連載 福島からのぼやき(第4回 最終回)『やはり原発は存続する限り人類を滅ぼす その2』
浅原和裕さんは原発問題プロジェクトのメンバーで、福島聖ステパノ教会の信徒です。福島市内に住んでいて、仙台市への通勤路にある放射線線量計(モニタリングポスト)を目にしながら日常を送っています。(因みに、福島県内には現在も約3600地点にモニタリングポストが設置されています[福島県ホームページ])。
「連載 福島からのぼやき」第1回と2回では、福島市だけでなく赴任地や旅行先で浅原さん自身が経験した5カ所の原発について、「私が原発周辺で生活していた頃 ~原発との遭遇~」と題してぼやいています。
「連載 福島からのぼやき」第3回は、「やはり原発は存続する限り人類を滅ぼす その1」でした。今回は、前回に続く「やはり原発は存続する限り人類を滅ぼす その2」で、今回で連載「福島からのぼやき」の最終回です。
やはり原発は存続する限り人類を滅ぼす その2
「安全神話」が崩れた今日といいますが、そんなものはなかったんです。「事故前提」なんです。じゃ!前提の中に何があるのか? 人命の犠牲ですよ。前提をなくすためには原発をなくさないといけません。物を作ったとき、経過年数がある程度たったら、ここ崩れたらどうしようとか一般的に考えますよね。
原発の場合は(あんまり言いたくないのですが)、もっと大きな自然災害、テロ、武力による侵略があったらたちどころに独立を脅かされるものであることに気づいていただきたいのです。「日本沈没」「宇宙戦艦ヤマト」もおそらく皆さんも視聴されたと思いますが、日本はどうなってしまうのだろう? もっと想像力が必要なんです。
基礎疾患、副反応、後遺症を取り除く異次元な取組が今まさに必用とされるのです。
あんまり言うと「原発カルト」なんて言われるかもしれませんが、普通の想像力でもわかる話なんで、少なくともこの政策でお金もらって発展したなんていうことをやめてもらいたいんです。ことを進めるときよくメリットは? デメリットは?とか言いますし、WinWinの関係とかいいますよね。ある程度リスクは付き物でしょう。それを避ければ何もできないじゃないか!なんてね。説得しますよね。でもこと原発については恐ろしいリスクが隠れているのにもかかわらず・・・努力してるんだから大丈夫じゃないの? これはないんですよ。今の科学では。だから核のゴミは埋めて将来始末するといってますが、これが増え続ける現実はどうするのか?
何処も受け入れるのは嫌だ! 福島で何とかしてよ!となることは見え見えで、北海道にもとばっちりが及んできている、分断の恐れも出てきています。今はいいですよ同情されてるうちは・・・だったら言いますよ! 首都圏、都内に送る電力を作っていた原発で起きた事故なんですよと・・・福島県民は何らこの電力を享受していないものの事故だったのです。
西の方から再稼働が始まっています。大きな地震も頻発しています。いつもいつも大丈夫かと心配します。繰り返された挙句多くの犠牲が出たら遅いんです。近くにある原発はどうなるのでしょうか?
皆さんは2020年3月に封切りされた「Fukushima50」という映画ご存じでしょうか? TVでもやっておりました。2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の地震が発生し、それに伴う巨大な津波が福島第一原子力発電所を襲う。全ての電源が喪失して原子炉の冷却ができなくなりメルトダウン(炉心溶融)の危機が迫る中、現場の指揮を執る所長の吉田昌郎(渡辺謙)をはじめ発電所内にとどまった50名の作業員たちは、家族や故郷を守るため未曽有の大事故に立ち向かう。
多くの関係者への取材を基に書かれた門田隆将のノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」を実写映画化。世界を震撼させた東日本大震災による福島第一原子力発電所事故発生以降も現場に残り、日本の危機を救おうとした作業員たちを描く。
まあすごい映画でした。渡辺謙と佐藤浩市ですからね。俳優の演技がすごいので、その迫力に酔いしれてしまって、その部分しか見ていなかったような気がします。映画ですから短い時間でその原因について触れられていないし、その前提が詳しく述べられていない点が残念でした。体を張った50人の人々の苦労は映画の醍醐味を感じさせました。がしかし、ただヒロイズムを感じるのではなく本当の現場では実際どうだったのか?ということです。
最近は原発回帰なんて言葉を聞きます。福島市の吾妻山山麓で、風力発電のプロペラが少し目立ってきて、太陽光のパネルが少し増えてきたと思ったら、環境破壊がはじまっているなんて論調が始まっています。一体再生エネルギー計画はどうなっているのか? また廃炉中のデブリの取り出しが難航しており、三度目の延期とか! 計画から3年遅れとのことで報道されています。
以上
今回で4回の連載「福島からのぼやき」は終了します。しかし、福島市内に住んでいるからこその浅原さんの「ぼやき(生の声)」はこれからも続きます。
浅原さんの生活者としての鋭い視点は、私たちが見落としがちなたくさんの気づきを与えてくれます。そして、いつもハッとさせられ、もっと敏感にならなければと思います。
これからも、浅原さんのぼやきをできるだけ私たち自身のこととして、原発の持つ問題や課題について、ご一緒に考えて行ければと思います。