聖霊降臨後第三主日 2013年6月9日(日)

 

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ルカによる福音書 7:11-17


11それから()もなく、イエスはナインという(まち)()かれた。 弟子(でし)たちや大勢(おおぜい)群集(ぐんしゅう)一緒(いっしょ)であった。 12イエスが(まち)(もん)(ちか)づかれると、ちょうど、ある母親(ははおや)一人(ひとり)息子(むすこ)()んで、(ひつぎ)(かつ)()されるところだった。その母親(ははおや)はやもめであって、(まち)(ひと)大勢(おおぜい)そばに()()っていた。 13(しゅ)はこの母親(ははおや)()て、(あわ)れに(おも)い、「もう()かなくてもよい」と()われた。 14そして、(ちか)づいて(ひつぎ)()()れられると、(かつ)いでいる(ひと)たちは()(どま)った。イエスは、「若者(わかもの)よ、あなたに()う。 ()きなさい」と()われた。 15すると、死人(しにん)()()がってものを()い始めた。イエスは息子(むすこ)をその母親(ははおや)にお(かえ)しになった。 16人々(ひとびと)(みな)(おそ)れを(いだ)き、(かみ)賛美(さんび)して、「大預言者(だいよげんしゃ)我々(われわれ)(あいだ)(あらわ)れた」と()い、また、「(かみ)はその(たみ)(こころ)をかけてくださった」と()った。 17イエスについてのこの(はなし)は、ユダヤの全土(ぜんど)(まわ)りの地方(ちほう)一帯(いったい)(ひろ)まった。

ルカによる福音書 7:11-17

11それから()もなく、イエスはナインという(まち)()かれた。 弟子(でし)たちや大勢(おおぜい)群集(ぐんしゅう)一緒(いっしょ)であった。 12イエスが(まち)(もん)(ちか)づかれると、ちょうど、ある母親(ははおや)一人(ひとり)息子(むすこ)()んで、(ひつぎ)(かつ)()されるところだった。その母親(ははおや)はやもめであって、(まち)(ひと)大勢(おおぜい)そばに()()っていた。 13(しゅ)はこの母親(ははおや)()て、(あわ)れに(おも)い、「もう()かなくてもよい」と()われた。 14そして、(ちか)づいて(ひつぎ)()()れられると、(かつ)いでいる(ひと)たちは()(どま)った。イエスは、「若者(わかもの)よ、あなたに()う。 ()きなさい」と()われた。 15すると、死人(しにん)()()がってものを()い始めた。イエスは息子(むすこ)をその母親(ははおや)にお(かえ)しになった。 16人々(ひとびと)(みな)(おそ)れを(いだ)き、(かみ)賛美(さんび)して、「大預言者(だいよげんしゃ)我々(われわれ)(あいだ)(あらわ)れた」と()い、また、「(かみ)はその(たみ)(こころ)をかけてくださった」と()った。 17イエスについてのこの(はなし)は、ユダヤの全土(ぜんど)(まわ)りの地方(ちほう)一帯(いったい)(ひろ)まった。

新共同訳聖書

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牧師コーナー

オルガンコンサート
6月9日(日)午後2時から当教会オーガニストの新妻由加さんによるオルガンコンサートが開かれました。

今日の福音書はナインの町のやもめの一人息子が甦る物語です。この奇跡の出来事の始まりはイエスが「憐れに思って」とあります。本田神父は「はらわたをつき動かされて」と訳します。沖縄の言葉に「肝苦さ」(ちむぐるさ)と言う言葉があります。本当に苦しく悲しい状況に置かれた人に対する共感の姿で誰しもやもめの一人息子が亡くなったことを思うと痛むほどの悲しみに身体の奥底が痛む思いをするでしょう。イエスの人を思う眼差しがここに現れています。人々は「神はその民を心にかけてくださった」と神様の介入を知ります。神とイエスはこのように私たちに関わってくださるのです。今日の福音書はナインの町のやもめの一人息子が甦る物語です。この奇跡の出来事の始まりはイエスが「憐れに思って」とあります。本田神父は「はらわたをつき動かされて」と訳します。沖縄の言葉に「肝苦さ」(ちむぐるさ)と言う言葉があります。本当に苦しく悲しい状況に置かれた人に対する共感の姿で誰しもやもめの一人息子が亡くなったことを思うと痛むほどの悲しみに身体の奥底が痛む思いをするでしょう。イエスの人を思う眼差しがここに現れています。人々は「神はその民を心にかけてくださった」と神様の介入を知ります。神とイエスはこのように私たちに関わってくださるのです。

牧師 司祭 バルナバ 前田(まえだ) 良彦(よしひこ)

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