<特 祷>
主よ、私たちは主に寄らなければ、何一つ良いことはできません。どうか、主に従い、み心にかなうように生き、常に正しいことを思い、また行うことができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
<聖 書> マタイ11:25~30
<メッセージ> 「私のもとに来なさい。」
父と子と聖霊の御名によって アーメン
今日の福音書は、とても美しい箇所です。主イエスがお祈りをなさっています。それは感謝のお祈りです。主イエスは、どのような出来事に感謝しておられるのでしょうか。鍵を握ることばは、「小さい者たち」他の聖書では「幼子たち」、山浦玄嗣先生の「ガリラヤのイエシュー」では、こんな訳になっています。
少し前から、「父(とと)さま、この天地(あめつち)の大旦那さま!お前さまはまったくもって素晴らしいお方でござります。この大事なことを、道理の分かった人たちにも、頭のよい人たちにもどうしてもわからなかったこのことを、お前さまははなたれ小僧みたいな者どもにわからせてくださりました。いかにも父さま、これこそがお前さまのお気に入れのやり方でござります。」
「小さい者たち」「幼子たち」とは、単純素朴、道理をわきまえていないような、自分一人では正しい道を歩めないと見なされている人々が、神さまが大事とされていることがわかったことを、主イエスは喜び、導かれた神さまに感謝しておられます。
マタイによる福音書は、貧しい人々、今苦しんでいる人々、飢えている人々、罪びとと呼ばれている人々、病気の人、迷子になっている小羊、飼い主のいない羊、子どもたち、女性たち、ユダヤのエリート世界からは、神さまから招かれていないと思われている人々を、神さまは大切に思っておられることを伝えています。彼らに神さまのお心が明らかにされるのです。「小さい者たち」「幼子たち」の中に私たちがいることもありますし、また「小さい者」「幼子」と共に生きるように、私たちは招かれています。
そして、神さまの恵みのみ言葉が私たちひとり一人に語り掛けられます。
「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」マタイ11:28
今、重荷を負って苦労していない人がいるでしょうか。私たちの毎日の生活は、いつも順風であるとは限りません。逆風の中を歩む方がおおいではないでしょうか。家庭や学校、職場における問題、自分の仕事の辛さ、人間関係のもつれ、心理的プレシャー、ストレスが沢山あります。
誰もがそれぞれの場で、労苦があり、悲しみや痛みがあります。朝起きた時、起きづらく、今日一日のことを思うと涙が出る、そのような経験をなさっている方もあるでしょう。そんな私たちに、今日の主イエスの「私のもとにおいでよ」というみ言葉は、深い慰めと希望を与えてくれます。
「軛」(くびき)とは、横木と綱からできた道具で、牛やろばなどの家畜の首にかけて、車やすきを引かせるためのものです。基本的に2匹で、並んで土地を耕したりします。
主イエスの軛とは何を意味しているのでしょうか。主イエスは、重荷がすべて取り去られるとは言われません。私たちは人生を歩んで行くとき、様々な労苦を避けて通ることはできないでしょう。
主イエスのもとに行くとき、主イエスは柔和で謙遜な方なので、私の重荷を一緒に背負ってくださるかたなのです。重荷を背負って、並んで歩いて下さる方なのです。
主イエスの時代の宗教界のエリーたちは、一緒に背負うのでなく、自分たちでは何も背負わずに、「小さい者」たちに重荷を背負わせました。現代社会も私たちに、様々な重荷を背負わせています。
主イエスは「小さい者たち」を愛し、受け入れ、仕え、寄り添って、共に重荷を背負って下さる方なのです。主イエスの軛は、そういう軛なのです。
マザー・テレサが言われました。「苦しみはそれ自体では空しいものです。しかし、キリストの苦難を分かち合うことは、すばらしい神さまへの贈り物です。人のささげるもっとも美しい贈り物は、キリストと共に隣人の苦しみを分かつことができることです。」キリストと共に、隣人と共に担われた苦しみは、そこから別のものが生み出されていくのです。
「私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからです。」マタイ11:29・30
父と子と聖霊の御名によって アーメン
<ウクライナとロシアの人々と平和のための祈り>
正義と平和の神よ、
わたしたちは今日、ウクライナとロシアの人々のために祈ります。
またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。
明日を恐れるすべての人々に、 あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。
平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、 み旨に適う決断へと導かれますように。
そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、あなたが抱き守ってくださいますように。
平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン。
<黙想しましょう。>
大阪教区成立100周年の年、神さまの御力が大阪教区に豊かに注がれますように。教区婦人会100周年を憶えて
この社会にあって、居場所がなく、生きづらさを感じている人々のため
新型コロナウイルス感染症の収束のため
戦争に苦しむ人々のため 特にスーダン、ミャンマーの人々
世界各地の災害(地震、洪水)犠牲者・被災者を憶えて。
<主の祈り>
主イエスが教えられたように祈りましょう。
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン