いっしょに考えよう!福島原発のトリチウム汚染水(1) – 何が問題?

東京電力福島第一原子力発電所の事故後からたまり続けている汚染処理水の処分方法として、海洋放出することが2021年4月の政府関係閣僚会議によって決められました。漁業関係者をはじめ多くの人の反対の声にもかかわらず、希釈すれば人体・環境に無害な水として対応できると説明し、地元の人たちが懸念する風評被害に対しても「政府が前面に立つ」と言うだけで具体策は示されていません。

先日開かれた、当プロジェクト主催のオンラインフォーラム「原発はやめようよ」でも、参加者からトリチウムが人体や環境へ及ぼす影響について疑問が出され、取り上げてほしい問題として挙げられました。本当にトリチウムを含んだ汚染処理水は海に流して大丈夫なのでしょうか?

当サイト内の資料「福島第一原発事故の今とこれから」の中でも、河田昌東さんはトリチウムを海洋放出すれば風評被害ではなく「実害」が起こると言っています。

いったいどういうことなのでしょう?
今回はQ&A形式で解説しています。2回シリーズで一緒に考えていきましょう。

なお、できるだけたくさんの方と共有したいと思い、この投稿では河田さんに寄稿いただいた『福島原発のトリチウム汚染水(1) – 何が問題? (2021年6月13日)』の内容をご本人の許可を得て「ですます調」に変更し、いくつかの漢字をひらがなに直し掲載しています。また、イラストとその説明を加筆しました。


河田昌東(かわた まさはる)さん

1940年秋田県生まれ。
2004年名古屋大学理学部定年退職。
現在、NPO法人チェルノブイリ救援・中部理事。遺伝子組換え情報室代表。専門は分子生物学、環境科学。
『原発問題に関するQ&A』(日本聖公会発行)監修。

はじめに

河田さん

事故から10年経った今も続いている福島第一原発の放射能汚染水問題は今後も簡単には解決出来そうにありません。その大きな原因は「トリチウム」にあります。東電の発表では事故直後の2011年5月~2013年7月にかけて海に流出したトリチウム量は約20~40兆ベクレル(2~4×1013Bq)で、この中には事故直後に流出した高濃度の汚染水や東電が意図的に放出した汚染水中のトリチウムは含まれていません。現在1200個のタンクに貯蔵されている汚染水120万トンに含まれるトリチウムは860兆Bq(8.6×1014)で、今なお毎日150トン増え続けています。東電と政府はこれを基準以下に薄めて海洋放出するといいます。何が問題なのでしょうか。

トリチウムってなに?

トリチウム(Tritium:略号T)の和名は三重水素と呼ばれ化学的性質は水素(H)と同じです。
水素は原子核に一個の陽子(P)、その周りを一個の電子(e)が回っている最も小さい安定元素です。
トリチウムは原子核に一個の陽子(1P)の他に2個の中性子(2N)を含み(1P2N)、不安定なため中性子の1個が電子を放出して陽子に変化し、原子核に2個の陽子(2P)と1個の中性子(N)を含む(2P1N)新しい元素(ヘリウム3:3He)になって安定化します。
この時放出される電子がベータ線(β線)です。トリチウムの半減期は12.3年です。

原子炉の中では、冷却水(H2O)に僅かに含まれる重水(H-O-D)の重水素(D)の原子核に中性子が取り込まれたり、不純物のリチウムや加圧水型原発の冷却水に含まれるホウ素という物質が分解したりしてトリチウムが出来ます。
従って、原子炉の冷却を続ける限りトリチウムは新たに生産され続けることになります。

一方、我々が生きている生活圏でもトリチウムは存在します。
過去の核実験や宇宙線の影響で、地球上の水の中には1~2Bq/L程度のトリチウムが含まれています。

トリチウムはなぜ除去できないの?

化学的性質が水素と同じで、トリチウム(T)を含む水(T-O-H)と通常の水(H-O-H)が区別出来ないからです。
セシウム137やストロンチウム90など多くの放射性物質の除去には、その元素の化学的性質を利用し吸着や濾過などを行い除去します。
しかし、通常の水とトリチウムを含む水はこうした方法では区別できず除去できません。

その結果、沸騰水型原発では原子炉内で年間2兆Bq(2×1012)、加圧水型原発(PWR)では87兆Bq(8.7×1013)のトリチウムが生成されますが、その殆どを放出可能な海洋放出基準が定められています(濃度では60000Bq/L)。

余談ですが、青森県六ヶ所村の再処理工場が通常に稼働すれば、年間1900兆Bq(1.9×1015)を大気中に、1.8京Bq(1.8×1016)を海中に放出する予定です。
トリチウムの放出基準は事実上存在せず、現実追認でありそれが根本的な問題です。

トリチウムのなにが問題なのでしょう?

トリチウム水は通常の水と同様、経口や呼吸、皮膚を通じて体内に入ります。
体内でも普通の水と同様に血液や体液を通じて細胞内の様々な代謝反応に関与し、タンパク質や遺伝子(DNA)の中の水素に取って代わりその成分として入り込みます。

体内で水として存在する場合は新たに入ってくる水に置きかわり体外に排出されます(生物学的半減期は12日)が、細胞の構成成分として取り込まれたトリチウムは容易に代謝されず、その分子が分解されて水になるまで長時間留まり(放射線生物学者ロザリー・バーテルによると少なくとも15年以上)、ベータ線を出し続けることになります。
盛んに細胞分裂する若い細胞ではより多くのトリチウムを成分として取り込みます。

体内の有機物に取り込まれたトリチウムは有機結合型トリチウムOBT (Organic Bound Tritium)と呼ばれ、セシウムのように単に元素として体内に存在し放射線を出す放射能とは区別が必要です。
しかし国際放射性防護委員会(ICRP)はこの点を過小評価しています。

トリチウムの出すベータ線はエネルギーが極めて小さく、外部被曝は殆ど問題になりませんが、こうして体内に取り込まれると、全てのベータ線は内部被曝の原因になります。

DNAに取り込まれたトリチウムはどうなるの?

トリチウムは遺伝子DNAの中の酸素や炭素、窒素、リン原子と結合し、化学的には通常の水素原子と同じ振る舞いをしますが、半減期とともに電子(ベータ線)を放出して周囲を内部被曝させ様々な分子を破壊します。

しかし、それだけではありません。
トリチウムが壊れヘリウム原子に変わると、トリチウムと結合していた炭素や酸素、窒素、リン等の原子とトリチウムとの化学結合(共有結合)が切断します。
ヘリウムは全ての元素の中で最も安定な元素で他の元素とは結合しないからです。
その結果DNAを構成している炭素や酸素、窒素、リン原子は不安定になり、DNAの化学結合の切断が起こります。

このように、トリチウムの効果は崩壊時に出すベータ線の被曝だけではなく、一般的な放射性物質による照射被爆とは異なる次元の、構成元素の崩壊という分子破壊をもたらすのです。
いわゆる照射被曝は確率論的現象ですが、DNAの破壊はトリチウムの崩壊と共に100%起こります。

トリチウム汚染でなにが起こるの?

核実験が始まる1950年代以降、トリチウムの生物学的影響に関する研究は数多く行われています。
最も広く知られているのは染色体の切断などの異常です。
人リンパ球を使った実験ではトリチウム水に晒されると3700Bq/ml位から染色体異常が起こり、370万Bq/mlではほぼ全ての細胞で染色体が壊れます。DNAの構成要素の一つチミジンの水素をトリチウムで置換した場合、37Bq/ml位から染色体の異常が始まり19万Bq/mlの濃度では100%の細胞が染色体異常を起こします(堀、中井:1976年)。

このように有機結合型トリチウムOBTの危険性は通常の放射能による被曝とは次元が違います。
生体次元での研究も数多くあり、染色体異常(突然変異)の結果、致死的なガンなどの健康障害が指摘されています。

特に問題なのは子宮内胎児への影響です。
トリチウム水やトリチウムを含む体内の分子は、胎盤が通常の水や分子と識別出来ないため、そのまま胎児の細胞に取り込まれます。
その結果、胎児に異常が起こり、死産や早産、流産などの他、様々な先天異常などの原因になります。

米国カリフォルニア州のローレンス・リバモア国立核研究所のT. ストラウムらの研究(1991~1993)ではトリチウムによる催奇形性の確率は致死性ガンの確率の6倍にのぼります。
カナダのオンタリオ湖はカナダ特有の重水原子炉から出る大量のトリチウムによる汚染が知られています。その結果、周辺地域で1978~1985年の間に出産異常や流死産の増加が認められ、ダウン症候群が1.8倍に増加し、胎児の中枢神経系の異常も確認されました(カナダ国立原子力エネルギー規制委員会報告1991年)。

また最近明らかになった重大な事実があります。
英国の核燃料加工施設でトリチウムを扱う作業に従事した34名について調査したところ、平均被曝線量がγ線は1.94mSv(ミリシーベルト)、トリチウムによるβ線被曝が9.33mSvしかなかったにもかかわらず、血液中リンパ球の染色体異常が多発していました。

河田さん

このように、トリチウムは放射線のエネルギーが低いためにその影響が過小評価されがちですが、ベータ線被曝だけでなく、生体分子の構成成分の破壊を通じて、他の放射性物質とは全く異なる生物への影響をもたらすことが大きな問題です。