生と死と新しいいのち

主教 植田仁太郎

 四月十二日、教会は復活祭を祝います。イエス・キリストを神ご自身のあらわれと信じる、キリスト者にとって、一番大事な日です。それなのに、イエス・キリストの誕生日とされるクリスマスほどには、教会外の人々には知られていません。その理由のひとつは、毎年この日が変って、何月何日が復活祭と決まっていないからでしょうが、それよりもっと知られることのない理由は、イエス・キリストが「死から復活した」などということは、到底信じ難い出来事であるので、ただちにお祝いに付き合う気にはならない、ということでしょう。
  時間の流れからイエス・キリストの出現をたどると、生と死を経て、復活の出来事があったということになりますが、歴史の中で人々に最初に起ったことは、死によってすべて存在しなくなったイエス・キリストという方の、新しいいのちに多くの人々が触れ、出会って、全く人間が変えられ、自分のものでない力が与えられたという事実でしょう。
  その体験から逆に、その方の死はどのような死であったのか、死に導くことになったその方の生は、どのような生であったのか、という探求が始まったのでしょう。イエス・キリストの死を越えた、新しいいのちに触れ、出会うという不思議な体験が、何十人、何百人という限られた人々に起ったことが、この信仰の始まりで、今日に至るまで、その追体験が何十世代にわたって、引き継がれてきた、というのが、本来の意味での教会の姿でしょう。
  教会は、いつの時代にも、このキリストの新しいいのちに触れ、出会って下さいと、あらゆる人々に呼びかけ続けています。