連載 福島からのぼやき(第3回)『やはり原発は存続する限り人類を滅ぼす その1』

浅原和裕さんは原発問題プロジェクトのメンバーで、福島聖ステパノ教会の信徒です。福島市内に住んでいて、仙台市への通勤路にある放射線線量計(モニタリングポスト)を目にしながら日常を送っています。

連載「福島からのぼやき」(第3回)のタイトルは、「やはり原発は存続する限り人類を滅ぼす その1」です。何とも衝撃的なタイトルですが、ぼやきの内容は「なるほど」とうなずくものばかりです。

連載 「福島からのぼやき」第1回と2回では、福島市だけでなく赴任地や旅行先で浅原さん自身が経験した5カ所の原発について、「私が原発周辺で生活していた頃 ~原発との遭遇~」と題してぼやいています。

今回お届けするのは連載第3回、「やはり原発は存続する限り人類を滅ぼす その1」です。 

浅原さんの「ぼやき」を読み進めますと、原発政策の横暴と原発の危険性をあらためて想います。そして、原発の近くに住んでいようといまいと、原発は私たちの日常に深くかかわっていること、「原発(核)といのちは共存できない」ことを実感します。

浅原さんはこう記述しています。「原発が存続し続ける問題は環境問題と人権問題と平和問題なのです。」 「声を上げる。上げ続ける。あきらめないで、がっかりしないで、根気よく。」 「社会を変えるためには結局それしかないのではと思います。」

やはり原発は存続する限り人類を滅ぼす その1

市民が避難行動、生活保障につき訴訟を起こし電力会社と相争う。もっぱら電力会社はその方面の専門家?プロ弁護士を雇い防衛を先鋭化させる。完全な社会悪の堂々巡り問題です。原発は社会悪なので仕方がないといった政治家がいたようですがとんでもないことです。

TVの市民のインタビューなんかでも原発がないと先行き大変じゃないのか?なんて話している道行く無責任な人に問いたい!あなたはどちらにお住まいですか?日本の国土は狭いのですよ。どこに住んでいてもいざとなれば被爆するんですよ!暢気すぎますよ。自分だけ良ければ、自分の家族だけが無事であればいいなんて通用しませんから!!またそんな虫のいい話はありませんよ。万が一爆弾、ミサイル一個落ちたらとんでもないことが起きることわかってますよね。今大転換を図る勇気が必要なんです。また今を逃せば、生きながらえたとして後世の人たちに大きな付けを残すことになります。こんなことが許されるのでしょうか?

東電も3・11以降「事故は起きないではなく、事故は起きると想定することから、安全対策のすべてが始まる」と言ってますが、起きる事故のレヴェルが違う。犠牲が必ず伴い、犠牲が前提なんです。広範囲な避難が求められ、長く居住地を失う、人体に長く影響が残る、しかも廃炉に40年掛かる!その廃炉を見届けるのに2世代は有に必要。その間忘れられる、フェードアウトする。なかったことになる、歴史の教科書に運がよければ現象面から1行くらい載る、こんなところでしょうね。それすら結局将来文科省に削られたりして。別な表現として、「東日本大震災後さらに原発の安全が徹底されている。」なんて変更されたりして・・原発が存続し続ける問題は環境問題と人権問題と平和問題なのです。将来とも簡単な表現は許されません。

世の中に人の命を引き換えにした、経済理論はあんまり聞きません。ただ根底にあるのは「富の欲望」といえるものでこれを行えば人類が発展すると誤解し勘違いしている人間が経済界にも巷にもいるということなんですね。ほとほとその無責任さに呆れます。

廉価で発電しSDGsにもこたえる原子力発電、うそをつきなさんな!この実態を見よ!

賠償すればいいじゃないの?しょうがない日本の発展のためのできごとの一つだから・・・僕は近くに住んでないから興味ないからね。この廃炉にいくらかかると思ってるの?ただ解体すればいいってもんじゃない。当初2兆円から8兆円に増えて、膨大な環境努力が必要で今端緒についてばかりで13年目に入ったことになります。もっと全国の皆さんに感覚を研ぎ澄ましてほしいです。「声を上げる。上げ続ける。あきらめないで、がっかりしないで、根気よく。」社会を変えるためには結局それしかないのではと思います。そして廃炉の状況をしっかり見極め続けること。隠蔽、不正の東電の動きをしっかり見ていくことです。

人は何も持たずに生まれ、何も持たずに旅立つ。でもその間様々なことを学び経験する。平和な世界で生を続けるために、豊かな多様性の中で精一杯生きたいです。

増設すれば「原発マネー」が入ってくるので何とか増設したい。

しかしどうでしょう。福島県のように事故が起きてしまったらそうはいきません。

会津藩時代藩士の子弟は「什」に入って学びました。皆さんご存知の「什のおきて」です。10条は無いんです。実際は7条までなんですけど。結論は有名な言葉として「ならぬものはならぬ」なんですよ。このお金はあてにしてはいけないのです。これからの人の命がかかっているのですから。

海洋投棄の問題だってそうです。すいません、どうにもたまってしまってしょうがないんです。だから流します海の中にトンネル掘って遠くに出しますから。ちょこっと有害なものが入ってますが薄めてますから大丈夫です。『これは、あなたの庭先に流させてください。有毒物質のトリチウムは消せないのですが、極薄ですから大丈夫ですから。』と言っていることと同じなんですよ。でも流す絶対量は変りませんよね。

そして「常磐もの」は風評被害にあい、事業者は死活問題ですので賠償をもとめることになる。今は大丈夫でも流し続ければ今後どうなるのか?もっと必死になってトリチウムを分解する研究をすべきであり、近畿大学の研究など真摯に取り上げてもらいたい!こういうところに資金は使われるべきです。

(次回に続く)