聖霊降臨後第20主日

<特   祷>

わたしたちの避けどころ、力であり、また信仰の源である神よ、どうか主の教会が信仰をもって献げる祈りに耳を傾け、真心を持って願い求めることをかなえてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書> マタイ22:1-14

<メッセージ> 信仰の初心に帰る

父と子と聖霊の御名によって アーメン

先日、高槻聖マリヤ教会に参りました。高槻聖マリヤ教会では、礼拝後、とてもおいしい素敵な時間が用意されています。それは、いつもお茶を立ててくださるのです。お茶の先生がおられまして、本格的なんです。おいしいお菓子やお饅頭もついてきます。そして、お茶について教えてもらいました。お茶の世界で大切にされることばに、「一期一会」。茶道は戦国時代頃から盛んになります。武士が明日戦場でいのちを落とすかもしれない。今日が最後になるかもしれないという思いで、最初で最後になるかもしれない出会いを大切にするという思いが込められているのでしょう。一日一日の出会いを大切にしましょう。(教会によっては、ベストリーに最後の聖餐式のつもりで司式をしようと書いた額を掲げているところがあります。)

もう一つ、千利休が残した歌があります。「稽古とは一より習い十を知り、十寄り返るもとのその一」「一」と言う数字をお茶の世界は大事にするそうです。人生は1回限り、皆さまは誰とも取り換えることのできない一人一人です。

日本聖公会の祈祷書に、「12、神の民の一致のため」お祈りがあります。そこには、「・・・・体は一つ、み霊も一つ、召された召しを受けて保つ望みも一つ、主は一つ、信仰は一つ、洗礼は一つ、万民の父は一つ・・・」と、「一」と言う数字がくりかえし出てきます。キリスト教信仰では一回限りということを大切にしています。そこに神さまの豊かな恵みが込められているからです。

千利休の歌に戻りますが、稽古を積み上げていくのですが、忘れてはならないことがある。「一」というのは、原点、基本、初心の大事さがあるというのです。

バイオリニストに五嶋みどりさんと言う方がおられます。彼女は、コンサートの前に、楽屋で、ドレミファソラシドと奏でて、本番に臨まれるそうです。きっと小さい頃、バイオリンのお稽古を始めた時のことを忘れないようにしておられるのでしょう。バイオリン演奏の原点、基本、初心を忘れないということを大切にしておられるのでしょう。

では、私たちの信仰の原点、基本、初心とは何でしょうか。

今日の福音に目を向けましょう。ユダヤ人の指導者に向かって語られた主イエスのたとえ話です。王子のための結婚披露宴を整えた王さまが、招待した人々を迎えにやいます。ところが、招かれた人は来ようとしません。王さまは再度、宴の用意ができていること、ご馳走が用意されて皆を待っていることを告げさせ、喜びの宴に来てもらえるように迎えをやります。しかし、招かれている人の態度は冷淡です。それどころか無視をして、畑や商売にでかけます。ある人々は使いの人たちに乱暴して殺してしまいます。神さまから選ばれ、愛され、招かれている聖書の民が、神さまから遣わされた預言者を受け入れなかった旧約聖書の出来事を思います。

神さまかの最後の使者、主イエスをも拒み、十字架にかけてしまうユダヤ教の指導者たちのことを思います。そして、神さまからの招きは、広く世界の人に向かって開かれていきます。私たちのところまで神さまの招きは届くことになります。

ここでキリスト教の基本、原点、初心とは何でしょうか。欠け多き私が、神さまから誰とも取り換えのきかない、愛するこどもとされ、神の国の宴へと、神さまからの招きを受けているということです。私たちは招かれています。宴の席へと。それをイザヤは美しく表現しました。イザヤ25:7~8です。

「主はこの山で、すべての民の顔を包んでいた布と、すべての国を覆っていた布を滅ぼし、死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。」初心は、こうした神さまの愛を喜び、心に刻むことです。

一より習うこと、そして、十に向かって歩むことも大切なことです。そのことを、今日の福音は「礼服を着る。」と表現しました。衣服のことではなく、心だと思います。欠け多き者であるにもかかわらず、神さまが神の国の宴に招いてくださっていることを、心から感謝し、日々悔い改めながら、十を目指して積み上げていくこと。それは、日曜日の礼拝、そして日歩、祈りながら神さまのみ言葉に耳を傾け、神さまの御心を求め、神さまの御心を行う人になる(隣人愛に生きる)ということです。

 そして、日々、祈りの中で、神の愛、神の招きと言う原点、基本、初心に帰る時、

神さまの祝福して下さる道を歩むことになります。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナとロシアの人々、パレスチナとイスラエルの人々、そして平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナとロシア、パレスチナとイスラエルの人々のために祈ります。またわたしたちは平和のために、そして1日も早く武器が置かれますよう祈ります。明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<黙想しましょう。>

大阪教区成立100周年の年、わたしたちが聖霊の働きに心を開き、神の御力が大阪教区に豊かに注がれますように。教区婦人会100周年を憶えて

この社会にあって、居場所がなく、生きづらさを感じている人々のため

新型コロナウイルス感染症の収束のため

戦争に苦しむ人々のため 特にスーダン、ミャンマーの人々 ほか

世界各地の災害(地震、洪水、山火事、台風)犠牲者・被災者を憶えて

<主の祈り>

主イエスが教えられたように祈りましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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