ぼやきオリンピック

競技会場のある都、道や県の知事が無観客を決め始めたとき、ひときわ目立ったのは宮城県の村井嘉浩知事である。郡和子仙台市長が、仙台市が交通拠点となる関係上、無観客の要請を試みたときのこと。「そんなこと言っているのは郡市長さんだけです。予定会場は仙台市の隣の利府町です。県内他の市町村長からはそんな話聞いてません」と個人の趣味を揶揄されたように血相を変えて言っていた。

福島県の内堀雅雄知事はすぐ、世論を背景に「復興五輪」の名目を捨ててまで無観客に舵を切った。そして説明の中で、残念だけれど復興の道は別のルートでも実践できるし実践中である、とさっぱりした顔で言い切った。将来この違いがどう出てくるのだろう?

福島と宮城の両県を跨ぎ通勤している私としては、列車が県境を越えるたびに思うのである。マスコミは無観客ドミノが広がるなどと言ってはやし立てる情けなさと、世論に動じないふりをする知事。受苦圏なのに原発の関心はどこへやら。

ただ「黒い雨」判決の勝訴はめでたいが、いったい何年かかったのか。客観的に正しいことが勝つ、忘れてはいけないことである。

世の中には忘れていいものもある。人によっても大きく異なるとは思うが、基本的に将来年表に書いておかないといけないものは60数歳になっている私にもわかる。オリンピックの有観客問題で宮城県知事と仙台市長が対立したことで、観戦者(感染者)が増えれば汚名は永遠に残り、あまり考えられないが増えなかったりすれば、したり顔の宮城県知事の顔がしばらく残ることになるのかも知れない。でも後者の方はやがて忘れられてしまうだろう。そのとき良ければそれでいいという考え方。よそが無観客ならうちは有観客です、すごいでしょう!でも感染対策は皆さん銘々でお願いしますね、ということらしい。後に来る苦しみが長くなるというのに。決めたことは揺るがせない、柔軟性に乏しい出身母体がそう考えさせるのか、おりしも仙台市長選挙も始まった。

多くの苦しみを背負って来日し、結果保護されたウガンダの彼の幸せを願う。ワクチン騒ぎはしばらく続き、感染者も増えていく。とにかく皆様ご自愛を!

(文責:原発問題プロジェクト委員・浅原和裕 7月21日記)