大斎節第三主日 2014年3月23日(日)

 

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ヨハネによる福音書 4:5-26,39-42


イエスとサマリアの(おんな)
1さて、イエスがヨハネよりも(おお)くの弟子(でし)をつくり洗礼(せんれい)(さず)けておられるということが、ファリサイ()人々(ひとびと)(みみ)(はい)った。イエスはそれを()ると、2―――洗礼(せんれい)(さず)けていたのは、イエス御自身(ごじしん)ではなく、弟子(でし)たちである―――3ユダヤを()り、(ふたた)びガリラヤヘ()かれた。 4しかし、サマリアを(とお)らねばならなかった。 5それで、ヤコブがその()ヨセフに(あた)えた土地(とち)(ちか)くにある、シカルというサマリアの(まち)()られた。 6そこにはヤコブの井戸(いど)があった。イエスは(たび)(つか)れて、そのまま井戸(いど)のそばに(すわ)っておられた。 正午(しょうご)ごろのことである。

7サマリアの(おんな)(みず)をくみに()た。イエスは、「(みず)()ませてください」と()われた。 8弟子(でし)たちは()(もの)()うために(まち)()っていた。 9すると、サマリアの(おんな)は、「ユダヤ(じん)のあなたがサマリアの(おんな)のわたしに、どうして(みず)()ませてほしいと(たの)むのですか」と()った。ユダヤ(じん)はサマリア(じん)とは交際(こうさい)しないからである。 10イエスは(こた)えて()われた。「もしあなたが、(かみ)賜物(たまもの)()っており、また、『(みず)()ませてください』と()ったのがだれであるか()っていたならば、あなたの(ほう)からその(ひと)(たの)み、その(ひと)はあなたに()きた水を(あた)えたことであろう。」 11(おんな)()った。「(しゅ)よ、あなたはくむ(もの)お持(おも)ちでないし、井戸(いど)(ふか)いのです。どこからその()きた(みず)()お入(おい)れになるのですか。 12あなたは、わたしたちの(ちち)ヤコブよりも(えら)いのですか。ヤコブがこの井戸(いど)をわたしたちに(あた)え、(かれ)自身(じしん)も、その子供(こども)家畜(かちく)も、この井戸(いど)から(みず)()んだのです。」 13イエスは(こた)えて()われた。「この(みず)()(もの)はだれでもまた(かわ)く。 14しかし、わたしが(あた)える(みず)()(もの)(けっ)して(かわ)かない。わたしが(あた)える(みず)はその(ひと)(うち)(いずみ)となり、永遠(えいえん)(いのち)(いた)(みず)がわき()る。」 15(おんな)()った。「(しゅ)よ、(かわ)くことがないように、また、ここにくみに()なくてもいいように、その(みず)をください。」

16イエスが、「()って、あなたの(おっと)をここに()んで()なさい」と()われると、17(おんな)(こた)えて、「わたしには(おっと)はいません」と()った。イエスは()われた。「『(おっと)はいません』とは、まさにそのとおりだ。 18あなたには五(にん)(おっと)がいたが、(いま)()れ添っているのは(おっと)ではない。あなたは、ありのままを()ったわけだ。」 19(おんな)()った。「(しゅ)よ、あなたは預言者(よげんしゃ)だとお見受(みう)けします。 20わたしどもの先祖(せんぞ)はこの(やま)礼拝(れいはい)しましたが、あなたがたは、礼拝(れいはい)すべき場所(ばしょ)はエルサレムにあると()っています。」 21イエスは()われた。「婦人(ふじん)よ、わたしを(しん)じなさい。あなたがたが、この(やま)でもエルサレムでもない(ところ)で、(ちち)礼拝(れいはい)する(とき)()る。 22あなたがたは()らないものを礼拝(れいはい)しているが、わたしたちは()っているものを礼拝(れいはい)している。 (すく)いはユダヤ(じん)から()るからだ。 23しかし、まことの礼拝(れいはい)をする(もの)たちが、(れい)真理(しんり)をもって(ちち)礼拝(れいはい)する(とき)()る。 (いま)がその(とき)である。なぜなら、(ちち)はこのように礼拝(れいはい)する(もの)(もと)めておられるからだ。 24(かみ)(れい)である。だから、(かみ)礼拝(れいはい)する(もの)は、(れい)真理(しんり)をもって礼拝(れいはい)しなければならない。」 25(おんな)()った。「わたしは、キリストと()ばれるメシアが()られることは()っています。その(かた)()られるとき、わたしたちに一切(いっさい)のことを()らせてくださいます。」 26イエスは()われた。「それは、あなたと(はなし)をしているこのわたしである。」

 39さて、その(まち)(おお)くのサマリア(じん)は、「この(かた)が、わたしの()ったことをすべて()()てました」と証言(しょうげん)した(おんな)言葉(ことば)によって、イエスを(しん)じた。 40そこで、このサマリア(じん)たちはイエスのもとにやって()て、自分(じぶん)たちのところにとどまるようにと(たの)んだ。イエスは、二日間(ふつかかん)そこに滞在(たいざい)された。 41そして、(さら)(おお)くの人々(ひとびと)が、イエスの言葉(ことば)()いて(しん)じた42(かれ)らは(おんな)()った。「わたしたちが(しん)じるのは、もうあなたが(はな)してくれたからではない。わたしたちは自分(じぶん)()いて、この(かた)本当(ほんとう)()(すく)(ぬし)であると()かったからです。」

新共同訳聖書

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牧師コーナー/今週のメッセージ


flowers
教会前の小さな花壇に、やわらかな春の光のやさしさに包まれて、草花が輝いています。

今週の福音書は「サマリヤの女とイエス」と読まれてきましたが、ユダヤから切り捨てられた地、サマリアでの実りある出会いから、神殿も宗派も民族をも超えて、低みから立つイエスの感性で神を礼拝することを学び、実りの刈り入れ=福音宣教を行うようにと勧めています。宣教を種まきと考えるのではなく、すでに実りつつある収穫をするのが宣教であるとイエスさまは教えていることに目を向けたいものです。

牧師 司祭 バルナバ 前田(まえだ) 良彦(よしひこ)

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大斎プログラム3

DVD鑑賞「おばあちゃんの家」


本日の大斎プログラムはDVD鑑賞「おばあちゃんの家」。都会育ちの少年と田舎に住むおばあちゃんの感動の物語。心が通い合うとはどういうことのなのかを学びました。韓国の女性監督イ・ジョンヒャン(李廷香)氏が亡くなった祖母への感謝の気持ちを込めて2002年に制作したこの映画は、韓国だけでなく、多くの国で大ヒットしました。

あらすじ
ソウルで育ち、わがままなサンウ少年は、結婚にも事業にも失敗した母親に連れられて、山奥に住むおばあちゃんに預けられます。母は生活を立て直すため都会へと返り、口のきけない祖母と孫との生活が始まります。 サンウ少年は、事あるごとにおばあちゃんに迷惑をかけますが、おばあちゃんはそれをすべて受けとめます。 やがて母親が迎えに来て都会に帰ることになったサンウ少年は、読み書きのできないおばあちゃんのために、大切にしていた自分のゲームカードの裏に「身体が痛いよ」「会いたいよ」と書いて、葉書として出せるようにおばあちゃんに渡します。

信徒の方が次のような感想を寄せてくれました。
「原題は韓国語で『チブロ』すなわち『家へ』だそうです。おばあちゃんは言葉を持たないけれどサンウ少年に無償の愛を注ぎます。 おばあちゃんはいつも少年を見守り、待っていて受け入れてくれます。けがをして足を引きずり、泣きながらサンウ少年が向かうのは「おばあちゃんの家」なのです。 サンウ少年は私、いつでも無償の愛をもって迎えてくれるおばあちゃんはイエス様(マリア様かな)、そしておばあちゃんの家は神の家、「家へ」という原題は神の家へ帰ろうということでしょうか?」

来週は山手教会グループの説教交換です。聖マーガレット教会には高橋顕司祭(聖三一教会・聖十字教会牧師)がいらっしゃいます。また大斎プログラムは高橋顕司祭が「開かれる」を主題にしてお話されます。前田司祭は東京聖三一教会で司式・説教です。

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