聖霊降臨後第14主日

<特   祷>

神よ、あなたに寄らなければわたしたちはみ心にかなうことができません。どうか何事をするにも、聖霊によってわたしたちの心を治め、導いてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> ル カ15:1~10

<メッセージ> 人間の限界

父と子と聖霊の御名によって アーメン

プール学院では月曜日の朝、朝祷会をスタッフで守っております。先日成岡司祭(チャプレン)が、柏木哲夫先生(前淀川キリスト教病院ホスピス長)の「人間の限界」という文章を紹介してくださって、皆で黙想しました。一部を紹介します。

 「・・・以前、落とした物を拾おうとして、ぎっくり腰になりました。かなりひどい痛みで、しばらく身動きもできず、家族の同情を引きました。翌日一泊東京出張がりあり、どうしてもキャンセルできず、痛い腰をさすりながら、出かけました。出張中、腰の痛みはずっと私から離れませんでした。出張から帰ったとき、家族は食事中でしたが、だれひとり『腰のいたみはどう?』と尋ねません。仕方なく、しばらくして私は『腰はだいぶましになった』と言いました。すると、みんなは一斉に『ごめん。聞くのを忘れてた』と言いました。まさに人間の限界でしょう。私はずっと痛みをひきずって2日間過ごしたのですが、家族は忘れることができるのです・・・・」

柏木先生のお話には、続きがあります。この後、お母さんが「私も歯の痛みはだいぶましになった。」と言いました。柏木先生は「ごめん、聞くのを忘れてた。」と同じセリフを言ってしまったというのです。先生がぎっくり腰になった日と同じ日に、お母さんはかなりひどい歯痛で歯医者に行っておられたのですが、自分はそのことをすっかり忘れていた、人間の限界を感じたと述べておられます。家族がつらい思いをしていても、それを忘れてしまうのが人間でしょう。ずっと覚え続けることは人間には不可能なのでしょう。家族のことでそうなのですから、他人のことはもっと早く忘れてしまう、これが人間の限界だと書いておられます。私も内心ドキッと致しました。(連れ合いの顔を思い浮かべながら、ゴメンと言いました。)

さて、今日の福音に耳を傾けましょう。「見失った羊」のたとえと「無くした銀貨」もたとえです。100匹の羊を持っている人がいて、一匹が迷子になった。見失ったとすれば、99匹を荒れ野において、迷子になった、見失った一匹を見つけ出すまで捜し歩かないだろうか。見つけ出したら、みんなを呼び集めて、喜びの宴を開かないだろうか。

もう一つのたとえです。よく引用させて頂いている小島誠志牧師「見出された命」という本があります。堅信式のお祝いでよくプレゼントにします。この本の題名となっている文章があります。15:8~「無くした銀貨」のたとえからの小メッセージです。

「ドラクメ銀貨を10枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて探さないだろうか。 

銀貨が見失われてどこか床の隅に転がっているというのであれば、その銀貨の存在には何の意味もありません。人に探し出されて、手に取られて、初めて価値あるものとなるのです。人も同じです。神に見出され、神の御手に捕らえられて、人は自分の存在の意味を知ります。神の御手の中でこそ人の命はかけがえがないのです。」

 人間の限界に対して、迷子になった一匹の羊の心細さ、見失われて床の隅に転がっている銀貨の心細さを、決して忘れず、探し続ける神さまの愛について2つのたとえは私たちに語り掛けています。神さまが私たち一人一人に注がれる愛と慈しみには限界がありません。神さまは人間のつらさ、心細さをずっと覚え続けることがおできになります。

 この痛み、この寂しさ、この心細さは誰にも分らない、誰も分かってくれないと私たちは思います。この苦しみはだれも理解してくれない、そうした思いをわたしたちはすることがあります。そのような痛み、苦しみ、心細さ、孤独感、寂しさ、を神さまはすべてご存じです。そして彷徨う私たちを、社会の隅っこに転がっている私を探し回ってくださるのです。そして、見つけると大喜びされるのです。

 私たちが日々感じる痛み、苦しみ、心細さ、孤独、寂しさを神さまは、主イエスはすべてご存じであり、彷徨う私たちを探し回ってくださることを憶えて、新しい一週間を歩みましょう。

 最後に、詩編139編のみ言葉を、共に味わいましょう。

 「主よ、あなたは私を探り

  私のすべてを知っておられます。

  あなたはこそは私のすわるのも、

  立つのも知っておられ

私の思いを遠くから読み取られます。」

 

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナの平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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