信 頼 こ そ

主教 植田仁太郎

 過ぐる一年は、世の中あげて、まさに不信の渦巻く一年でした。
 食品表示(賞味期限や産地など)の偽装は、人々の信頼を裏切る、最悪のケースだったでしょう。しかも、本来、人々からもっとも信頼されていたはずの名店や老舗といわれる製造元が、その信頼を逆手にとったのですから、なんともやりきれない思いです。

 また、お役所がきっちり管理してくれているものと、誰も疑わなかった、個々人の年金のデータが、何千万人分も、あやふやだったという事実が明るみに出ました。
世の中、怪し気な、そして疑わしいことはいくらでもある、というのはいわば私たちの生活の知恵ですが、最も信頼できると疑いを差しはさまなかった会社や役所が、その信頼を良いことに、不正を働いていた――そういう社会そのものが大変悲しい社会です。

 社会の制度や法律は、本来、お互いが信頼できる社会を保つために考え出された工夫なのでしょうが、その根底には、お互いがそれを尊重しなければならない、尊重するはずだ、という信頼が置かれていて初めて、法律や制度がその機能を発揮します。
人間同士の信頼は、ややもすればこわれ易いものです。制度や法律だけでは、とてもそれを保障できるものではありません。

 人間同士の信頼は、神様への無限の信頼を媒介して初めて確実なものとなります。
不信に満ちたこの世の中に、教会こそは信頼の連鎖を作り出す人の集まりでありたいと思います。