パレスチナの聖公会・エルサレム教区訪問を終えて

行って自分の眼で確かめてごらん

今般東京教区の主教他、12名は2004年2月3日から10日間、エルサレム教区を訪問することができました。この計画を推進した東京教区「正義と平和協議会」は、世界の紛争の縮図ともいえるパレスチナの地にある教会の仲間から、その正義と平和を求める信仰と教会の使命について学び、そしてそれを分かち合うことを、訪問の第一の目的としたいと考えてきました。東京教区内には、マスコミで報道されている“危険”な地域に、殊更この時期に訪問団を送ることは必ずしも適当ではないという声もありました。日本政府も、パレスチナ・イスラエル地域を“危険”地域と指定し、一般旅行者には渡航を控えるよう勧告しています。毎年多くの「聖地旅行団」を送り出している日本の諸教会も、過去ニ・三年来そのような旅行団を組織していないようです。

にもかかわらず…・というより、だからこそ、私たちはこの困難な中にあるパレスチナ・イスラエル地域の主にある兄弟姉妹たちを、今訪ねたいと思いました。従って、訪問先ではなるべく多くの方々と出会い、その状況から学んだことを、日本ならびに世界の主にある兄弟姉妹に伝えたいと願ってきました。

以下は、私たちの10日間の訪問を通じて学び、理解し、そして語り伝えたいと強く感じた点です。

  1. イスラエル政府によるパレスチナ自治区を囲む「壁」の構築は、西岸及びガザ地区の人々の生活を脅かし破壊しており、国連決議により合意されたイスラエル・パレスチナ自治区の境界を無視していること。
  2. イスラエル政府による西岸及びガザ地区内のユダヤ人入植地の建設は、(そしてそれをつなぐ道路網の建設は)パレスチナ自治区での人々の生活と生存を危うくするものであり、1948年のイスラエル建国以来の様々な手段(戦争、暴力、嫌がらせ等)による、パレスチナ人所有の土地奪取が現在も進行していること。
  3. また、イスラエル国内のパレスチナ人は、イスラエル国民であるとされながらも、行政、雇用、教育、医療、社会サービス、司法、住宅/土地所有などのあらゆる面で差別を受け、国民としての権利をユダヤ人とは同等に与えられていないという現実。(イスラエル国内における「アパルトヘイト」状況)
  4. 世界の諸教会、特に原理主義的傾向の強い教会は、イスラエル国内のユダヤ教徒との連携と協力を強め、パレスチナ人クリスチャンの意志を無視し、結果としてイスラエル政府のパレスチナ人弾圧に加担していること。(「クリスチャン・シオニズム」と呼ばれている状況)
  5. 上記のような状況のなかで、パレスチナ・イスラエル双方が希望を見出せない状態になっており、特にパレスチナ人クリスチャン達についていえば、他国へ移住する決断をせざるを得なくなり、教会の存続が危くされていること。
  6. パレスチナ人クリスチャン達をはじめ多くのパレスチナの人々は、この状況の中で、イスラエル軍・イスラエル市民に暴力的に抵抗すること(たとえば、いわゆる自爆テロ)に反対しており、パレスチナ人、イスラエル国民はそれぞれに、正義と平和を求めているにちがいないと感じたこと。
  7. にもかかわらず、国際的合意を全く無視して、様々な方法でパレスチナ人の土地を奪い、家屋を破壊し、勝手に道路や地域を封鎖するというイスラエル政府のやり方は、テロに匹敵する非人間的行為であること。
  8. パレスチナ人クリスチャンの願いは、国際社会の中で、また全世界の教会の交わりの中で、彼らの状況と声が少なくともそのまま認証(recognition)され、広く世界に伝えられることにあること。
  9. パレスチナ人クリスチャンと教会は、これらの絶望的な状況のなかで、世界の理解ある諸教会の人々の援助を得つつ、パレスチナ人の教育、医療、福祉のために最大限の努力を続けていること。
  10. 以上のような理解と学びを通し、日本聖公会東京教区においてもエルサレム教区との交わりが継続的、かつ相互的なものとなるよう努力しなければならないこと。

言うまでもなく、パレスチナ・イスラエルを訪問することによって、私たちは聖書の世界、イエス・キリストの歩まれた歴史的な地に直接触れることの恵みを与えられました。ガリラヤ湖畔で、イエスの時代と変わらぬ自然にふれ、エルサレム聖ジョージ大聖堂とナザレの教会で、主にある兄弟姉妹と共に聖餐にあずかることができたことは、かけがえのない信仰の体験となりました。この体験を私たちの信仰の養いにするとともに、現実にそこで生活している人々の苦難と希望を、みなさんにお伝えしたいと思いました。

この訪問を可能にして下さったエルサレム教区の皆様、日本聖公会東京教区の皆様に、心より感謝致します。

一日も早く、この地に正義と平和がもたらされますよう に………。

 

   エルサレムにて

 

日本聖公会東京教区 主教 植田仁太郎

随行員                 
司祭 井口 諭(神田キリスト教会)
司祭 神崎 雄二(聖救主教会)
岩浅 紀久 (東京聖マリア教会)
大畑 智 (聖アンデレ教会)
梶山 順子 (聖マーガレット教会)
黒澤 圭子(聖テモテ教会)
鈴木 茂 (聖アンデレ教会)
松浦 順子 (聖マルコ教会)
宮脇 博子 (教区宣教主事)
吉松さち子(聖オルバン教会)
八幡 真也(管区渉外主事)

 

2004年2月12日

 


 

行って自分の眼で確かめてごらん

聖オルバン教会 吉松さち子

行って自分の眼で確かめてごらん

イエス様がお生まれになったベツレヘムの街

かつてあんなに巡礼者でごった返していたあの街が

ここ2,3年は観光客も途絶えたという

金を掘りつくして人々が去っていった

ゴースト・タウンのような街で

「あなた方が一月ぶりのお客様」と喜ぶ老店主

棚に置き去りになった聖母子像には埃が一杯

行って自分の耳で確かめてごらん

マリア様が受胎告知を受けたナザレの街に

かつてあんなに巡礼者で賑わっていたあの丘の街に

「今は通行許可書が必要で、それがないとイスラエル軍の

関所は通れないのよ。そんなに遠くない所に住んでいる

娘や孫に会いたいが、それもままならないの」

と涙ながらに嘆き訴える老婦人の声を

行って自分の肌で感じてごらん

イエス様もこの岸辺に立ったというガリラヤの湖畔に

2000年前と同じように風は肌を撫ぜ

湖畔の水は細波を立てている

道端にはアネモネが赤く

限りなく青い空に向かって咲き乱れているのに

   「この聖地にクリスチャンが2%しかいなくなってしまったの」という

    人々は傷つき、嘆き、そして将来を不安に思い、去ってしまった

    カナダへ、ドイツへと

    残されて行き場のない人々は

    壁の囲いの中に閉じ込められて

    檻に入れられた家畜のように

    自由に外出することも出来ない

乳と蜜の流れる”国で

    いまも無用な鮮血がながされている

    昨日もガザではイスラエル軍の攻撃を受け

    数十人のパレスチナ人が亡くなった

    世界中の和平への期待をよそに

    歴史の歯車を逆転させたのは、誰か。

    アメリカの詩人ロバート・フロストの

    “塀直し“ (Mending Wall) という詩の中で

    “隣人”は”よき塀あってのよき隣人“と繰り返す

    そして、詩人は彼に聞く、

    “塀をつくるのなら、何を締め出し、何を囲い込もうというのか”

    突き抜けるような高い空に

    グンと伸びたむきだしのコンクリートの壁が

    パレスチナ人の人として自由に生きる権利を

    奪い去ってしまった

さあ、今度はあなたたちですよ

行って自分の眼で、耳で、肌で確かめてください

そして、共に行動を起こしましょう!

パレスチナ人の人としての尊厳を守るために