全ては良かった -2-

主教 植田仁太郎

 先月のページの冒頭で、旧約聖書に記されているいにしえの信仰者の、神は全てを麗しく造られたのだという洞察の素晴らしさを述べた。そしてその麗しいはずの世界と人間がどうして現今のように狂ってしまったのだろうか、という問いを残しておいた。
 最近教区で、旧約聖書のこの部分をみんなで勉強する機会があった。上智大学の教授から、「全てが良かった」その「全て」を神が創造された際、人間を創造する時だけは、神はちょっと躊躇したことをうかがわせる表現が用いられていることを学んだ。宇宙と自然と動植物を、「光あれ!」「生き物を生み出せ!」と一気に命令形のことばで創造した神が、人間を創る際は、実に慎重だったというのだ。
 さらに神は、人間を神が意のままに操ることのできるロボットとして創造したのではなくて、自由意志を持った存在としてお創りになったという。神は人間を、神と対話しつつ世界を治めてくれる存在としてお創りになったのだ。
 ところが、その人間が、やがて神と対話することをしないまま、みずから勝手に世界を治めるようになったために、まさに「狂い」が生まれてきたのだ。
 その事態を、神ご自身のイニシャチブによって何とかしよう、となさっているのが、イエス・キリストの到来であると、私たちは信じている。再び神と対話のうちに生きてゆく道が回復されたのだ。

全ては良かった

主教 植田仁太郎

 これから梅雨の季節を迎えますが、ここ二,三週間の天候は素晴らしいものでした。時に暑い日もありましたが、風のさわやかさ、陽光の輝き、夜気の涼しさは、一年中こんなだったらいいのに、という気分にさせられました。大都市に暮らしていても、このように感じることができたのですから、自然に恵まれた土地で暮らしている人々は、一層その素晴らしさを感じておられるでしょう。特に、たまに眼にすることのできた、陽光のもとでの里山の風景は、多彩な緑と光の織りなす陰影のコントラストが、まさにまぶしいばかりでした。
 旧約聖書の冒頭で語られる、神の創造のわざを思い出します。六日間をかけて天と地と海、そしてそこに生きるものを創造された神は、完成されたすべてをご覧になって、「それは極めて良かった」と満足しました。その「すべて」には人間も含まれています。  宇宙も、自然も、環境も、そしてそこに暮らす人間も、本来調和のとれた、「極めて良いもの」つまり、大変麗わしいものだという、いにしえの信仰者の洞察がここに示されています。
 私たちキリスト者は、その洞察を継承しました。本来神のもとで大変麗しいものが、どこかで狂ってしまった、何が悪かったのか、どうすれば麗わしいものを回復できるのか――イエス・キリストのメッセージは、本来の自然の美しさを示しつつ、その回復の道筋を示していると思います。

聖書の不思議(ミステリー)・教会の不思議(ミステリー)

主教 植田仁太郎

 今年は、五月の最後の日曜日が「聖霊降臨日」と呼ばれる、教会にとって、大切なお祭りの日です。一般的に、この日が教会が誕生した日とされています。イエス・キリストの死からの復活を体験した人々に「聖霊」と言われる特別な力が与えられ、教会という共同体が形成されたと言います。
 史実は、ある一日にそのことが突如として起ったのではなく、確かに人々に不思議な力が与えられたでしょうけれども、何年かのうちに、各地で信徒のグループが次々に生まれていったのでしょう。そのあたりの歴史は、いくら調べても、まだ良くわかりません。イエス・キリストの十字架上の死ののち、百年も経ないうちに、ほぼ地中海世界全域に教会が生まれていたという事実は、本当に不思議です。聖霊の力と言う他ないのでしょう。
その各地に生まれた教会は、信仰の在り方やそれに基く倫理や、礼拝の仕方は、余り統一性が無くかなり多様でした。それを表す多様な文書が残されています。その多様な文書が約三百年かけて段々と分別され、現在「聖書」として一冊にまとめられたものと「そうでないもの」という二種類に判定されてしまいました。その過程も、本当に不思議です。一群の文書は「聖なる」「書」とされ、その他のものは、異端や偽典とされてしまいました。それ以降、教会は聖書の教え伝えるところをみずからの規範としてきています。聖書が生まれたのも、教会の生まれたのも、まさに数々のミステリーに包まれています。私たちは、それを聖霊の働きと呼んでいます。

復活節を迎える

主教 植田仁太郎

 四月という月は、人生の中で、何かしら新しい日々を迎えることになるという、期待に満ちた月です。新しい学校への入学、学校という社会から仕事の世界へと足を踏み入れる就職、そして逆に定年を迎えて、長年の仕事中心の生活から新しい日常を迎える――それぞれの人生の岐路を迎えての、新たな出発の時です。
 それは、自然が(北半球では)冬から春へと移り、新たな生命の動きが始まるサイクルに合致するものでもあります。教会はこの季節に復活日(祭)を迎えます。その日は、毎年少しずつずれますが、色々な文化の中で祝われる春の祭典と無関係ではないと思います。  十字架上の刑死から復活したイエス・キリストに最初に出会った人々は、そこに本当の意味での「神の子」を見たのでした。生前のイエスの、どんな崇高な教えも、どんな不思議な奇跡の業も、それがイエスの神たることを証明するものではありませんでした。死からの復活だけが、イエスが神であり人であったことの証しとなりました。
 そこから、いわゆるキリスト教という信仰体系が生まれ、教会という信仰共同体が生まれました。その復活の出来事を憶える復活日が、すべてのもののいのちが躍動する春の季節に定められているのは、まことにその意味にかなっているように思います。聖餐式(ミサ)のクライマックスで、いつも私達はこう宣言します。「キリストは死に、キリストはよみがえり、キリストは再び来られます。」

むらさきの季節

主教 植田仁太郎

 手元にある、教会のお祭りの日や各シーズンを色で区分した、文字どおり教会(用の)カレンダーによると、三月はほとんどむらさき一色である。各シーズンの色分けは、勝手にこのシーズンはこの色にしようと便宜的に付けられたのではない。教会内の聖卓に用いる布や司祭が身に付けるストールの色も、すべて伝統的に季節ごとに決められている。
 三月がむらさき一色なのは、「大斎」と呼ばれる、ざんげと禁欲の季節とされているからである。むらさきは罪のざんげと新たなものへの期待を示すという。イエス・キリストが四十日間荒野で断食されたという故事にならっている。
 日本の社会でも、三月は、いわゆる年度末で、学校生活や社会生活の区切りの季節で、人、それぞれの人生の中で、四月からの新たな展開を準備し期待する月でもある。私たち信仰者の四月の復活祭の喜びに備える、その前の、ざんげと禁欲の季節に、やや呼応する季節であるかも知れない。
 ただし、モノがあふれ、倫理・道徳上のタブー(禁忌=してはならないこと)が無くなってしまったような現代では、禁欲とざんげほど時代遅れの行動は無いかも知れない。みずからの意志で、欲望を規制し、みずからの悪業に目を向ける――これほど不人気な呼びかけは無いだろう。しかし、それをみずからに課すことの、やがてもたらされる実りこそは、古今東西の人間の知恵と信仰が、ずっと訴え続けている真実であろう。

信仰のうちに育ち、育てる

主教 植田仁太郎

 先日ある教会で4人の小学生が、「堅信式」を受けました。堅信式というのは、洗礼を受けてクリスチャンとして迎え入れられることに引き続いて、その信仰を主教の前でもう一度確認して、主教から手を置いてもらう儀式です。生まれたばかりの時に、両親の願いによって洗礼を受けた幼児が、ある程度信仰を自覚できる年令になった頃に、この堅信式を受けるケースが多いようです。
 先日の4人は、それでもまだ小学生です。それで、その子供たちに、この儀式の機会に次のように語りかけました。  「みなさんは、洗礼を受けた時は赤ちゃんだったので、その時のことを憶えていないでしょう。でも、お父さん、お母さんが、みなさんが神さまを知るように育って欲しいと願って、洗礼を受けるようにしました。今、みなさんは、ちゃんと神さまを知るようになりました。でも、堅信式を受けるのは、神さまのことが全部わかったからではありません。みなさんが、とても立派な良い子だからでもありません。
 「堅信式を受ける人は、『神さま、ありがとう』『神さま、おねがいします』『神さま、ごめんなさい』と、この三つのことを心から言える人です。みなさん、この三つを言えますよね?」と語りかけましたら、4人ともニッコリ笑って大きくうなづいてくれました。
 この三つを憶えて育っていってほしいと思います。

いつもの期待をこの年も

主教 植田仁太郎

 新しい年の区切りの時に、誰もが、人生の新たな展開を、待ち望んだり、自らに課したりするようです。俗に、「新年の抱負」ということでしょうか。
 私は、神への信仰のうちに、いつも、世の中のまっただ中で、神さまのわざ、というものに出会いたいと願っています。私は、神さまを、キリスト教の教会のうちに留めておくことはできないし、キリスト教の教義に従って働く方だとも思わないし、必ず信仰深いクリスチャンの中で働く方だとも思っていません。
 神さまは自由に、そのわざを必要としている人々の中で、「神」の痕跡さえ残さずに、働いておられると確信しています。
 クリスマスの日の夕刊に、ボランティアで宇都宮の学校を警備している人たちが、学校近くでいつも野宿している人の姿が見えないのを心配して、ひん死のその男の人を発見した…というニュースを伝えていました。病院へ入院させたばかりか、結局住む所も世話してあげたようです。心暖まる話です。私は、こういう、ある人々の気取らない善意と、それによって喜びを感じる人々の間に、神さまの働きを見ます。
 人々に、静かに「エライなぁ-」と感じさせるわざの中に、神さまが働いていると確信します。そういう神さまの無言のわざに、今年も出会いたいと願っています。
 神様が、皆さまの所でも働いて下さいますように。

クリスマスを迎える

主教 植田仁太郎

 十二月に入ると、町は、クリスマスの飾りやイベントの解禁の時と考えているようです。それは、イスラム教社会を除いて、世界中の都市で共通の現象のようです。元々は、キリスト教の根付いた社会で生まれた、多種多様な“クリスマス文化”が商業主義とともに、世界的に広まってしまった結果でしょう。
 クリスマス――カード・ケーキ・プレゼント・ツリー・キャロル・パーティー、これらすべてがこの“文化”の一部だと言って良いでしょう。
 キリスト教会の人間は、自分達こそ、クリスマス(イエス・キリストの誕生)を祝う、正当な資格を持っていると自負し勝ちですが、その教会の中にもその“文化”がかなり侵入していることも確かです。その文化は、必ずしも嘆かわしいことでも、憂うべきことでもないでしょう。いわゆる世俗でどんなクリスマスの迎え方があろうとも、教会の本来の迎え方、すなわち心静かに、「救主」たる方の存在の意味と、その方に応答すべき私たちの日常に、心を向ける季節だと思います。教会の定めているアドベント(来るべき方を迎える)季節とは、そのことを言っているのでしょう。

イエスがもたらしたもの

主教 植田仁太郎

 歴史上に現れたイエスというひとりの人物をめぐって、信仰の共同体が生まれ、教会という組織が生まれ、聖書という文書が書かれたり編さんされたりしました。そして二千年の歴史を重ねるうちに、イエスというひとりの人物をめぐって、さらに生み出されてゆくものは拡大してゆきました。キリスト教の教義や礼拝の形や、キリスト教の倫理・道徳やさらには、キリスト教芸術といわれるものや、実に多くのものが生み出されました。
 しかし、イエスというひとりの人物は、自分がそういう壮大なものを生み出す、その源になろうとは全く考えていなかったでしょう。弟子達と考えられていた人々も、イエスが処刑される前後には、どうも、その師を見捨ててしまった形跡があります。
 そうであるのに、その処刑されたひとりの人物をめぐって生まれた様々なものが、文化も歴史も全く異る日本の地まで達しました。  イエスが、そもそももたらしたのは何だったのでしょうか。教義でも道徳でもファッションでも思想でもありません。聖書を最初に書き記した人々、たとえばパウロやマルコという人々は、イエスのもたらしたものを「福音」と呼びました。これはギリシャ語を翻訳した漢語でしょうが、「良いニュース」という意味です。
 イエスという人物の人生、語ったこと、行為、それを、もう一度「良いニュース」として受け取ってはどうでしょうか。

目に見えない世界を求めて

主教 植田仁太郎

 私たちの生きている現代という時代は、「映像文化」の時代、「視覚優位」の時代だと言われる。
 印刷術の発明と読み書きの教育の普及は、口で伝えられる情報を耳で受けとめるという文化を社会の隅に押しやってしまった。さらに時代は下って、写真・映画・テレビ・コンピューターが、あらゆる映像を間断なく提供し続ける世界を出現させた。目に映るもの、映像化できるものが、絶大な価値を持つことになった。「目に見える情報や出来事を追いかけることに追われているうちに、見えないものについて考えるゆとりがなくなった」とある批評家は言う。
 さらに、映像化されるのは全て光が当てられているものである。(闇は映像にならない。)実際の都市空間も光に満ちていて、日常的に闇を体験することもなくなった。
宗教とりわけキリスト教の語る、人間と世界の真実は、この映像の時代が私たちに提供するものの対極にある。目に見えない、映像化できないものにこそ真実がある。人生と世界は、いつも闇と隣り合わせである。闇と暗黒を体験しないでは、光と喜びも体験できない。
 秋の夜長、ある時は、私たちにまとわりつくあらゆる映像をしゃ断し、またできればあらゆる人工の音もしゃ断できる所に身を置いて、みずからの魂に語りかけてくる声に、耳を傾けたらどうだろう。