パレスチナの友人達

主教 植田仁太郎

 パレスチナとは、イスラエルとパレスチナ人の紛争が続いている、あの地域を指す。イスラエルという地名は、聖書を通じて馴染み深いが、「イスラエル」という国家が地図上に現れることは、1948年までは、2000年以上無かったことである。
 私たち、聖公会東京教区では、数年前からパレスチナ人のクリスチャン、特にあの地の聖公会の教会との交流を深めている。パレスチナ人は、他のアラブ諸国の人々と同様、みんなイスラム教徒だと思われがちだが、それは大きな誤解である。パレスチナ人のクリスチャン達の出自をたどれば、新約聖書に言及されている最初のクリスチャン達のグループに至ることだろう。
  去る 4月の末に、ひとりのパレスチナ人司祭と、クリスチャンではないが、ひとりのユダヤ人の平和運動に携わる方をお招きした。お二人は、民族としては、「追い出された側」(パレスチナ人)と「追い出した側」(ユダヤ人)と立場は真向から対立するが、すでにイスラエル国家が成立してしまったからには、両者が平和的に共存する方法を打ち樹てるしかない、という現実論を共有しておられる。そしてお二人とも、イスラエル国家が、パレスチナ人の地域として(国連によって)認められている地域を「占領」しているという事態を、まず絶対にやめなければならないと、強く主張される。国際的にも、批難されるべきはイスラエル政府であって、絶望的な抵抗を試みるパレスチナ人ではない、という見解でも一致しておられる。
 パレスチナのクリスチャン達が、この司祭のように、平和を作り出し和解の務めに徹底しようとしている姿には、頭が下がる思いであり、本当に祈りを共にしたいと思う。