主教教書(13) 礼拝(公祷)再開へ向けて

2020年6月12日

主教 フランシスコ・ザビエル 髙橋 宏幸



 3 月 8 日(大斎節第二主日)より「礼拝(公祷)休止」を続けてきましたが、下記「11 項目」を基にし、7 月からを目標に「礼拝(公祷)再開」への第一段階へ進むことと致 します。 これまでの間、常置委員会、聖職会、各教会・礼拝堂教会委員会等で、礼拝(公祷)の段階的再開へ向けての様々な話し合い、シミュレーション、工夫を積み重ねて頂いております。 しかし、すぐさま礼拝(公祷)休止以前の教会に戻ることは考えられません。「緊急事態宣言」解除は「安全宣言」発令でも「ウイルス消滅宣言」発令でもないだけに、今後も状況を見つつ、慎重、かつ丁寧な備えをして再開へと向かいたいと思います。今後も様々な制約を設けなければなりませんが、それは「神様からの賜物である尊いいのちを守る(守り合う)ため」に、自分だけでなく他の方々のいのちをも守るために、キリストの教会としての責任ある前向きな行動とご理解ください。

「感染防止要件確保の確認」項目として
1)聖堂・礼拝堂の環境(密閉・密集・密接回避の徹底化と確立)
2)手洗・消毒・マスク着用等の適切な対応での礼拝出席 奉仕者の手洗・消毒の徹底 礼拝前の検温
3)礼拝回数・聖歌曲数・礼拝および式次第の工夫(場合により祈祷書の選択的使用の可能性)
4)聖餐式を行う場合の「平和の挨拶」「陪餐方法」(暫く現行方式継続)
5)聖堂・礼拝堂、礼拝用品、礼拝用書等の消毒
6)通常の礼拝出席者数・年齢構成・来会方法(公共交通機関)の確認と対応
7)礼拝出席者の記録(万が一の感染経路確認のため)
8)体調不良時の礼拝出席自粛の促し
9)不安時には、礼拝出席を控えることへの促しと安心感を与える配慮
10)礼拝(公祷)後の速やかな解散(同一日の次の礼拝まで留まらない)
11)愛餐会等飲食の休止継続


・先ずは礼拝(公祷)再開に焦点を置き(第一ステップ)、その他、教会の通常の集会は休止を継続し、再開は今後のステップとすること
・状況を鑑み、再開の日程や方法等について、ある程度教会
・礼拝堂単位の判断を尊重すること
・現状を考慮し、また礼拝(公祷)再開ゆえに、聖餐式に限らず、礼拝形式に差異が生じる可能性があること
・AA等の依存症自助グループ、給食活動等の対社会的、且つ命に関わるものの実施は寧ろ必要であり、十分な配慮、工夫の上実施可能とすること
・主日礼拝のみならず平日の礼拝など、人の出入りについても記録しておくこと

・感染者が出た際には、速やかに教会、及び教区事務所(下条司祭)宛に通知すること (含:二週間以内に教会に来ていた会衆等)その際、プライバシーには配慮し、感染経路確認等の上、対応すること教役者が感染した場合には、直ちに教会閉鎖とすること
・外部の活動に会場提供している場合、それらの団体にあらかじめ「閉鎖の場合」がある旨を通知しておく必要があること関連施設が併設されている場合には、同様の対応をすること

 また、礼拝(公祷)再開の折にも、移動手段なども含め、礼拝出席に不安のある方がたは決して無理をなさらず、出席をお控えいただきますようお願い致します。基礎疾患のある方がたや、重症化率の高いことが統計上判明しているご高齢の方がたには、何よりも「いのちを守る」ため、今しばらく自粛をお願い申し上げます。なお、教会へお運びになれない方がたのために、今後も主教座聖堂からの映像配信はしばらく続けてまいります。

 今後も毎主日正午には主イエス・キリストが授けられた「主の祈り」をそれぞれが居ら れる場所で、共通の信仰的業として捧げることを継続していきたくお願い申し上げます。 誰かのために、何かのためにできること、しなければならないことを祈りの内に聴き続 けたく思います。 併せまして、社会との接点の中での尊いお働き、殊に社会福祉施設、医療施設、高齢者施設、幼稚園、保育園等のお働き、社会生活の営みを支えるお働きをそこで献身していらっしゃる方がた、関係者のためにもお祈りを捧げます。私たちは各々の生活の場にありながらも祈りを通しての繋がり、強さ、そしてその大切さ、キリストの体という共同体の信仰の素晴らしさを深く心に刻んでおります。

 感染症に罹った方がたの一日も早い回復、医療の最前線で力を尽くしておられる方がた の献身的なお働き、生活上の不安、困難を余儀なくされている方がたへの支え、ご逝去された方がたの魂の平安と悲しみの内にある方がたへの慰め、この危機の収束を切にお 祈り致しましょう。

 神の命の息を吹き込まれている私たちですが、先月アメリカで、その同じ人間によって息をできなくさせられた心を痛める悲惨な事件が起こりました。神は全ての人に神の息を吹き込まれ、生きるようにされたにもかかわらず、このような事件が人によって引き起こされたことを心に留め、他人事として済ませるのではなく、私たちの問題、痛みとして悔い改めの祈りを捧げたいと思います。

 私たちは建物としての教会・礼拝堂には集まれずに過ごしてきましたが、祈りの連帯の 内に神の息を頂き、共に生かされている、このことを謙虚に、そして感謝をもって心に 刻みたいと思います。

 主が憐れみをもって、私たちの悩みを顧み、愁いと恐れを取り除き、み顔の光によって 私たちに主を仰ぎ見る力と希望を注いでくださいますように  アーメン