともかく『人』であることの認識のもとに、聖職として立って下さる方の発掘に引き続き努める、

という方針を採るつもりです。

(b)、(c)には昨年来取り組んで参りましたが、本年は、ソウル教区とハワイ教区から応援をいただけることができました。その応援さえ、未だすべての「人」の必要を満たすことにはなりませんが、それでも、それぞれの教区のご好意に感謝したいと思います。

また、聖職候補生となることを考慮して下さっている方は、昨年来六名を数え、去る2月には、その方々とともに常置委員・聖職養成委員・聖職試験委員がご一緒に一日修養会を催し、その方々の召命を助け、お互いに励まし合う試みを致しました。各教会で、自ら聖職を志すという方々の発掘とともに、「ぜひこの人を聖職に!」と、仲間を新たな道へ送り出す発想を持っていただければ幸いです。同時に各教会信徒の皆さんの間でも、現に主任司祭が与えられているか否かにかかわらず、牧師の務めを、さらに、どのような形で信徒として分担できるのかの検討を進めていただければ有難く存じます。

以上『人』についての私の思いを述べることに終始致しましたが、前回、前々会の教区会で私が述べましたことは、依然として、私が自身に課した宿題として生きていると認識しております。今日、新たに申し述べましたことも、その宿題の遂行の下支えになるものと信じております。

教会委員合同礼拝・祝福式で申し上げたことですが、教会成立の当初から、教会の歴史の中で、教会が教会としてその理想を申し分なく発現したなどという時代は一度も無かっただろうと思われます。教会が世俗の権力と結んでその権勢を誇った時代は例外として、いつの時代も、聖職と信徒はイエス・キリストを世界・社会で体現する教会として「労苦し、奮闘する」(テモテへの手紙第I)ことになります。

最後に、このたび東北教区被選主教となられた、加藤博道師を、日本聖公会全体への奉仕者となられる方として、私どもの祈りとともに送り出したいと思います。恐らく東京教区でのお働き以上の厳しい状況の中での、主の僕の働きをされることになるでしょう。

世界祈祷日メッセージ

2003年3月7日(金)  聖アンデレ教会

主教 植田仁太郎

 今日は、世界祈祷日にあたりこの聖アンデレ教会にお出かけ下さいましてありがとうございます。聖公会の東京教区の責任者として皆さまを心から歓迎いたします。

聖公会の教会制度によりますと、この教会は聖アンデレ主教座聖堂とも呼ばれております。聖アンデレ教会というひとつの教会であるとともに、東京教区の主教座、主教の座る椅子がおかれている東京教区を代表する教会という意味で、通称、大聖堂と申します。小さくても大聖堂です。カトリックの聖マリアカテドラルというのが関口台にありますが、カテドラルが大聖堂という意味です。カテドラルというのはカテドラという語から来ていますが、カテドラとはまさに椅子という意味です。

 さて、今日は世界祈祷日ということで私たちは集まりましたが、まさに世界中でこの日が守られています。NCC女性委員会が立派な式文と解説を作って下さいまして、そのご努力に敬意を表します。私はその昔、NCCの職員でしたから、教会の普通の方よりはこの祈祷日のことを知っているつもりでしたが、この解説を読んで、さらに色々なことがわかりました。アメリカで1887年に始まったそうですが、この解説の43ページの歴史の所には、その3年後にこの日のお祈りが海外伝道の祈りから世界的問題についての祈りとなったと書かれています。つまり何のためにみんなでお祈りするかが変わったということです。この変化が現代も引き継がれ世界祈祷日の大切な底流、音楽でいうならずっと響き続けているパッソコンティヌオ、いわゆる通奏低音のように、個々のテーマや礼拝の形式は毎年変るかも知れないが、毎年ずっと変らず底流のように引き継がれているものが、世界的問題についての祈りの機会だということです。

 世界的問題についての祈りの機会だというこの基本的精神は、献金の送り先のリストを見ても大変よくわかります。ついでに申し上げておきますが、昨年の献金先のリストそして今年の献金先のリストにも入れていただいておりますが、私はたまたま、この一月にこのリストにあります、タイのHIV感染者とエイズ患者のための施設「バーンサバイ」を訪ねることができました。そこで働いていらっしゃる自由メソジスト教団の青木恵美子牧師と昔から知り合いだからです。青木さんについて色々感心するところがありますが、人間60歳代後半になって、全く新しい地で全く新しいことを、生活の快適さや経済的安定などということは一切気にせず、やり始めるという行動力と潔さというのは、本当に神様の力に頼ることに何の不安もない、という人でないとできないことだと常々思っています。

しかも、そのことをいかにも信心深そうに吹聴したりしない、というところが私と大いに意気投合できるところです。バーンサバイと青木さんのことはもっとお話したいですが、この場ではただ、皆さんの献金は確かに必要なところに捧げられる、このリストを考えて下さる方々の眼は確かだ、ということを証言したいと思います。

 この祈祷日の献金先だけではなく、世界中の人々を憶えるための今年のテーマに選ばれているレバノンという国も私にとっては忘れ難い国です。

今から16年前にレバノン内戦の最中にレバノンを訪ねたことがあります。当時もベイルートの市内は道をふさぐ瓦礫の山と砲撃で崩れたビルが目立ち、さらにその崩れたビルの各階にビニールシートをかけて人が住んでいるという情景が普通のことでした。恐らく今も、その後急激に復興したというニュースは聞いていませんから、その有様はあまり変わりがないはずです。イラクやアフガニスタンやパレスチナがこの頃のニュースの脚光を浴びる中で、半ば忘れられかけているという点では、世界祈祷日に憶える国として本当に、世界中の人々の祈りを必要としているでしょう。そういう意味で今日の礼拝の式文を通して聞いたこと、また大変ていねいに紹介されているこの国の歴史や文化は、まさにこの通りだと証言したいと思います。

 そういうわけでこの祈祷日では、世界のあちこちに私たちの思いを馳せなければならないのですが、どうしてそうすることが私たちの信仰にとってそんなに大切なことなのかを、考えてみたいと思います。私たちみんな自分の日々の生活や教会のことそして、周りの人々に気を配ることで手一杯な筈ではないでしょうか。それを、たまには世界の人々のことを考えようよということなのでしょうか。いつもは考えられないから、たまには関心もちましょうということなのでしょうか。私たちの信仰というのは元々大変個人的なものなのだけれどたまには、世界のことを考えて視野を広く持ったほうが良いでしょうということでしょうか。

 私は、私たちが教会をとおして与えれた信仰のありかたは、この世界祈祷日が始まった頃からつまり19世紀の終わりごろから、それまでに無かったひとつのありかたを発見したために、その流れがちょうど宗教改革で、ローマカトリックとプロテスタントがわかれてしまったと同じくらい、あるいはもっと大きく二つの流れになってしまったと考えています。現代のイエスキリストを信じる信仰のありかたは、残念ながら二つの流れになってしまったと思います。この二つの流れの違いは、もうあなたカトリック、私プロテスタント、あなたバプテスト、私聖公会という違いをほとんど意味無くさせてしまったと思います。これらの教派とか教会の名前や伝統の違いをのみ込んでしまうくらいの勢いで、大きな二つの流れになったと思っています。カトリックだからこの流れ、プロテスタント教団だから、ルーテルだからこの流れという風には分けられないのが現代の信仰の流れの違いだと思います。そうでなければ、フリーメソジスト教団の青木恵美子牧師と聖公会の牧師である私が、信仰の色んな点で意気投合するということはあまり考えられないはずだと思っています。もし私がガチガチの聖公会の人間であったら「フリーメソジスト教団?何その教団?」という先入観が先にたったことでしょう。また青木さんがガチガチのフリーメソジストの方だったら「聖公会?何?あのにせカトリックめ」という思いが先にたったでしょう。しかし、そうならないで意気投合できてしまうというのは、私たち二人が違った教派に属していること以上に同じ信仰の流れの中で生きようとしているからだと思います。

 この二つの流れが生まれてくるのが、先ほど世界祈祷日の歴史で生まれて間もなく変化があったということを指摘しましたが、あの頃だと思います。ご存知のように教会の歴史の中で19世紀ほど伝道が進展し、アジア・アフリカの奥地にまで福音が宣べ伝えられ、教会が建てられ、ミッションスクールが沢山建てられた時はありません。それは、交通や通信技術の発展のお蔭で、初めて世界の人が世界を見、世界を意識することができるようになった時代です。明治維新で、日本人が世界を見、世界を意識するようになった時代と、そう隔たっていません。しかし、その世界を見、世界を意識する仕方は大変ゆがんだものでした。ヨーロッパ、アメリカの人々は、それ以外の世界を植民地にしてしまって当然だという風に見ていました。日本はヨーロッパ、アメリカをモデルと考え、その他の地域は日本より劣ったという風に世界を見ていました。だから教会の人々も自分達の信仰は他の信仰より優れていて、この信仰をまだ知らない人に知らせるべきだと思いました。その結果として世界のあらゆるところに伝道する、あらゆるところに宣教師を送り出すという運動がキリスト教会全体を熱気のようにおおいました。それはゆがんで意識された世界にやはりややゆがんだ信仰の形でした。私はその成果を、時代の産物なのですから軽視しないし、その功績も大いに認めます。しかし同時に多少ゆがんだ信仰だったということは今、認めなければならないと思います。でもそれは、2000年の教会の歴史の中で本当に地球上のあらゆる所を人々が初めて意識し始めたのですから、多少ゆがんでいたとしても致し方のないことです。しかし違いはその後です。これは歪んだ世界の見方であり、それにつられた歪んだ信仰だと気付いて修正していった人と、そうでない人で二つの流れが出てきました。

 たとえば、19世紀から20世紀前半に生きた人で有名なアルバート・シュバイツァーが居ります。彼は、アフリカという世界を見、そして意識して、そこにキリストの信仰と、文明の象徴である医療をもたらそうとしました。その偉大な功績は誰もが認めるところです。私は、少々意地悪でしたが、やはり皆さんの献金先のひとつでありますアジア学院に勤務しておりました時に、アフリカからの学生に、アルバート・シュバイツァーを知っているかと毎年聞きましたが、答えは「ノー、知らない。」です。多分ガボンというシュバイツァー博士の働いていた国の人々は知っている人もいるでしょうけれど、アフリカ全体ではほとんど知られていません。そのシュバイツァーは若い時に書いた本の中で、「我々は、アフリカの人々と兄弟である。しかし、我々が兄でアフリカの人々は弟である。だから色々と教えてやらなければならない。」ということを書いています。今、アフリカの人にこんな調子で語ったら、ぶんなぐられるか「エラそうなことを言いやがって」と無視されるでしょう。しかし、それが時代の見方でした。あえて言うなら歪んだ見方でした。しかし、シュバイツァーはそれを段々修正して晩年には生命の畏敬ということを盛んに主張しましたし、また核兵器の廃絶をも唱えています。

もう一人、シュバイツァーほどは知られていませんが、日本にYMCA運動をもたらした人でジョン・R・モットという人が居ります。この人も19世紀から20世紀にかけて生きた人で、最初は世界伝道を志して、まだ飛行機の無かった時代に世界のあらゆる地域に足をのばして、福音を説き、YMCAを設立してゆきます。彼も若い頃こう言っています。「今世紀中に、(つまり1900年までに)世界中をキリスト教化するという勢いだった。」世界をキリスト教化することが大切であるし、またそうできるし、そうすることによって世界の諸問題を解決できると確信していました。それは、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。それは、誰もやったことがないし、果たして神さまがそう望んでおられるかどうかもわかりませんので何とも言えません。しかしモットもその信仰のありようを少しずつ修正して、むしろ、世界各地に生まれていった教会を育て、それをひとつのものとしてゆくことに奔走します。そしてWCC世界教会協議会の生みの親となってゆきます。その頃には世界中をキリスト教化しようなどとは主張しておりません。

伝道への熱意は見上げたものであるし、私たちも常にそれを心がけることが必要でしょう。けれどもその伝道の仕方、姿勢によってずいぶん中味が変わってくるでしょう。20世紀半ばから世界の見方、世界の意識の仕方もずいぶん変わってきました。それに従って、信仰の二つの違った流れが生まれてきたと私は思います。敢えてその二つの流れに名前は付けません。その違いはどこにあるのでしょうか?ひとつは聖書の読み方でしょう。しかし、それを語り出すと大変ですので、今日は、それはカッコに入れておいて触れません。もうひとつの大きな違いは世界をそう見るかという点でしょう。

世界をキリスト教信仰を持っている人とそうでない人という物差しでみるか、それはどちらかというと二次的なことだと考えるかどうかです。また世界をどこであろうと神さまの働いている所と見るか、世界を神さまの働いている所といない所二つにわけて考えるかどうかにも違いは出てくるでしょう。

世界の見方を修正してきた人々の見方は、神さまはクリスチャンが居ようと居まいと、教会があろうとなかろうと、宣教師が居ようが居まいが、この世界で働いていらっしゃると考えることです。神さまはいわゆるキリスト教の国でも、イスラム教の国でも仏教の国でも働いておられる、私はそう考えています。

WCC(世界教会協議会)はその歴史の中でその神さまの働いていらっしゃる世界、それがどこであれ、オイクメネーだということを発見してきました。オイクメネーというのはギリシャ語で、人の住んでいる所すべて、という意味です。言うまでもなくエキュメニカル運動というむずかしい名前の語源になった言葉です。つまり、人の住んでいる所あらゆる所で神さまが働いていらっしゃるのだということを発見しました。さて、もう一度先ほどの献金先のリストを見て下さい。初期の世界祈祷日がその主題をちょっと変更してからでしょう-----この祈祷日のテーマは教会を拡張するためではなくて、世界的問題について祈るようになりました。私たちの献金先のほとんどは別にクリスチャンのためではありません。神さまの働いていらっしゃる世界、オイクメネーで、その神さまの働きに加わろうと、神さまの関心はここにあるに違いない、と信じている人々やグループの働きのために献金を捧げます。

 また、レバノンの女性たちの聖霊を求める祈りも、クリスチャンだけが神さまから恵みをいただこうなどというケチな考えではなくて、すべて痛みを持ち、苦しみ、犠牲となっている人々にこそ神さまが働いて下さるに違いない、という信仰で貫かれています。その人達をクリスチャンにして下さい、という祈りではありません。もちろん私たちと同じ希望、同じ信頼を持つ人が一人でも多く生まれてくれることを私たちも願っています。しかし、その人達がすべてクリスチャンという名称を得なければ神さまの働きは始まらないというわけではないでしょう。ともに祈り、ともに礼拝しともに賛美する人が一人でも多く加わってくれることは大きな喜びです。同時にそれ以上に、そういう場におられなくても、現に働いていらっしゃる神様の働きに参加し、それを人々と共に分かち合う人々がいてくれることはもっと大きな喜びです。

 私たちは世界中から悪の権化のように言われているイラクのフセイン大統領を、クリスチャンにして下さいと祈るのでもなく、クリスチャンであるブッシュ大統領がやろうとしていることがうまくゆくようにと祈るのでもなく、そのどちらにも聖霊を下して、弱い者、犠牲になっている者、傷つけられている者に気付き、そういう人々の味方になって下さいと祈ります。先ほど読みました聖霊降臨日の出来事のルカの物語は、教会というものがそもそも生まれた時の話だとされています。そして集まっている人が、色々な国の言葉で語り出したというのは、もうすでに当時色々な言語や文化の人々が教会を形成していた、ということの反映だと思います。つまり当時の世界、今から考えればごくごく限られた地域でアジアもアフリカもアメリカも視野に入っていませんが、それでも当時の知られていた世界全体に神さまは働いているんだ-----というそういう認識を示していると思います。教会の伝える信仰は、それぞれの時代の制約はあるけれども、世界で、神さまは働いておられるのだということをずっと語ってきたのでしょう。

 私たちの時代は、2000年前より、あるいは19世紀よりはるかに良く、はるかに日常的に世界が見え、世界を意識せざるを得ない時代になりました。毎日、テレビ、新聞で世界のことが伝えられない日はありません。そんな時代は教会の歴史上でも初めてのことです。それを私たちの良識や信仰からしめだすことはもうできません。この日本の社会でも、はるか世界から忘れられかけているレバノンでも、バンサバーイのあるタイにも、神さまは働いておられます。そして、特に弱い人、無視されている人、傷ついている人と共に居られる神さまに、私たちの顔を向けてゆきたいと思います。

イラク危機に関する声明

2003年2月28日


東京教区各教会・礼拝堂御中
牧師・管理牧師・チャプレン各位

日本聖公会東京教区
正義と平和協議会議長
司祭 香山洋人
教区主教  植田仁太郎

 わたしたち日本聖公会東京教区正義と平和協議会は、イラク問題の解決に際していかなる武力行使にも反対します。

国際紛争は武力によってではなく平和的に解決すべきです。「殺してはならない」(出エジプト20章13節)という戒めはキリスト教信仰の基礎であり、イエス・キリストは憎しみや復讐を禁じたばかりでなく、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5章44節)と教え、「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(26章52節)と武力の行使をいさめられました。しかしながら教会はその歴史の中で、福音の教えに反して自ら軍隊を組織して武力を行使したり、他宗教の人々を侵略したり、国家に迎合して戦争を肯定したりした罪を負っています。今わたしたちはこのことを深く悔い改め、「平和を実現する人々は、幸いである」(5章9節)とのみ言葉を銘記したいと思います。

すべての国家の責任ある立場の人々は国際紛争の平和的解決のため忍耐強く最大限の努力をしなければなりません。これは侵略と戦争に明け暮れた人類の反省の成果です。一方を「悪」と決め付ける姿勢ではなく、対話と協調の精神で平和的に紛争の解決にあたることこそが21世紀の智恵であり、勇気であるはずです。全人類を絶滅の危機に陥れる核兵器の開発禁止や大量破壊兵器の放棄は、イラクや朝鮮民主主義人民共和国だけではなくすべての国家に課せられるべき義務であり、平和実現の最重要課題であると信じます。

 今般のイラク危機解決のため、アメリカ政府は武力によるフセイン政権打倒を示唆しています。しかしこのことは世界を覆い尽くそうとしている憎しみと暴力の連鎖を加速させることはあっても、全人類が享受すべき平和実現のためにいかなる効果も発揮しません。持続的な平和は正義の実現を前提とします。貧困、民族差別、宗教的不寛容など根本的な問題解決こそが平和実現の優先課題です。いまこそ国際社会は、軍備にではなく、貧困の解消のためにあらゆる資源を投入すべきであり、富の不均衡の是正と諸民族間の正義と和解実現のために最大限の努力を行うべきです。

 イラクの人々は、湾岸戦争以来の「経済制裁」によってすでに甚大な被害を受けています。強大国や独裁者の誤った政治によって被害を受けるのは、弱い立場の人々、子供、女性、高齢者たちです。戦争によって死地に赴くのは国家の指導者ではなく兵士達です。わたしたちは、痛みを持つ人々に対する感受性を豊に発揮して、権力者達の思惑に翻弄される弱い立場の人々を想い起し、小さな声が尊重される民主的な社会制度の実現を目指さなければなりません。

 平和憲法を持つ日本の政府が、米英などと共にイラク問題の武力による解決を望んでいるのは恥ずべき誤りです。日本政府は、後方支援を含めいかなる戦争に対しても協力すべきではありません。わたしたちは1999年8月15日に日本聖公会首座主教名で発表された「平和アピール」を再確認し、「日米防衛協力指針」「周辺事態法」に強く反対します。わたしたちは日本政府に対し今回のイラク危機においていかなる戦争協力をもしないよう強く求めます。絶対非戦を貫くことこそ、戦争の加害と被害を共に体験した日本が国際社会に貢献する道であると信じます。

 平和の実現は常にキリスト者の祈りであり、すべての宗教は平和の実現を希求しています。戦争は神の愛を傷つけ被造世界を堕落させ破壊する悪の力の結果であるばかりでなく、殺戮、破壊、弾圧、差別などによって新たな憎悪と悲しみの連鎖を生み出してしまいます。キリスト者にとって、戦争防止と平和実現のために闘うことは洗礼の約束の忠実な実行であり、わたしたちは、今般のイラク危機を覚えて全世界の宗教者、平和を願う人々と共に平和の祈りの輪に参加し、共に行動したいと思います。
 最後に、この危機に際して同様の声明を発表している日本キリスト教協議会(NCC)アメリカ聖公会総裁主教フランク・T・グリスウォルド師、英国聖公会カンタベリー大主教ロワン・ウィリアムズ師、カトリック正義と平和協議会に連帯を表明します。

各教会、礼拝堂において以下の主題のもとに代祷をおささげください。・イラク問題の平和的解決のため・すべての国家が核兵器を含む大量破壊兵器を放棄し非武装の道を歩むため・戦争、テロの犠牲者のため・貧困、抑圧に苦しむ人々、特に、「経済制裁」のために苦しむイラクの人々のため・すべての為政者、政治指導者、特に国連安全保障理事会の人々のため行動提起「キリスト者平和ネット」などの呼びかけに応じて、武力行使反対のための行動にご参加ください。