第2回オンラインフォーラム「原発はやめようよ」報告書より(Part1)

日本聖公会「原発のない世界を求める週間」(2022/6/5〜6/11)の企画として6月5日と11日に開催された『第2回オンラインフォーラム「原発はやめようよ」 』の報告書の内容を、全2回に分けて転載します。

PDF版の報告書は、当サイトの【資料ページ】からご覧ください。

1. はじめに

今年もコロナ禍ということで、昨年に続きオンラインでの開催です。参加者は各教区から派遣された2名を中心に、宣教協議会実行委員、正義と平和委員、原発問題プロジェクト委員、管区総主事、宣教主事です。

5日のプログラムは、できるだけ多くの人たちと共有したいとの思いからYouTube 配信をしています。
https://youtu.be/zirEoOtfOrM

2. 公開プログラム 6月5日(日) 16:00〜18:00

冒頭の挨拶で上原榮正主教(正義と平和委員会・委員⻑)は、

「原子力に対して夢や期待を抱いていた時代は確かにありました。しかし、福島の原発事故を経験した私たちは、原発や核は人の力ではコントロールできないと確信しています。また、福島原発の事故だけでなく、広島、⻑崎への原爆投下によって、いまだに苦しんでいる人たちがいることを知っています。一方で、原発を推進する人や、原発やその関連施設で働く人がいることも確かです。

このフォーラムに求められるのは、批判や対立、争いではありません。いろいろな分野の人たちの叡智を活用し、立場や考えの違いを超えて、平和で持続可能な世界をどのように守るのか、また、どのように作って行くのかを探るためのフォーラムでもあると思います」

と述べています。いのちを選び取ることの大切さと責任を心にとめました。

上原主教の挨拶の後、映像による被災地の紹介、公開講演会と続きました。

映像による 被災地紹介

⻑⾕川清純司祭(原発問題プロジェクト⻑、東北教区の東日本大震災被災者⽀援プロジェクトリーダー)の案内で、現在の被災地の様子がスライドで紹介されました。

祈りの庭

磯山聖ヨハネ教会は地震で建物が半壊となり、内陸の新しい場所へ移されました。
元々教会があった場所は「祈りの庭」となっています。

浪江町

浪江町の様子です。柵で遮断 された道路の脇には「この先帰宅困難地域につき通行止め」という看板が立てられ、その向こうにはいけません。
あの時のまま、時間が止まっています。

「希望の牧場」

被ばくのため殺処分されそうになった牛たちが暮らす「希望の牧場」です。
原発の生贄になった荒廃の地であることを訴え、これ以上原発被害を増やしてはいけないという強い思いを伝えています。

浪江町立請⼾⼩学校

地震と津波の被害を受けた浪江町立請⼾⼩学校。
今は震災遺構として残されています。
校舎の時計は、津波が到達した3時38分を指したまま止まっています。

大熊町や富岡町には放射性廃棄物の入った袋が積まれた山が広範囲に点在し、シートで覆われただけの状態で⻑期間保管されています。
未だ最終処分地が決まらず、中間貯蔵施設とされています。

車で移動中計測すると、今も所々ホットスポットと呼ばれる放射線数値が高い場所が存在しています。
原発事故の被害や人々の暮らしに与える影響は終わることがありません。

公開講演

「原発からの命の守り方」〜「平和のうちに⽣存する権利」を⼿放さないために私たちができること〜

講師:森松 明希子さん

  • 東日本大震災避難者の会Thanks & Dream(サンドリ)主宰。
  • 原発被害者訴訟原告団全国連絡会共同代表。
  • 原発賠償関⻄訴訟原告団代表。
  • 国連人権理事会(ジュネーブ)にてスピーチ。
  • 参議院東日本大震災復興特別委員会に参考人として出席、被災者としての陳述。
  • 「⿊⽥裕子賞」受賞。著書に『⺟子避難、心の軌跡』(かもがわ出版、2013 年)『災害からの命の守り方―私が避難できたわけー』(文芸社、2021 年)など。

森松さんは、事故発生2ヵ月後の2011年5月、医師である夫を郡山市に残し、0歳と3歳のお子さんとともに大阪府に避難しました。
同じ目的の避難でも強制避難する場合と、避難指示は出されていないけれども自ら別の地域へ自主(自力)避難するのでは避難先での状況が違います。
「強制避難」の場合は避難中の生活にも様々な支援があります。
しかし、自主的に避難した人々は避難先、避難時期、避難方法などが多様なばかりでなく、避難先での自主申告となることから、避難先の自治体が正確な避難者の情報を把握し難く、中には避難者としてカウントされない場合が生じます。森松さんもその一人でした。
そのような場合には、避難者としての支援対象から外れ、時には精神的、経済的に困難な生活を余儀なくされることがあります。森松さんは、そのような経験をされたのでした。

森松さんは、この経験を機に「原発問題の本質は何か」と考えました。
その結果、気がついたことは、「命に関わる問題である」ということでした。
そして、それを深めてゆくことにより、「命に関わる権利の侵害がある」ということにも気づいたのです。
安全神話と言われるほど「原発は安全である」とどれほど聞かされてきたでしょう。私たちは、いつの間にか、そう思い込まされてきました。原子力(核)エネルギーによって産み出される電気は安いとも言われてきました。安くて安全なエネルギーなら、どれほど人々の生活が豊かになることか・・・と思いました。
しかし、3.11の事故によって、その希望と信頼は崩れ落ちてしまいました。原子炉はメルトダウンし、11年経った今も、近寄ると20秒で死に至ると言われる高レベルの放射能を放出し続けており、廃炉の工程を見通すことすら出来ません。
国や原子力関係者は原発事故や放射能被ばくがどれほど危険なことであるかが十分わかっていたからこそ、安全性を強調して来ました。一般国⺠は、問題の本質から遠ざけられているのです。知らせれば混乱が生じるという理由で。
森松さんはこのような経験を通して、「核の問題」や「原子力災害の問題」の本質は、「環境の問題」や「エネルギーの問題」ではなく、「命の問題」であり、「命に関わる基本的人権の侵害の問題」なのだと確信したのです。このベースがないと避難先での差別やバッシングへの対応や、避難できない、或いは避難しないために権利を行使することが出来ずに沈黙してしまうような不条理な状況に対して、言論が封じられてしまう、ということが理解できたのだと思います。その権利には、「平和のうちに生存する権利(平和的生存権)」に関連する、「被ばく回避権」や「健康で文化的な生活を営む権利」などがあります。

森松さんのお話は原発の危険性にばかり注意を向けてきたこれまでの私たちに、危険を避ける避難は日本国憲法が保障する基本的人権の一部であることを理解させてくれたものでした。

まさに、「核といのちは共存できない」のであり、原発は事故がなくても潜在的に危険な放射能を排出し、私たちの「いのち」を危険に晒すものであると理解する時を与えてくれました。

『3. 被災者への聞き取りと話し合いのプログラム 6月11日(土) 13:30〜15:30』と『4. おわりに』は、次回投稿します。