クリスマスのロマンと現実

主教 植田仁太郎

 今年もまた、クリスマスの季節を迎えます。今では、本来キリスト教の祝日であるクリスマスがすっかり世俗化してしまいました。教会とキリスト者が、神の出現と信じる、イエス・キリストの誕生を祝う日です。
  新約聖書に記されているイエス・キリストの誕生の有り様を伝える記述はロマンに満ちています。そのロマンは、信仰者や芸術家のイマジネーションを刺激して、数知れぬ絵画や音楽や文学作品を生み出し、ますますその美しさや不思議さを増してきました。
  そのロマンを、冷たい歴史学の検討材料にしたり、現実の醜さと対比させて、ブチ壊すつもりはありません。けれども、これだけは憶えておきたいことが一つあります。そのロマンによれば、イエス・キリスト誕生の地はエルサレム南方のベツレヘムという村だそうです。二千年あるいはそれ以前から存在する村が、今でも存在していること自体驚きですが、昔から重要な巡礼地です。「聖誕教会」という立派な教会が建てられています。そこに世界中から何万・何十万という巡礼者や観光客が訪れます。その限り、ロマンはロマンとして人々の心に語りかけます。
  ところが、“現実”ですが、ここ数年、ベツレヘムは、イスラエル軍によって封鎖されていて、軍の検問所を通らなければ町へ入ることができません。当然、巡礼者は激減しています。パレスチナ住民の苦難は深刻です。
  イエス・キリストの誕生を憶えるとは、心安らかにそのロマンに浸ることではない、とベツレヘムの町自体が全世界に訴えているような気がします。