主教からのメッセージ

主教 フランシスコ・ザビエル 髙橋 宏幸

 新年のご挨拶を申し上げます。
 閏年を除けば一年365日、一日24時間、一時間60分と全人、全世界共通です。共通しているからこそ、生活上、仕事上、種々の約束をする上でも便利であるとも言えましょう。もし、この数字が、個人の好みや都合、国や地域によって決められたり、好き勝手に操作されたりすることが起ころうものなら混乱を招くこと必至でありましょう。
 どこででも、誰にでも共通の数字、時の刻み方であるにもかかわらず、年々時の経つ速さを痛感させられます。時計の針のスピードが速まったわけではありませんし、カレンダーが一枚減ったわけでもありません。私たちの感じ方、時というものに対する在り方、生き方そのものに因るところ大であると思えてなりません。大都会東京で働いている時に感じる時間の流れや速さと、都会を離れて大自然の中でゆったりと過ごしている時に感じる時間の流れはどこか違った感じがします。楽しいこと、好きなこと、心込められることをしている時、時間はあっという間に流れます。嫌なこと、苦痛を伴うことしている時には1分が1時間にも感じることがあります。
 取り分け一月前の12月は「師匠も走る」と書くだけに、忙しい様を彷彿とさせられますが、わが国ではクリスマスあり、年賀状あり、お正月の準備あり、神社への初詣ありと、マンガの世界なら神様も右往左往する様子が描かれるかも知れません。  
 さて、肝心要の聖書には、「神様の時間」というものが描かれています。新約聖書の原語であるギリシャ語では時計やカレンダーで計れる時間を表す「クロノス」と、神様の働きがなされている「まさにその時!」を表す「カイロス」とがあります。時に、このカイロスは異常な程ゆっくりとしたものに感じることがあります。せっかちな人なら「待っても、待っても一向に」という思いに駆られるでしょう。エジプト脱出然り、カナン定住までの道のり然り、イエス様のお誕生を巡っての出来事然り、イエス様の荒野での出来事然り、神様の働きはじっくり、ゆったりとも言えます。しかし、同時に着実に、確実にでもあります。待つことが苦手になった現代人には聖書のメッセージは相容れなくなったとは思えません。むしろ、生き急ぎ、生き急がされているこちらに課題があるようです。

2020年1月