九仞の功 一簣の虧

主教 アンデレ 大畑 喜道

 今年の二月に武蔵川親方が相撲界から引退しました。大関から陥落しながらも最後は横綱にまでなった武蔵川親方〈元横綱三重ノ海)。彼の化粧まわしには「一簣の功」という字が刺しゅうされたものがあるそうです。土を盛り上げて山を作ろうと考え、一生懸命に努力する。しかし99%完成したとしても最後の最後の踏ん張りがないためにそれを成し遂げることができない。千尋の谷底という言葉もありますが、仞というのは高さを測る単位で、尋と同じだそうです。九仞というのは高く積み上げられた九割方成し遂げられたというような意味でしょうか。簣というのは土を運ぶ道具です。ブルトーザーで山を積み上げるのではなく、少しずつ少しずつ毎日の積み重ねは重要です。しかしだんだんと山が高くなっていくと、積み上げていく努力も最初とは比べ物にならないくらい大変になります。そこで私たちはついつい途中で努力を投げ出してしまいます。しかし最後のひと踏ん張りが大切だ。彼は常に自分を叱咤激励していたそうです。私たちの信仰生活も同じことが言えます。このくらいやったからもうあとは適当にしておこう。誰かと比較したら、ずいぶんと高い山になっているはずだから。それが悪魔の誘惑というものかもしれません。その誘惑に打ち勝つためにはどうしたらよいのでしょうか。自分の努力もさることながら、神が後押ししてくださる。聖霊の力が私たちを支えてくださるという強い信念が大切なのです。信仰生活を続けていくことにはこの聖霊のみ力が不可欠です。長い信仰生活をしっかりと続け、自分の使命を全うし、山を完成させるまで聖霊のみ助けを求めつつ頑張って参りましょう。