マリアの人生をもう一度見つめなおしてみよう
ー本当に平和な社会を実現させるためにー

主教 アンデレ 大畑 喜道

 私たちは自分が可愛いからでしょうか、自分の地位を守ろうとしたり、自分の行ったことが間違っていたとはなかなか言えないものです。聖書の最初の物語で、アダムとイブが禁断の木の実を食べて神に叱責された時、彼らは「自分が悪いのではない、相手が悪い」と裁きあっています。事の大小に拘らず、そんな歴史を繰り返してきたのかもしれません。人間は自分の都合の良いように物事を判断したり、時には現在の地位の保全のために虚しい言葉を重ねてきました。口から出る虚しい言葉、正に嘘を重ねていきます。子どもの頃から、「どうしてごめんなさいと言えないの。」「素直に謝りなさい」と育てられてきたと思うのですが。震災に続く原発事故でも様々な嘘がこの世に溢れています。何が本当のことなのか分からなくなって来ています。どうやったら私たちは相手の立場に立って真実の言葉を語ることができるのでしょうか。単純に自分が悪かった、関係をバラバラにしないでくださいと言えるようになるのでしょうか。人間にはそれはできないものなのでしょうか。聖書には沢山の模範となるべき人が登場します。勿論、頂点にあるのはイエス・キリストですが、それ以外にも母マリアもヨブも、詩篇22編の作者もみな、神への信頼を保ち、自分を守ることではなく、出会った相手をまるごと受け止め、自分の人生の中に働く神の愛を信じて希望を持っていき続けます。私たち人間は所詮アダムとイブだ、自分が可愛くて嘘を重ねる存在だと諦めてしまってはいけません。歴史の中に、神を信頼し自分を放棄していった人々がたくさん居ることを改めて考えたいと思います。自分が自分がと言っている内は本当の平和は訪れません。真の平和を作り上げていくために大切にしなければならない事が何かをしっかりと見つめて生きたいと思います。

神さま助けて

主教 アンデレ 大畑 喜道

 聖アンデレ教会では復活日に大人たちが子供達に向けてイエスの生涯の劇を見せています。毎年いろいろな趣向を凝らしてそれこそ大人が本気でやっているので、今年も、イエスを十字架に架ける前の場面で、兵隊たちが鞭打つ場面で、小さな子供達が泣き出してしまいました。そんな劇を見ていて、ヘロデが手を洗う場面が出てきます。もはや責任はお前達にある。自分には何も関係が無い。そのように宣言する場面です。イエスの処刑で起こる様々な問題の責任は自分達で処理せよと言うものです。ユダヤ人たちもイエスの血の責任は自分達にあると応答します。自己責任という言葉があります。流行り言葉のように自己責任ということが言われてきました。確かに何かの失敗をしたらその責任は個人にある場合もあるでしょう。誰も責任逃れをして責任をとろうとしないのも考え物ですが‥‥。誤解を恐れずに語るとすれば、失敗が自分だけの責任であってもはや取り返しが付かないと思ってしまってよいものなのでしょうか。自分が悪いのだから仕方が無い、自分の努力が足りなかったからだ。本当にそうなのかなと思う時もあります。そうやって自分を責めてしまうと「助けて」と言うこともできないようになります。自分を責め続けて諦めてしまうことが社会の中で当然だと思わせてしまってはいけないのではないかと思います。時には「助けて」と声をあげて、それを助けあっていく社会が健全な社会ではないかと思います。聖書にはイエスに対して、自分から「助けてください」と懇願する人々がたくさん出てきます。イエスはいつももう一度やり直しができるよ、大丈夫だよ、もう一回、一緒に寄り添ってあげるから立ち上がってご覧なさい。そうやって一人一人を回復させていきます。教会もイエスを中心に生きる共同体であるならば、一度や二度の失敗で自分を責めて諦めるなといい続け、いつでも戻ることのできるよう、一緒に立ち上がろうと言えるような場所になって欲しいと願っています。

教区の皆様へ

主教 アンデレ 大畑 喜道

  11日に発生した東日本大震災において、地震並びに津波によって今なお万単位の方の安否が確認できず、何十万人と言う方が避難生活を余儀なくされていることを思い、心が痛みます。逝去された方々、またご家族に謹んで哀悼の意を表します。多くの親戚や友人、信徒が未だ安否の確認もできずに心配されている方々も多いと思います。東京教区の諸教会の被害は軽微なものであったようですが、東北のみならず、東京でも帰宅できずに教会に来られた方、精神的に痛手を負った方々のために、各教会信徒、教役者が大きな働きをされていることを聞いています。
  震災直後からカンタベリー大主教はじめ世界各地の兄弟姉妹からお見舞いのメールを頂きました。祈りによって支えられている仲間がいることを実感し感謝せずにはいられません。現段階で直接このことを、被災されている方々にお伝えできないのは非常に残念です。一週間が経過し東北教区の加藤主教はじめ、信徒、教役者が仙台市内の信徒を訪問され祈られているということを聞きました。ご自身も被災されながら、一緒に祈るために訪問されていることに祈りの応援をせずにはいられません。東京では計画停電などが行われています。しかし一方では都内では静かな買占めパニックが起こっていたりしています。自分だけのことしか考えずに奔走する人々を恥ずかしく思います。神の力を嘲笑うかのような悪の力が私たちに挑戦しているのです。祈りの力、信仰の力を信じ進んでまいりましょう。まだ復興計画というものは分からないような状態ですので、具体的な支援方法などについては分からない状態です。植松首座主教からも各教会にお願いが届いていますが、今、私たちのできることは祈りの連帯の力を示すことです。被災された方々のために私たちもその働きの支えとなるように心を一つにして祈って参りたいと思います。

和 而 不 同

主教 アンデレ 大畑 喜道

 主教按手のおりに、ある方から掛け軸を頂きました。そこに書かれていた一語が、和而不同です。漢籍の素養がない自分が自分なりに考えてみました。同じでないにも拘らず和を楽しんでいる。同じで無いけれども和やかでいる。
  私たちは同質の存在でなければ和を保てないと考えがちです。そして同質であろうと、相手を自分に合わせたり、自分を相手に合わせたりします。しかしここには無理が生じてきます。ありのままの相手や自分を受け入れるのではなく、無理やりにある枠組みに合わせていく。そのようにして和を保つようなものが教会ではなく、ありのままのあなたを受け入れ合う。尊重しあうことに教会の本来の姿があるように思います。しかしこれがなかなかできません。主教按手のお茶会の時の挨拶で、落語で「百年目」の中の、赤栴檀と難莚草の話をしました。醜いからといって難莚草を抜いてしまったら赤栴檀が枯れてしまう。自分の価値判断で、これは不必要だと決め付けるところに問題が出てきます。教会は全ての人が安心してありのままで受け入れられるように、和を保つことができるような場でなければ。一瞬醜いと思えるようなものであったとしても、すべてが調和よくまとまったものは耀きをもってきます。あなたも、あなたも、あなたもみんなで作り上げていく。それが教会の本当の姿です。イスラエルの人々がエジプトから脱出し、荒れ野での放浪の旅を終えて約束の地に入るときに、神は祭壇を築けと命じます。その時に、石に鉄を当ててはならないと命じます。掘り出したままの石で築けと命じるのです。掘り出したままの石は形も不ぞろい、三角や四角や丸や、積み上げるには大変な苦労が生じるのだろうと思います。しかしあえてそうしろと神は命じられた。教会の姿はあなたを受け入れる、わたしが受け入れられるという、そこには築き上げるための苦労がありますが、あえてその大変さを引き受けていくことが重要なことなのだと感じています。その確認をできるのが聖餐の交わりです。聖餐の交わりで強められ、私たちは全ての人が和而不同で築き上げられていくのだと思います。

就任ご挨拶

主教 アンデレ 大畑 喜道

 皆様に祈って頂き、東京教区の主教に着座しました。本当に有難うございました。まったく難有りの存在で、責任の重さに押しつぶされてしまいそうになりそうです。しかし自分らしく祈りを大切に生きたいと願っています。先輩の主教が「自分がやるのではない、聖霊が導いてくださる。安心しなさい。信仰深くあり、身を委ねなさい」と励ましてくださいました。また黙想の中で、司祭に叙階される時に、同じ方ではありませんが「神が求めたもうものは砕けた魂だ」と忠告してくださったことを思い出しました。謙虚に神を仰ぎ見て聖霊のみ力、み助けを求め、自分の力に頼るのではない、教会全体の祈り、聖霊の導きの重要性を実感しています。
 
 いつの時代も同じで、現代だけが混沌の中にあるのではないとは思いますが、混沌の中に神は必ず秩序を与えてくださる。神は慈しみ深い方であり、その約束を違えることは決してないことを聖書は証ししています。自分の醜さや弱さを知りながら、難事は多く有りといえども、無難に難を避けて通るのではなく、慈愛の神への深き信頼を持って神の召しだしに応えていきたいと思っています。共に主よりのみ力を、神のみ言葉から、聖餐から頂き、感謝と賛美をもって進んで参りましょう。

退 任 ご 挨 拶

主教 植田仁太郎

 この度、日本聖公会の定めによる定年退職の時期より、半年ほど早く、教区主教を退任させていただくことになりました。昨年から二回ほど、会議中に倒れ、緊急入院する事態となり、みな様にご心配をおかけすることになってしまいました。検査の結果、決定的な病因は確定できないようですが、全般的には高血圧症と加齢による一過性の血栓が見られるようです。血圧を上げることがないようにするのが、第一の注意点のようです。血圧・血管のための数種の薬を服用しております。

  みな様にご迷惑をおかけすることになった二度の入院と静養の間に、主教職が負うべき身体的・精神的持久力と集中力が大幅に欠けてきてしまったことを、大変恐ろしいことであると自覚するに至りました。年初以来、近くで私の仕事を補ってきて下さった方々も、同じ観察をしていらっしゃるでしょう。後任教区主教が着座されるまで、みな様には、いずれにしてもご迷惑をおかけすることになりますが、しばらく、管理主教の任をお引き受け下さる廣田北関東教区主教のもとで、通常の教区・教会の営みを続けていただきたく望み、また祈るものです。
  これまで、教区主教在任中お寄せ下さったみな様のお支えとお祈りに深く感謝申し上げます。主教職をになう者として誠に不充分な私を許し、励まし、ご理解下さった方々みな様に御礼申し上げます。

  退任後の新たな生活を整え、健康への心配が減じました暁には、再び日本聖公会の一隅で、何かお手伝いできることがあれば、と念じております。教区・教会でのみな様の変わらぬご奉仕に感謝しつつ…、また私をお用い下さった神さまへの深い悔改めと感謝をもって…。

「変わらないもの」にこそ

主教 植田仁太郎

 2009年をふり返って、多くのマスメディアが、内外の流行のことばとなったのは、「チェンジ」ということであったと、時代の風潮を指摘していた。
  アメリカのオバマ大統領が掲げた標語として始り、日本の総選挙を通じて民主党政権が誕生して、チェンジが現実のものとなったような気にさせられた。アメリカでも日本でも、チェンジに期待したことは、そう簡単に変わらないという失望感が感じられていることも確かである。
  それでも、前政権のもとで当然とされてきた、特に利権や特権を得てきた人々にとっては、変りっこない、と思っていたことが変ってしまうことに、多くの戸惑いがあっただろう。
  気候温暖化についての大きな国際会議の開かれた、デンマークのコペンハーゲンという町は、自動車中心の考え方から、自転車中心の町づくりに変ったと、ずい分報道されていた。世界の自動車産業界は、石油・ガソリンに代るものを動力源とするクルマの開発に必死になっているという。
より公平な、一部の人間だけがトクをするのではない社会へと、社会が変ってゆく、社会を変えてゆくのは、大切なことである、後戻りのできない資源や環境を守ってゆく社会と人間生活へと変えてゆくことも大切なことである。
  そういう中で、教会は、どのような時代にあっても変らない価値と変らない真実を語り続ける。世界と人間は、神さまの支配のもとにあるという謙虚さを常に持ちなさいと。2010年を、変らないものにこそ注目する年としてゆきたい。

クリスマスの指し示すもの

主教 植田仁太郎

 毎年この時期に、キリスト者としてくり返し言わなければならないことがある。それは、クリスマスというものが、余りに世俗化してしまった(宗教や信仰と無関係に祝われている現象)故に、その真実を、語ることが大変難しいということである。聖書に記され、残されている、イエス・キリストの誕生物語さえ、イエス・キリスト誕生そのものの意義を充分に表現しているとは言えない。

 ただし、イエス・キリストの誕生という事実が無ければ、誕生物語も語り継がれなかったし、聖書も書き残されることもなかった。そこに、クリスマスの真実性があるようである。イエス・キリストの出現という歴史上の一点がなければ、キリスト教という宗教やそれから派生した広大なキリスト教文化や、その周辺の世俗化したクリスマスも無かっただろうという認識こそ大切であるように思われる。

 そのキリスト教文化の一部に、いわゆる西暦、AD・BCという年の数え方がある。イエス・キリストの出現を起点として、その前と後とに時の流れを分けて、年を数えることにしたあの考え方である。(実際には、キリスト誕生の年の数え方のミスが後で判明して、誕生の年はBC4年とされた。) それでも、誕生を起点として前後に歴史を考えるという、その原則は貫かれた。

 これを単なるたまたま広く通用するようになった便宜上の年の数え方だ、と一蹴してしまうこともできる。しかし、私は信仰者として、そのようにたまたま広く採用されることになった慣例のうちに、世界と歴史と人間の中心を、はからずも私たちに指し示す、そういう真実を見ている思いに駆られるのである。

歴史の重み

主教 植田仁太郎

先月、この欄で、私たちの日本聖公会という教会は、宣教開始から150周年を迎えた、と書いた。
 教会が与えられている使命を果たすために、また教会という信仰者の共同体がこの世の中で存続してゆくために、150年間、多くの苦労と犠牲が捧げられてきたであろうことは間違いない。教会のために、いのちをかけた人々も数多く居た。それはそれで実に尊い。しかし、それは、その人々の決意と決断が、苦労と犠牲を敢えていとわなかった、その行為の歴史である。
 このような歴史を語ろうと思って、多磨全生園(たまぜんしょうえん)(元ハンセン病患者さんの療養施設)内の礼拝堂での礼拝に臨んだ。その数日前、この年が、全生園という施設が作られてちょうど100年目だということを知った。さらにその数日前頃、100周年の記念式典が行われ、厚生労働大臣の謝罪文が読み上げられたという、小さな新聞記事があった。
 それを知った時、自分たちの教会の歴史を、強制と差別と偏見の中で、みずからの人生を奪われてきた、(私たちもそのことに加担したのだが)――そういう人々に語って何になろうと、痛感した。その人々の歴史は、いわばみずからの決断と選択の結果の歴史ではなくて、たまたま当時不治の病いとされた病いに冒されたというだけで、強制的に(国家権力と社会の世論の力で)みずからの人生を放棄させられた歴史である。
 様々な歴史の憶え方があろう。しかし、ただ何周年というその重みには、大きな違いがあるように思えてならない。
 今年は、安重根(あんじゅんぐん)の、伊藤博文の暗殺から100年目だそうだ。韓国独立運動の英雄として憶えられている。ところで韓国では、暗殺ではなく「銃殺」した人物とされている。この歴史の重さを、多くの日本人は知らない。

1 5 0 年 の 歴 史

主教 植田仁太郎

 イギリス国教会の流れをくむ、私たちの日本聖公会という教会は、今年、宣教開始(最初の宣教師の日本上陸)から150年目を迎えた。つい先日、記念の礼拝を、聖職・信徒2500人以上が集まって、ささげることができた  
  16世紀にカトリックの宣教師たちによって伝えられ、一度はこの国に根付いたかに見えた、教会が、迫害と鎖国の歴史の中で立ち消え、ようやく、再び宣教師たちの努力によって、存在することになった。遠くパレスチナと地中海世界で生まれ、ヨーロッパ、ロシア、アメリカなどで成長することになった、ひとつの“精神世界”とも言える宗教が、この地にもたらされ、「信徒」である私たちが、その精神世界に生きるようになったということは、どんなに私たちが少数であるにせよ、ひとつの奇跡のように思えてならない。
  そして、キリスト教という精神世界が、この国の社会にもたらしたものは、信徒の数こそ未だに大きなものではないが、決して無視できないものであろう。端的に言って、キリスト教は、この国の教育と社会福祉の分野で、パイオニアであった事実は消すことができない、
  同時に、その精神世界は、時代の限界も反映していた。植民地主義や、軍隊による他民族への暴力に、絶対的に反対する基盤を持つことができなかった。
  150年の歴史を思い返すとき、本来、私たちの獲得した精神世界から、生み出すべきであった価値や、またそれに基づく行動が、できなかったと思われることのみ、多かったと思わざるを得ない。これからは、その精神世界から新たな価値と視点を生み出す努力をしてゆきたいと思う。