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大斎プログラム6 「十字架の道行と黙想」 | 「十字架の道行」とは | 次週
ピラトに引き渡される
1夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。
2そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した。
ユダ、自殺する
3そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、4「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。
5そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。
6祭司長たちは銀貨を拾い上げて、「これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない」と言い、7相談のうえ、その金で「陶器職人の畑」を買い、外国人の墓地にすることにした。
8このため、この畑は今日まで「血の畑」と言われている。
9こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「彼らは銀貨三十枚を取った。それは、値踏みされた者、すなわち、イスラエルの子らが値踏みした者の価である。
10主がわたしにお命じになったように、彼らはこの金で陶器職人の畑を買い取った。」
ピラトから尋問される
11さて、イエスは総督の前に立たれた。
総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。
12祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。
13するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。
14それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。
本日の聖書日課、マタイによる福音書のご受難の箇所を朗読劇風に配役をきめて朗読しました。会衆が、「十字架につけろ」と叫ぶ場面では、全員が声を上げなくてはなりません。
死刑の判決を受ける
15ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。
16そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。
17ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」
18人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。
19一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」
20しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。
21そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。
22ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。
23ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。
24ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。
「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」
25民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」
26そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
兵士から侮辱される
27それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。
28そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、29茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。
30また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。
31このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。
十字架につけられる
32兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。
33そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、34苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。
35彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、36そこに座って見張りをしていた。
37イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。
38折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。
39そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、40言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
41同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。
42「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。
今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。
43神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」
44一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
イエスの死
45さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
46三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
47そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。
48そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。
49ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。
50しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。
51そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、52墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。
53そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。
54百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
55またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。
56その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。
墓に葬られる
57夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。
58この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。
59ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、60岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。
61マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。
番兵、墓を見張る
62明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、63こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、「自分は三日後に復活する」と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。
64ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」
65ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。
行って、しっかりと見張らせるがよい。」
66そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。
新共同訳聖書
棕櫚の主日。棕櫚の枝を先頭に、フルートとギターの伴奏で聖歌を歌いながら、2階の聖堂に皆で列をつくって入堂しました。。
◆今週の福音書は朗読劇スタイルで行いました。会衆の皆さんは「十字架につけろ!」と叫ばなくてはなりません。心に葛藤を覚えるかも知れません。イエス様の十字架の出来事が福音書に記されていますが、真正面から聞きたいと思います。イエスさまの十字架と復活が今週の大きな主題です。聖なる三日間の礼拝も大事な礼拝です。人生の中で参加してみたいプログラムのはずです。
前週に婦人たちが作った棕櫚の十字架を、聖餐式で、司祭が一人ひとりに配りました。
◆
復活前主日は棕櫚(枝)の日曜日と呼ばれます。イエスさまのエルサレム入城に際して、人々がヤシの葉を道に敷いて歓迎したことをちなんでいます。それから数日で、同じ人々がイエスを「十字架につけろ」と叫ぶのです。礼拝最初に棕櫚を掲げたアッシャーを先頭に、行列をして礼拝堂に入ります。礼拝の中で、棕櫚で作った十字架を皆さんに手渡しました。
◆
例年、聖アンデレ教会で教区受苦日礼拝が捧げられていますが、「聖マーガレット教会で受苦日を過ごしたい」との声がありましたので、正午から約1時間受苦日礼拝を行いますので、ご参加ください。
17日(木)午後7時 洗足式
19日(土)午後6時 イースター・ビジル
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦
トーチを掲げて、十字架の道行の開始
◆本日の大斎プログラムは青年、少年たちによる「十字架の道行と黙想」。「『十字架の道行』とは」参照
「黙想と祈りの集い」*のメンバーも参加してくれて、教会の青年たちと一緒になって、プログラムを豊かなものにしてくれました。
◆聖マーガレット教会の十字架の道行は「ラルシュ・かなの家」**メンバーの若本政一さんが描かれた板絵を用いて行われます。
◆道行の式文は、「黙想と祈りの集い」準備会で編集した、ルネ・ヴォアイオーム***作、沢田和夫神父訳のテキストを使いました。
◆各留(ご受難の道行の各場面)の前で、参加者が交代でテキストを朗読し、しばらく全員で黙想します。
その後、短い歌を繰り返し歌って、次の留に進みます。
雰囲気をお伝えするために、いくつかの留を抜粋してみました。
序
十字架のもとに、今、わたしたちは集まっています。
この十字架の上で、主イエスよ、あなたは死なれるのです。
わたしたちは遠くから眺めてたたずむのです。
信仰が深くなればなるほど、
愛が深くなればなるほど、
十字架上のあなたに近くなるのです。
わたしの信仰を深めてください。
わたしの貧しい愛、弱い愛を強めて下さい。
主イエスよ
今、わたしは自分のありのままを、あなたに差し出します。
その弱さを、痛みを、傷を、孤独を、醜さを差し出します。
主イエスよ
今日、わたしたちがあなたの十字架を見つめ、
それによって清められ、励まされ、
希望のうちに、新しいいのちにあずかることができますように。
テキスト:「黙想と祈りの集い」準備会編集、ルネ・ヴォアイオーム***作、沢田和夫神父訳(以下同じ)
黙想
黙想後、次の歌を歌いながら第1留の前へ
詞・曲 塩田 泉
キリストの平和が、わたしたちの心の隅々にまで、ゆきわたりますように(コロサイ3:15,16)
第1留:主イエス、死刑の宣告を受けられる
第1留 主イエス、死刑の宣告を受けられる
主イエスは法廷に立たされている。主イエスはいばらの冠をかぶり、真紅(しんく)のマントを着せられている。
ピラトはユダヤの人々に言った、「見よ、この人を」。
彼らは、主イエスを見ると大声で叫んだ、「十字架につけよ」。
救い主イエスよ、あなたは言われました。「わたしは神の子である」と。このことばのために死の宣告を受けられたのです。
人間が望む価値とあなたの愛の価値とが、激しく衝突したのです。一方では人間の傲慢(ごうまん)、国家主義、群衆の卑怯(ひきょう)なエゴイズム。
他方において、父なる神への絶対的な忠実、御子としての自らへの全き忠実。限りない愛。この両方が衝突したとき、あなたは裁かれざるを得なかったのです。そして死刑に宣告されたのです。
今の世の中の、さまざまな利己主義、国家主義、他人をかえりみないほどのモノヘの執着。
不道徳。これらのいざないを前にして、主イエスよ、どうかわたしに、死をもあえて辞さない、
真実への忠誠をお授け下さい。わたしの内に宿っておられるあなたの似姿を傷つけないで
保つことができますように。
黙想
黙想後、次の歌を歌いながら第2留へ
詞・曲 市原 信太郎
わたしはなりたい キリストを生きる人に わたしはなりたい キリストを生きる人
(ローマ14:8,コリント5:5,フィリピ1:21)
第2留~第9留は略させていただきます。
第10留:主イエス、み衣をはがされる
第10留 主イエス、み衣をはがされる
主イエスは、丘の高い所に立たれた。
群衆は彼を見上げている。
そして主イエスの衣服ははぎ取られた。
主イエス、わたしたちがあなたに出会おうと出かけてゆくときに、その道で出会うのは
いつも同じもの。それは屈辱であり、はずかしめであり、いつもそれに対して反抗し、避けたく
なるものなのです。
主イエス、あなたについてゆくためには、何でも引き受けるつもりでした。すべてを承諾する
つもりでした。ただこれだけを除いては‥‥。そしてこの「ただこれだけを除いては」と思って
いたそれを、まさに引き受けるようにとあなたは招かれるのです。
わたしたちはしばしば犠牲や勇気とか、自己を捧げることを夢見ます。わたしたちが英雄的な
死のすばらしさを夢見るとき、それに対して主イエスよ、あなたはわたしたちに悲惨、軽蔑、
恥をお告げになるのです。すべてをもぎとられ、裸にされて、内心の切り裂かれる痛みへと
わたしたちを招いておられるのです。
この道を歩むことなしには、真の自由と喜びはないと、あなたのまなざしが語っています。
黙想
黙想後、次の歌を歌いながら第11留へ
Music: J.Berthier
いつくしみと愛のあるところ、神ともに(ヨハネ12:24)
?Ateliers et Presses de Taize, 71250 Taize Community
第11留 主イエス、十字架に釘付けられる
彼らは、主イエスの両手をさし貫き、釘を十字架に打ちこんだ。そして、両足を十字架に
釘付けにした。
すべてが何の力にもならない時が来る。名誉も、才能も、財産も、友情も。
第11留「主イエス、十字架に釘付けられる」の板絵
わたしに死が近ずき、医師はもはや何もなしえぬことを告げたとき、このようになる。そのとき、
わたしは死の床に釘付けられたままでいる。
しかし、そのときわたしは初めて、わたしが何であるかを、すなわち全くの無にすぎないことを
悟るのです。そして、何が人間にとって最高のものであるかに気づくのです。
主イエス、あなたに向ける信頼のまなざし、
これこそ人間にとって最高のもの、
永遠のいのちの明るいきざし。
主イエスよ、わたしは今、十字架上のあなたにわたしの限りない信頼をおささげします。
黙想
黙想後、次の歌を歌いながら第12留へ
詞・曲 市原 信太郎
わたしはなりたい キリストを生きる人に わたしはなりたい キリストを生きる人
(ローマ14:8,コリント5:5,フィリピ1:21)
第12留「主イエス、十字架の上に死なれる」の板絵
第12留 主イエス、十字架の上に死なれる
主イエス、あなた御自身の最後のことばを通して、わたしたちはあなたの御心の神秘に
踏み入るのです。
「父よ、かれらをお赦しください。かれらは何をしているのか知らないのですから」
「婦人よ、これはあなたの子」「これはあなたの母」
「まことにわたしは言う。きょうあなたはわたしと共に天国にいる」
「神よ、我が神よ、なにゆえわたしをお見捨てになったのですか」
「わたしは、渇く」
「すべてはなしとげられた」
「父よ、御手にわたしの魂をゆだねます」
主イエスよ、愛によって苦しむこと、それのみが、いかなる哲学、いかなる権力、地上の
いかなる財宝も与え得ない永遠の愛を獲得させるものであることを、深く悟らせてください。
黙想
黙想後、次の歌を歌いながら第13留へ
曲 依田浩志
一粒の麦が落ちて死ねば、多くの実を結ぶ 命の実を結ぶ(ヨハネ12:24)
第13留「主イエス、十字架より降ろされる」の板絵
第13留 主イエス、十字架より降ろされる
彼らは主イエスを十字架から降ろした。
聖母マリアの膝に体は横たえられ、そのとき彼女は自分の息子の言ったことを思い出した。
「これはわたしの体、あなたのために砕かれたわたしの体」
「これはわたしの血、あなたのために流されたわたしの血」
すべては終わった。弟子たちは消えていった。今、みんなが小声で話していることは、
埋葬のこと、お墓のこと。しかし、聖母マリアよ、あなたの魂の中には、すでに希望の炎が
静かに燃え上がろうとしているのです。
わたしたちの人生の中で、不条理で理解しがたいことを体験するとき、すべてが終わったと
思われるとき、主イエスが死んでおしまいになったと感じるとき、聖母マリアよ、あなたが
お持ちになったような希望の力をお与えください。その時こそ、本当の、もう亡びることの
ない、決定的ないのちのほとばしりが間近かに迫っている時なのですから。
主イエスよ、わたしたちは、力の限りをつくしてこのお恵みをお願いいたします。信仰の
うちに希望し続けるお恵みを。
黙想
黙想後、次の歌を歌いながら第14留へ
曲 YONEKO
神へのいけにえは くだかれたその魂 くだかれた悔いた心を 主は喜ばれる(詩篇51:17)
第14留「主イエス、墓に葬られる」の板絵
第14留 主イエス、墓に葬られる
太陽が沈み始めた。
彼らは麻で主イエスの体をおおい、園にある墓におさめた。
もう事件は完全に終わった。人間の考えでは、この出来事は過去のものになった。
しかし、主イエスよ、死と絶望、失敗や悲しみの中にあっても、わたしはあなたの
注がれる希望を信じます。
わたしもあなたと同じ道を進もうと思います。自らの十字架を受諾し、傲慢(ごうまん)な
自己と対決する苦しみの道をわたしも進もうと今、決意します。あなたへの愛と信頼を
もって、あなたの後についてゆきたいのです。
あなたの体である教会が闇の力に包まれそうに思えるときがあります。墓の沈黙が、
悪の勝ち誇る声が教会を押し倒そうに思えるときがあります。そういうときにも、
主イエスよ、どうかあらゆる試練の中で、あなたの教会への忠誠を、あなたの教会に
対する不動の信頼をお与えください。すべてが癒(いや)され、すべてが赦され、あらゆる
痛みや孤独、涙や罪深さから解放される夜明けがくることを信じています。
わたしたちは魂の底から、そう信じています。
黙想
黙想後、次の歌を歌いながら会衆席へ
詞・曲 塩田 泉
キリストの平和が、わたしたちの心の隅々にまで、ゆきわたりますように(コロサイ3:15,16)
十字架の道行を終えて、ギターとフルートの伴奏に皆の歌がとけあって、静かに聖堂を、そして私たちの心を包みます。
*「黙想と祈りの集い」
フランスの「テゼ共同体」(キリスト教の教派をこえたコミュニティー)に連帯して日本で行われている祈りの集い。
**ラルシュ・かなの家
静岡市にある知的ハンディを持つ人と支える人のコミュニティーで、ジャン・バニエが創立したラルシュ・コミュニティー連盟に所属している。家庭的な人間らしい生活を大切にし、私たちがともに生きることの素晴らしさを分かち合ってくれます。
***ルネ・ヴォアイオーム神父( 1905-2003)
フランスのカトリック神父。シャール・ド・フーゴ司祭(1858-1916)の遺志を継ぎ、1933年サハラ砂漠で
「イエスの小さい兄弟会」を創立。その活動は世界に広がりました。
キリスト教の初期から、聖地エルサレム巡礼を行ったキリスト者達によって、主イエスの足跡をたどり、自らの信仰を強めるために、始められたものです。
イエスが死刑の宣告を受けられた、ローマ軍の総督ポンテオ・ピラトの宮殿から、十字架を負って歩かれたとされる刑場までの道を辿り、聖書や伝承によって伝わる要所に立ち留まり、イエスの苦難を思って祈り、黙想し、自らの罪を悔いたりしました。これが十字架の道行と呼ばれるようになりました。
しかし、バレスチナの地がイスラム教徒のものになると、エルサレム巡礼は困難なものとなりましたし、もともと誰でも行ける地ではありませんでした。
そこで、自分たちの国の修道院や教会に、かつての聖地での十字架の道行の各ポイントにふさわしい彫刻や絵を据え、その一つ一つの場面を辿ることが、行われるようになり、次第にキリスト教徒の間で、新しい「十字架の道行」として普及していきました。
中世の頃から、この道行には14の彫刻か、絵が飾られるようになり、それらは、「留(りゅう)=station」と呼ばれて、現在に至っています。
今日では、主の復活を示す15留が設けられることが多くなり、聖マーガレット教会の十字架の道行の板絵も、第15留まで描かれています。