復活節第6主日

<特   祷>

 全能の神よ、罪人の制御できない心を治められる方はあなたのほかにありません。どうかわたしたちに、主の戒めを喜び、主の約束を慕う恵みを与え、移り変わりの多いこの世において、常に心を変わることのない喜びに置くことができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

<聖   書>

聖書を拝読します。

ヨハネによる福音書15:1~8

<メッセージ> 豊かな実を結ぶために

父と子と聖霊のみ名によって アーメン

 ゆきやなぎや桜の季節が終わりますと、主教館の庭には、モッコウバラ、藤の花、つつじなどを、きれいな、かわいらしい花を、見ることができます。どのような木々も草花もそうですが、いったん枝を折ったり切ったりしますと、やがてはその花や実や枝は枯れてしまいます。根や幹につながっていないために、必要な水分や養分がもらえなくなってしまうからです。

 私たち人間も、あまり意識せずに毎日を過ごしていますが、実はいろいろな人とつながって、毎日生きることができているのではないでしょうか。家族、近所の方、友人、先生、お店の人、お医者さん、バスや鉄道・・・・・。どこかでいろいろな人とつながって、毎日を過ごすことができているのではないでしょうか。一人では、人は生きていくのは困難です。

 

 宗教を英語でreligionと言います。これはもともとラテン語のreligareを語源とすることばで、「つなぐ」「結び合わせる」という意味があります。私たち人間が、Higher Power と言いますか、永遠なるもの、人間の力を越えた大きな力、神的なものとつながろうとする営みを、宗教religionと表現したのでしょう。このように考えると、本日の福音書の主イエスの「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かな実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネ15:3)ということばは、キリスト教信仰の、最も根本的な在り方、大切な在り方の一つを示してくれているように思います。

 私が大学のチャプレンをしております時、心に何かしんどさを抱えた学生さんとの出会いがありました。いろいろとお話をしておりまして、なぜでしょうか、家族から、特に母親から小さい時から、否定的なことばをいっぱい浴びせられて生きてきた。おまえなんか、生まれてこなかったらよかった、とかひどい言葉を投げかけられて生きてきた。心がきゅっと小さくなって、固くなって、表情もどこから暗い。でも、がんばって、インドネシア・ワークキャンプに参加した。不安で、自信なくて出発まで大変でした。みんなに励まされて参加しました。バリ島北部、ブリンビンサリ村に到着、そこの小学生を中心とした養護施設でキャンプが始まりました。インドネシア側の参加学生も親切で、人懐っこくて、フレンドリィでいい出会いとなりましたが、もっとよかったのはこどもたちでした。貧しさ、家族から離れているので、ある悲しみや寂しさは抱えているのですが、笑顔で、純朴で、目がきれいで、会えば必ず声をかけてくれる。その学生さんがおどおどしていても、どうしたの、みんな心配して寄ってきてくれるのです。彼女ははじめて、受け入れられる、愛される体験する。彼女の表情が和らぎ、笑顔が多くなっていきます。

 人間が成長していくとき、笑顔や温かい言葉、愛情あふれる言葉、いい言葉をいっぱい吸い上げて育つことはとても大切なことです。否定的な言葉、マイナスばかり吸い上げていると、とてもつらい人生になります。

 自己中心、人生や自分に対して否定的な態度、人間不信、不安や恐れ、むなしさ、自暴自棄、悲観的、なげやり、そうしたことへ傾いた生き方になってしまう。

 「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かな実を結ぶ。」と主イエスは言われます。主イエスは、私に繋がって歩みなさいと、私たちに語り掛けてくださいます。イザヤ書49:15:16を思い出します。「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻みつける。」とあります。親があなたのことを、忘れることがあっても、神さまは、主イエスは、決してあなたのことを忘れないと言ってくださっています。まことの親は神さまなのです。

主イエスの手のひら、掌(たなごころあ)に私たちの名前が刻まれているのです。

主イエスはいのちの泉です。私たちのために十字架上で、その命を投げ出して下さる方。主イエスの愛の泉、命の泉から生きる力と糧を頂いて歩むのです。

主イエスと繋がって、そこから栄養をいっぱい頂いて歩みましょう。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

<ウクライナとロシアの人々の平和のための祈り>

正義と平和の神よ、

わたしたちは今日、ウクライナとロシアの人々のために祈ります。

またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。

明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。

平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。

そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。

平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。

<黙想しましょう。>

大阪教区成立100周年のため

この社会にあって、居場所がなく、生きづらさを感じている多くの人々のため

新型コロナウイルス感染症の収束のため

戦争や災害に苦しむ人々のため 特にスーダン、ミャンマーの人々、石川・珠洲市を中心とした地震被災者、千葉県南部被災者を憶えて。

<主の祈り>

主の祈りをご一緒に唱えましょう。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン

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