宗教者核燃裁判オンラインセミナー「宗教者核燃裁判への歩み」が開催されました

発題者:長田浩昭住職 兵庫県・真宗大谷派(本人提供)

2022年5月12日に「宗教者が核燃料サイクル事業廃止を求める裁判(宗教者核燃裁判)」に関する連続オンラインセミナー第一回目「宗教者核燃裁判への歩み」が開催されました。
発題者は真宗大谷派の住職、長田浩昭さんです。

この裁判は、青森県六ケ所村の原子力施設(核燃料再処理工場など)の運転差し止めを求めて、この趣旨に賛同する宗教者、信仰者を原告団とし、日本原燃株式会社を東京地方裁判所に提訴しているものです。原告団は、仏教、キリスト教、神道、新宗教など、宗教、宗派を超えて形成されています。
原発問題プロジェクトもこの趣旨に賛同し、プロジェクトして原告団に加わっているばかりでなく、日本聖公会の教役者、信徒も日本全国から多数加わっています。

このセミナーの様子を原発問題プロジェクト委員の尾関敏明さんがまとめました。

※連続セミナー第2回目は6月9日午後7時~9時に予定されています。日本福音ルーテル教会牧師の内藤新吾さんが、「六ケ所再処理施設の危険性」について話します。

原発と宗教者 〜宗教者核燃裁判への歩み〜

私たち日本聖公会は「核といのちは共存できない」と主張しつつ、「原発のない世界を求めて」活動を積み上げてきた。2011年の東日本大震災と同時に発生した東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故を機に立ち上がったものである。このような活動はこれまで、それぞれの宗派、教団、教派の中で独自の主張をしつつ進められてきたと言える。

一方、高速増殖炉「もんじゅ」が1992年10月の初臨界を迎えようとする翌年(実際の初臨界はこの1年半後)の1993年7月に「原子力行政を問い直す宗教者の会(以下、宗教者の会と記す)」という仏教者とキリスト者が協働で行動する活動が結成された。日本山妙法寺の一人の僧侶が、当時の状況を、「宗教者の立場から独特の切り口で司法に訴えるべき時がきているのかもしれない」と発言されたことをきっかけとしての結成であったという。

この会は、毎年全国大会を持ち、1995年7月の第3回全国大会は(「国策=核燃料サイクル」を問う〜今、宗教者として〜)とのテーマのもとに集まったものであった。2018年の松山全国大会では「三権分立した独立機関であるはずの司法が行政に忖度して住民の立場に立たずその本来性を失っている」との認識を確認し、その後、2020年3月に「宗教者が核燃料サイクル事業廃止を求める裁判(略称:宗教者核燃裁判)」を東京地裁に提訴するに至った。

この活動を初期の段階から関わってこられた長田浩昭さん(兵庫県・真宗大谷派 住職 写真)はこれまでの経緯を以下のYouTubeで詳しく語っている。

長田さんは石川県珠洲市の原発誘致に反対する運動の中で、関西電力の社員が現地調査に来た折に、地元のお婆さんが「あんたらなぜこんな大阪から遠い所に原発を作るか?」と尋ねたところ、若い社員の「都会に作って万一事故が起きたら大変な事になるからだ」との答えに、「お前らそれでも人間か!」と答えたということが忘れられないという。

また、原発に関する被曝労働の問題から目を離すことは出来ない。原発は「生命(いのち)が軽んじられて行く歴史でもある」、「原発を共通の信仰課題とする集まりが生まれた」とし、「宗教・信仰の存在価値を表明し、自らをも深め回復して行く道だ」と述べている。

宗教者の会が結成されるときの宣言文には、

「かつての侵略戦争を宗教者、信仰者が防ぎ得なかったばかりか、教団においては積極的に加担してきた犯罪的、背教的歴史を至心に懺悔するとともに私たちは今まさに自他の一切のいのちが破滅の淵にあるこの現実を直視し、その根本的具体的解決のために祈り行動しよう。それこそが現代に生きる私たちがそれぞれの宗教・信仰の存在価値を表明し自らをも深め回復していく道だ」

とある。

核燃裁判を提訴したことは、宗教者の会の必然でもあったと長田さんは語っている。

敦賀原発から8kmの浄土真宗本願寺派のご住職であった立花正寛さん(1994年、末期癌により故人となられた)の自己紹介の言葉が忘れられない。「私は住職をして十数年来、癌と白血病以外の方の葬儀をしたことがありません。」・・・ まさに原発は「いのち」を奪うものである。

(文責 原発問題プロジェクト委員 尾関敏明)