<特 祷>
み子イエス・キリストに永遠の勝利を与え、天のみ国に昇らせられた栄光の王なる神よ、どうかわたしたちをみなしごとせず、聖霊を降して強めてください。そして救い主キリストが先立って行かれたところに昇らせてください。父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
<聖 書> ヨハネによる福音書17:20~26
<メッセージ> 主イエスの祈りに憶えられている私
父と子と聖霊の聖名によって アーメン
聖歌の260番をご一緒に賛美しましょう。
- 主の食卓を囲み 命のパンをいただき
救いの杯を飲み 主にあってわれらは一つ
※マラナ タ マラナ タ 主のみ国がきますように
マラナ タ マラナ タ 主のみ国がきますように
- 主の十字架を思い 主の復活をたたえ
主の み国を待ち望み 主にあってわれらは生きる
※
3、主の呼びかけにこたえ 主の み言葉に従い
愛のいぶきに満たされ 主にあってわれらは歩む
※
「マラナ タ」は、「わたしたちの主よ、来てください」の意味で、コリント人への手紙16:22や聖書の最後の章、ヨハネ黙示録22:20に出てまいります。迫害に苦しむ初代教会の人々の切実なる祈りのことばです。
今、新型コロナウイルス下、困難の中にある世界中の人々のこと、またロシアのウクライナ侵攻を始め、戦火に苦しむ人々のことを思う時、私たちも、「マタナ タ、わたしたちの主よ、来てください。」「主よ、早く来てください」と祈りたくなります。一言で、私たちの心を表す祈りの言葉です。
聖歌260番は、今この時に歌うにふさわしい聖歌と思い選びました。
さて、今日は復活節第7主日ですが、また昇天後主日とも呼ばれます。それは先週の5月26日が昇天日と言う大祝日で、それに続く主日だからです。昇天日は復活日から数えて40日目の木曜日にお祝いされます。復活の主イエスが、弟子たちの前で天に昇られ、世界の片すみに誕生し、生き、活動された主イエスが、「すべての人々の主イエスとなられた日」と言っていい祝日です。
いつもこの時期御紹介するのですが、エルサレム・オリーブ山に「主の昇天の教会」があります。その庭には石があり、主イエスがそこから天に昇られたという言い伝えがあります。その石には大きな足跡があり、主イエスは足のサイズ大きかったのかなとか、主イエスは随分踏ん張って天に昇られたのかと思いたくなる、30㎝以上あるような大きな足跡でした。
今日の福音では、主イエスの祈りが読まれました。十字架の出来事を前にして、主イエスは、弟子たちのためにお祈りされました。今日の箇所ではさらに、弟子たちのことばによって信じる人々、そうです、今に生きる私たちのために祈ってくださっているのです。ヨハネ17:21「父よ、あなたがわたしの内におられ、私があなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らも私たちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたが私をお遣わしになったことを信じるようになります。」主イエスの祈りは今も、私たちの上に注がれています。主イエスが天に昇られ、世界の人々の主イエスになられたと申しましたが、同時に神さまが主イエスの願いを聞き届けられ、わたしたち一人ひとりが神さまから、今も見守られていること、共にいてくださること深く心に刻む昇天後主日であります。
「置かれた場所で咲きなさい」「目に見えないけれど大切なこと」など著書やノートルダム女子大学学長など教育界でも活躍されたシスター渡辺和子さん、皆様の中にも講演をお聞きになった方があるかもしれません。ある講演会で、次のような中学生時代の体験を話されました。小学生の時は武蔵野の豊かな自然に囲まれ、のびのび過ごされた。中学校は、有名は女子のカトリックの学校へ入学。都心の狭い校舎、戒律の厳しい女子校の雰囲気の中、息が詰まりそうだったそうです。なかなかお転婆さんだたそうで、ある雨の日、校舎内を走り回り、階段を2段跳びに駆け降り、突き当たりのガラス窓に突っ込み、右手首を15針も縫う大けがをされたそうです。その他、制服で卓球場に出入りし補導されたり、電車でキセルまがいのことをして、駅員さんから大目玉を食うなど、通信簿の操行の点は一番悪かった(甲乙佳の佳)とのこと。その渡辺さんに転機が訪れます。2年生の夏休み、シスターである校長先生からハガキが届きます。悪事の数々は校長の耳に入っていたはずですが、名前など憶えてくださってはいないと思っていた。ところが、はがきには「和子さん、良い夏休みを過ごして、早く学校へ戻ってらっしゃい。」とあって、びっくりしたそうです。名前で呼ばれたことで、こんな私が憶えられ、受け入れられていると感じたそうです。その時、「どうでもいい私」ではなくて、「どうでもよくない私」に変わったとうれしそうにお話になりました。そして30年後この恩師が授業に行こうとして倒れた。入院先にお見舞いに行くと、出席簿を傍らに、不自由な指で、ロザリオの祈りをしておられる。何をしておられるのかといぶかる自分に、恩師は「今は、私がこの出席簿の生徒たちに教えるはずの時間なの。だから一人ずつ、名前を読んでお祈りしいるのよ。」本当に生徒を人間を大事にしておられる姿に、心打たれたそうです。
相田みつをさんの詩(ポエム)に
人間はねえ 人から点数をつけられるために この世にうまれてきたのではないんだよ にんげんがさき 点数は後
中学生だけではなく、私たち人間は皆、人知れず自分のことを憶え、お祈りし、あるがままを、存在そのものを受け入れてくれる人を求めているのではないかとシスター渡辺の講演でした。
主イエスも時空を超えて、私たち一人一人の名を呼び、お祈りしてくださっています。ヨハネ17:26「私を愛してくださったあなたの愛が彼らの内にあり、私も彼らの内にいるようになるためです。」
新型コロナウイルス、戦争や侵略、災害、飢饉など本当に心配です。「マラナ タ、わたしたちの主よ、来てください。」と祈りつつ、大いなる存在(神様)が、私たちの名を呼び、私たちを見守り、共に歩んでくださっていることを思い、忍耐と希望を持って、歩んで行きましょう。
天に昇られた王なるキリストが、皆さんの信仰と忍耐を更に増し加えてみ跡に従わせ、ついに主イエスとともに天の栄光の座に着かせてくださいますように
父と子と聖霊の聖名によって アーメン
<ウクライナの平和のための祈り>
正義と平和の神よ、
わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。
またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。
明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。
平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。
そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。
平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。
<主の祈り>
救い主キリストが教えられたように祈りましょう。
天におられるわたしたちの父よ
み名が聖とされますように
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人を
ゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン
☆5月31日から日本聖公会総会があるなど、次主日聖霊降臨日のメッセージを録画できません。6月5日はお休みと致します。6月12日にまたお会いします。紛争地域の平和と皆様の健康をお祈りします。