東京教区 第142(定期)教区会 開会演説

2023年3月21日(火)          

主教 フランシスコ・ザビエル 髙橋 宏幸

1 ― はじめに ―
 前第141(定期)教区会同様一堂に会しての開催となりましたが、ご参集いただきましたことを感謝申し上げます。議員の皆さま、書記局、事務所、会場準備をしてくださった方がたに、この場を借りて深く感謝と御礼を申し上げます。この度も感染予防に努めながら実施致しますが、時間もタイトであり、ご協力をお願い申し上げます。
先にも申しましたが、先ずは教区会は単なる会議ではなく「神の民の会議」であることを心に留めたいと思います。
 3月3日付の「主教メッセージ」にも記しましたが、長きに亘り各教会・礼拝堂での感染症対策を続けておられることへの感謝を申し上げます。しかし、新型コロナウイルス感染症が完全に消滅したわけではありません。今後も周囲への配慮を含め、感染予防対策に心を注いでいただきますようお願い申し上げます。
新型コロナウイルス感染症以前には“当たり前”としていたことが、2020年以降“当たり前”でなくなり、この約3年間は現状が“当たり前”のようになってきました。多くの不安、不便を重ねてきました今、改めて私たちの信仰生活、礼拝生活、霊性にとって真に必要なものを顧みる時の初めにしたいと思います。毎回の開会演説等でも申し上げていますように、「いのちを守り合う」ことを礎に、漠然と4年前に戻すのではなく、改めてキリストの教会は「イエス・キリストによって何のために、誰のために建てられたのか?」を揺るぎない軸とし続け、礼拝、働きを考え、捧げていきたいと願います。コロナ禍で学んだこと、気付かされたことは、決して乏しくはありません。
ご復活への備えの時、主の更なる導きを祈りますとともに、各地での争い、災害によって亡くなった方がたの魂の平安、そして今も不安、困難の中に在る方がたを覚え、何よりもいのちが守り合えることを願い祈ります。

2 ― 新たな働きへ向けて ―
 現在、複数の教会で地域とそこにおられる方がたを視野に、またそこからのニーズを受けての種々の働きが展開されています。そこではイエス・キリストの心を礎にし、形とされています。「こども食堂」「フードパントリー」「学童保育」「ディサービス」「貧困や食に関わる働き」「野宿生活者支援」「地域のご高齢の方々への働きかけ」等々、形は種々ありますが、地域の声に耳と心を傾け、地域の「ために」「ともに」「向かって」という教会に託されている宣教の使命が一層形深められていきますよう、また教区と関わりのある社会福祉等の諸施設の働きを覚えて祝福を祈り、支えてまいります。
「教会が地域社会とそこに住まい、働く方がたとどのような接点を作ったり、視点を提供したりしていかれるか?」は、宣教VISIONへのヒントです。そこでは、各教会・礼拝堂の在りようの再検討や、時には変えられていくこともあるでしょうが、各教会・礼拝堂の働きこそが「東京教区の変革」に繋がるものになるはずです。地域社会や人びととの関わり、地域に暮らす人びとの生活の視座から見えてくる宣教課題は必ずあります。
 3月18日(土)には多くの方がたの祈りの内に「東京諸聖徒教会『諸聖徒こどもの家』」の祝福式が捧げられました。教区、教会の方がたはもちろん、地域に暮らす方々の賛同や励まし、協力の上に成し得たものであることは私たちに大切な示唆を与えてくださいました。地域の人びと、殊に子どもたちとご家族への働きに更なる祝福と導きを祈り、諸聖徒教会が中心となり築かれ培われた尊い働きですが、東京教区の大切な働き、証の一つとして共に歩み続けて参ります。
長年の課題であります、神様の働きに参与するための教区全体の諸制度(資産、収益、分担金、規程など)の見直しに向けて動き始めています。私たちの働きは主イエスからの委託が礎になっていますが、殊に財政は教区、教会の働きを強めていくものですが、重く、同時に難しい課題の一つです。先般も申し上げましたが、教区費分担金算出方法の見直しだけでは遠からず行き詰まることは明白です。また、前回「例えば特別な委員会などを期限付きで起こしていきたい」旨、「例えば」ということでお伝えしましたが、更なる具体的なプロジェクト発足に至っていないことは、この場を借りましてお詫び申し上げます。
 一方、その前段階として、問題解決を分担金の計算式検討という枠組のみで納めるのではなく、またどこか一部を切り取ってではなく、「変革」という枠組みの中での抜本的改正をプロジェクト発足の前段階としてのワーキンググループ(仮)で検討し始めています。「変革」という全体の枠組みの中で検討して次のステップに進みたいと思っております。そこには聖職の働き方、財政や資産など種々ありますが、北関東教区との宣教協働の中から見えてきたもの、例えば財政面や収益事業や組織の在り方や仕組みなどから気付かされたことも決して少なくはありませんでしたし、それらを今後へ繋げて参ります。
 また、「変革」に繋がるものとして、各教会・礼拝堂とその会衆の在り方、即ち「私たちの教会ではこういうミッションを果たす、目指す」ということを探りつつ、ロードマップ(教会の在り方や働き)作成を引き続きお願い致しますとともに、そのために課題や可能性を一緒に考えていくことは惜しみません。
 組織論等はもちろん大切ですが、「私(たち)の思いをイエス・キリストの思いに」ではなく、「イエス・キリストの思いを私(たち)の思い」としていかれますよう常に主のみ声に耳と心を傾け、また聖霊の働きの識別、不断の祈りや黙想を大切にし合いたいと思います。ともすれば、私(たち)にとっての安逸や満足、都合のよいことや利便のためにしてきたことから改めてイエス様の思いに従っていく、この方向転換こそがことを「変革」への揺るぎない土台であることを絶えず確かめ合いつつ、聖霊に導かれる神の民、イエス・キリストの体、イエス・キリストに倣う信仰共同体として成長し進んでいきたく祈ります。
 また、「教区規則」の見直しや整備、「教役者給与規程」の作成がなされました。規則等と言いますと行動や生活を縛り、制限することが目的と捉えられがちですが、真意は寧ろ教役者が安心して働くことができるように、信徒の方がたが安心して教会生活を送ることができるようにとの祈りと願いを込めての「牧会綱領と牧会に関するガイドライン」の作成も現在進めております。
 11月には管区レベルの宣教協議会が清里で開催されます。日本聖公会の今後に向けてのヒントや示唆に与れると思いますが、その場で終始するのではなく、そこで得たものを持ち帰り、キリストの体の肢としての働きに繋げていきたいと思います。

3 ― キリストの教会の立ち位置 ―
私たちは洗礼を授かりクリスチャンになりましたが、イエス様とともに歩み、イエス様の働き人となるべくイエス様から弟子としてお召しをいただいていること、キリストに学び、倣う者とされていくことを心に刻み続けねばなりません。
依然としていのちを傷つけたり、壊したりする動きは後を絶ちません。このことは神様への冒涜、反逆と言っても過言ではありませんゆえに、自ずと私たちキリストの教会の立ち位置、働きは見え始めてくるはずです。武力や抑圧によって、いのちが否定され傷つけられている地域や国々の人々が速やかに解放され、癒され、回復されますように祈ります。   
 尊く掛け替えのないいのちを傷つけたり、破壊したりする行為は武器に因るものだけではありません。神様への応答として向き合わねばならない課題は多岐に渡りますが、いのちを否定したり、傷つけたりすることは神様の創造のみ業に抗うことであり、キリストの教会として容認はできません。神様からの尊い、掛け替えのない授かりものであるいのちを守り合うために、私たちに主から託されているものを探り、それに仕えるべく祈り、学び合い、働き続けてまいります。
ローマ教皇フランシスコの「多様な価値に生きる人たちを想い遣りと深い憐れみの心をもって迎え入れるべき」との言葉も、教派の壁を超えて大きな示唆、道標になるはずです。

4 ― 北関東教区との宣教協働 ―
 「新教区設立」に向けては、未知のことへの不安や困難、戸惑いも伴いますし、コロナウイルス感染症により十分な伝達ができずにいることは否めませんが、2月11日(土・休)には2回目の「北関東教区・東京教区宣教協働・新教区設立説明会」を両教区同時に対面で開催できましたこと、最後には画面越しではありましたが夕の礼拝を一緒に捧げられましたことは大きな感謝でした。引き続きこのような会を種々の形で重ねて参ります。  

 また、4月6日聖木曜日の礼拝は両教区合同で、聖アンデレ主教座聖堂(東京)で捧げます。後程「北関東教区・東京教区宣教協働特別委員会」委員長の鈴木伸明司祭様(北関東教区)より報告がございますので、よろしくお願いいたします。 
 聖霊という神様の息吹は吹き続け、動き続けています。私たちは、その息吹に与りながら丁寧な働きを培っていくことができるよう祈ります。また、この大斎節にも両教区全教役者執筆による黙想集が作成され、広く活用されていますことは大きな喜び、感謝です。

5 ― 最後に ―
 本年5月、東京教区は教区成立100年を迎えます。これまでを感謝し、これからを祈りたいと思いますが、当日だけのお祝い事で終わらせるのではなく、新たな「変革」への第一歩といたします。今後詰めていきますが、何かしらの形での感謝記念礼拝は実施したいと思います。現在、全ての教会・礼拝堂・信徒・教役者での共通の祈りが作成され、送られていますので通年で祈り続けられることをお願い致します。 
 また、北関東教区との協働も視野に入れ、新しい宣教の歩みのための骨組みを検討し、教区が新たになっていく始まり、「変革」の時ともしてまいります。
 この4月には福永澄聖職候補生が聖公会神学院を卒業され、現場での働きを始められます。指導司祭の指導やご本人の努力と祈りもさることながら、多くの方がたの祈りと支えによって成長していかれることを祈念しています。また、現在7人の現職執事がおりますが、昨年末より「現職執事学びの会」を毎月実施し、礼拝、牧会、霊性、黙想等の学びや実施を継続しています。
私たちは聖書を読み、礼拝を捧げる時、ともすると分析家や批評家になりがちです。しかし、聖書や礼拝の批評家や分析家になることと、み言葉に聴き従うこととは全くのイコールではありません。 社会で、教会の周りで起こっている神様のいのちの出来事と人々を主の晩餐に招くということを一つの事として捉え、考えない限り何れも無意味になりかねません。そして、この尊い務めに携われるのは私たちの能力や経歴によるのではなく、神様の全き赦しと恵みによるものであり、それを行い得るのは神の民の群れに注がれる恵みによるものです。

ご清聴、ありがとうございます。