2003年平和アピール

日本聖公会東京教区 正義と平和協議会

2003年8月1日

正義と平和協議会 議長 香山洋人

 

主の平和が皆さんとともに

今年も敗戦から五十八年目の八月十五日をむかえようとしています。日本国民はもちろんのこと、アジア太平洋地域に多大な犠牲をもたらせた戦争の反省に立ち、日本は軍備を放棄し平和の道を選択しました。戦後の日本社会は、憲法を拠りどころとし、民主主義の確立と、アジアの人々との和解に基づく世界平和への貢献を目標として努力してきたはずでした。しかし、今日、日本政府はアメリカの一国覇権主義に追随しながら「新ガイドライン法」、「イラク新法」、「イラク特措法」を制定するなど、多大な犠牲と半世紀にもわたる努力を踏みにじるかたちで平和憲法を骨抜きにし、アフガニスタンやイラクの人々への武力行使に荷担し、「ゲリラ戦状態」といわれるイラクに自衛隊員を送ろうとしています。これはアジア太平洋戦争のすべての犠牲者、今もその被害を受け続けている人々に対する背信です。私たちはこのように歴史を逆行させることによって、未来を担う世代に負いきれないくびきを課すことになることを自覚しなければなりません。

自民党の麻生太郎政調会長は、五月三十一日の講演会で、「朝鮮人の創氏改名は朝鮮人が望んだこと」、「ハングルは日本が教えた」、などと述べました。また、七月十三日には、自民党の元総務庁長官江藤隆美氏が、「南京大虐殺(の死者)が三十万人なんてでっち上げのうそっぱち」、「新宿の歌舞伎町は今、第三国人が支配している無法地帯。そういうのが犯罪を犯している」などと述べました。江藤氏は総務庁長官時代にも「植民地時代、日本は韓国によいこともした」と発言しています。言うまでもなく、これらは事実誤認であるばかりか、中国、韓国、北朝鮮の人々や、日本による植民地支配の犠牲者たちを著しく侮辱する言葉、外国人労働者に対する差別を助長、扇動するものです。

こうした暴言は、六月二七日の自民党の大田誠一代議士による「集団レイプするくらい元気」発言や、七月二日の森喜朗元首相による「子どもを産まない女性に年金は不要」などの常軌を逸した暴言とともに、日本の政治家たちの非常識さ、倫理性の崩壊、アジアや女性に対する明らかな差別と偏見、悪意の存在を露呈するものです。

今、平和憲法を無力化し、戦後の民主主義の努力を嘲笑する力が政治指導者たちの中に働いています。正しい歴史認識と倫理観を喪失した政治家たちの判断が、日本を再び戦争加害国、侵略国へと導き、国内外の人々に災いをもたらすのではないかと危惧せざるをえません。

このような人々が国会議員であり続けられる現状に対し、すべての選挙民は責任を問われています。私たちキリスト者は、自らの良心と信仰に照らして善悪を識別し、自らの行動を律する必要があります。いまこの時にこそ、「知る力と見抜く力とを身に付けて、あなた方の愛がますます豊になり、ほんとうに重要なことを見分けられるように」(フィリピ書1章9節)との使徒の祈りを想起しましょう。

特に、私たち日本のキリスト者は悔い改めと赦しへの希望に従って、アジア、特に韓国の教会とのあいだに信頼関係を築き上げようと努力してきました。今後ますます、私たちは悔い改めの結ぶ実を携えてアジアの隣人たちと共有可能な歴史観を構築し、アジア蔑視の風潮を克服するために祈り、行動しなければなりません。

東京教区正義と平和協議会は、東京教区の各教会、信徒、教役者の皆さん、ならびに他教区や修道会の皆さん、そしてキリストにあるすべての姉妹兄弟の皆さんに対し、次のことがらを訴えます。

アジアの人々と共有可能な歴史認識を学ぶための機会を設けましょう。
日本による植民地支配の犠牲者、侵略戦争の犠牲者への償いと人権の回復の働きに参加しましょう。
自衛隊のイラク派遣を阻止するために行動しましょう。
「平和の器」としての教会の働きを強めるために、祈り、学び、行動しましょう。
祈りの課題として

8月17日の主日に、侵略戦争を反省し、戦争犠牲者を覚え、日本とアジア諸国の和解の実現のためにお祈り下さい。
世界平和と正義の実現のため、特に、イラク、パレスチナ、その他の紛争地域に一日も早く正義と平和が実現するようにお祈り下さい。

なぜ「正義と平和」は教会で不人気か ~
「正義と平和」協議会だより~

主教 植田仁太郎

 

 教会の二千年の歴史の中で培われてきた務めは、礼拝、牧会、伝道、教育そして福祉でした。そして世の中と直接関わる教育と福祉の分野では、教会は輝かしい貢献をしてきました。現代では、その分野では国家が責任を持つようになったのも、教会の先駆的働きがあったからに他なりません。同時に、国家の手になる教育や福祉が主流になった今でも、その分野の教会の働きの意義は、少しも減じてはいません。そのことは教会の中でも充分に認知されています。

 ところが、教会が「正義と平和」の問題に関して発言しまた行動することになったのは二千年の教会の歴史の中で、極く最近のことです。だから、社会正義と平和の問題に教会が発言し行動すること―それは否応なく「政治的」発言と行動になります―は、教会の務めに馴染まない、適しないと考えられるのは良く分かります。二千年来してこなかったことをやろうというのですから、「教会がすべきことではない」という思いが、何となく教会を支配してしまうのでしょう。

 旧約聖書で語られている時代には、正義と平和に関しては、しばしば預言者によって取り上げられ、発言がなされ、王や支配者や宗教的リーダー達に鋭い批判が向けられました。預言者達は信仰的良心からそうしたのです。

 この預言者達の社会批判と政治的発言の伝統が、イエス・キリストの中に脈々と息づいています。多くの人は、イエスは政治的には関与しなかったと良く言いますが、今日的な意味での政治的活動はなさらなかったでしょう。けれども、大多数の人々が貧しく何の権利も持っていなかった当時の社会で、「貧しい者は幸いである」と主張すること自体、極めて政治的です。

 やがて、教会が成立し、地中海世界で公認され、さらにヨーロッパである権力を持つようになると、教会は社会の支配層と結びつくことになり、預言者的批判精神を鈍らせることになりました。

 しかし近代になると、社会制度や法律、それに経済システムが公正であるためには、どうあらねばならないか、という知識と経験が飛躍的に増大します。それについての人々や社会一般の自覚も高まりました。かつては神から賦与された犯さざるべきものと考えられていた社会制度や人間の身分制は、そうではなくて、単に人間の造り出したもので、多くの欠陥を持っていることが分かってきました。

 また教会は、教会だけが神の道具なのではなくて、神は世界のあらゆる所で、あらゆる人々を通して働いておられるのだ、ということを再発見しました。そしてようやく、教会も、神の造り給うこの世界と歴史の中で、正義と平和を実現する器とならなければならないと、自覚できるようになりました。弱い者の味方になられたイエスのように・・・。

 こうして、二十世紀以降になって、正義と平和の問題に発言することが、大切な教会の務めのひとつとなりました。

第96(定期)教区会開会演説

2003年3月21日
主教 植田仁太郎

 お忙しい中、各教会の信徒代議員の方々、また聖職議員、教役者議員のみな様、教区会のためにご参集下さいまして感謝申し上げます。

イラクでの戦争が現実のものとなり、国際連合を舞台としての平和維持の試みの難しさを経験し、また一部の反戦への国際世論の高まりにもかかわらず、日本政府の外交努力や一般の政治への関心度が誠に貧弱に見えるこの頃です。また経済は低迷し、いわゆる「構造改革」も、いたずらに失業者の数を増すという犠牲だけが目立って、その成果が上がっているのかどうかさえ不明です。また世相も、悲しい幼児虐待や奇妙な集団自殺、動機の薄弱な殺人や暴力が横行していることを伝えています。私たちの生きている世界と社会が一体どのような状態にあり、どのような方向に進もうとしており、私たちキリスト者を含めた良心的に考え行動しようとする者達が、一体どこに私たちの指針を求めまた何を目指して歩むべきかを読み取るのが極めて困難な時代です。

そのような混迷を深めている世界であっても、そこではひとりひとりかけがえのないいのちを与えられている人間がその生の営みを続けており、無名の少数で目立たない人々やグループがそのいのちと人間の尊厳が損なわれることのないよう、様々な活動が続けられていることも事実です。そして何よりも、この世界・社会は神さまの働き給う場です。

▽創造的な人間

私たちの信仰の教えてくれることに従えば、神さまの働きは、多くの場合、人の眼を魅くことも、新聞の見出しを飾ることも、世の喝采を浴びることもない姿で、ほんの小さなしるしをみせるだけで続けられているのだと思います。「地の塩」である働き、「一粒の麦」である働きはいつもそのような姿で続けられます。にもかかわらず「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためではない」のですから、神とともに働く人々のわざは、必ず世界と社会に、その大切さが認められるようになると、私たちは信じています。

従って教会は「時が良くても悪くても」、イエス・キリストによって示された道を忠実に歩み、またその歩みを共にしてくださる方々を迎え育てることを、常に怠ってはならないのでしょう。それは、混迷を深める世界・社会から一切身を引いて、自分たちだけのささやかな安心や敬虔さを求めることではなく、イエス・キリストがなさったように、混迷の中で行き場を見失いそうになる人々と共に居て、なおそこに見えてくる神さまの光を見出し指し示すことだと思います。それもまた容易ならざることを充分承知しています。

混迷の中で光を見出し、指し示す試みは、神のみに信頼を置きつつ、あらゆる可能性が尽きてしまうように見える中で、なお神さまが備えて下さっているものがある、その賜物を見つけ、それを活用することから始まるのでしょう。教会そのものは、社会の混迷に較べれば、少なくとも何を指針とすべきかがはっきりしているわけですから、大変恵まれていると思われます。けれども、世界・社会の在りようと無関係な一隅として存在しているのではなく、その影響を少なからずこうむり、たとえば、教会のメンバーの平均年令が高令化するなどの現象が見られます。けれども、大都市圏に位置する東京教区は、多くの賜物――教会が与えられている最も大切な賜物は「人」に他なりませんが――に恵まれていると思われます。私たちの場合、「賜物である人」とは、言うまでもなく聖職(教役者)と信徒です。恐らくいつの時代にも、教会が教会として世界・社会にその使命を果たせるのかどうかは、聖職・信徒がどれだけ、教会の業の良き伝統を身につけ、さらにその時代の人々の根源的な必要に応えられるような創造性を発揮できるかにかかっているでしょう。恐らくそれは、この時代に生き残りをかけた企業人に求められていることと似ているかもしれません。良き伝統を身につけつつ、時代の(表面的ではなく)根源的な要求に応えられる創造的な人間です。

▽共同体の核に

本年1月に、初めて、教会委員合同礼拝・祝福式を催しました。一五〇名を越える教会委員の方々が各教会からお集まり下さいました。私は、その方々の教区・教会への忠実さに敬服致しました。未だ、そこから何が生まれた、というわけではありませんが、その方々の忠実さと勤勉さ無しには、教区と教会の何事も進めることはできないのだということを、改めて強く認識しました。言うまでもなく教会委員という役をたまたまお引き受けいただいてない多くの方々も、同じような忠実さと勤勉さをもって、教会生活に励んで下さっていることを良く承知しています。この方々が教会の「よき伝統を身につけつつ」「時代の根源的な要求に応える創造性」を発揮できる共同体の核になっていただければ、教区・教会にとって、今まで以上に大きな力となってゆくでしょう。議決された信仰と生活委員会は、そのような核となっていただける方々を育て助けるプログラムを考えて下さっています。他方、教会の共同体のもうひとつの核となるべき聖職団も、やはり私たちに与えられた「賜物としての人」であることに他なりません。

▽緊張感をもって

数週間前、私はある教会に招かれ、例の教区不正経理事件の教区の対応について懇談する機会がありました。教区の対応へのご不満を訴えていらっしゃる中で、ある方から、「こういう事件が起きてしまうということは、要するに全体に緊張感が無いということですよ」と指摘されました。私は、一生懸命反論しようとしましたが、分かっていただけそうな反論はすぐには見出せず、沈黙しました。それ以来、この叱正のことばはずっと私の心に残っています。後から考えてみても、私のできる唯一の反論は、「そう言われても、事件の発生した二年間が、とりわけ緊張感を欠いていたわけではなくて、過去五十年の事務体制と過去五十年の職員配置と過去五十年の教区の運営と、過去五十年の教区会のやり方と、過去五十年の聖職と信徒の在りようが、そのまま続いていた、その中で不幸にもひとつの不正な行為が為されただけなんです」という、誠に責任転嫁的な反論だけでした。その方の指摘されたことは、まさに五十年来の私たちの「緊張感の欠如」を図らずも指摘されているのかも知れないと理解するに至りました。

そしてそのことばは、教区のあらゆる人々・機関に当てはまることではないけれども、少くとも私自身を始めとして聖職団が謹んで引き受けなければならないことだと思いました。

私自身は、その指弾を、百パーセント不当なものだと斥ける自信がありません。聖職団は、これまでにも増して、伝道・牧会のプロとしての職務を与えられている者として「緊張感」をもって、その職務に当たらなければならないと思うに至った次第です。

▽牧会報告・研修の義務化

一番最近の教役者会には、教区の教役者がなるべく多数出席下さるよう要請し、小職からひとつの発案をさせていただきました。大方の賛成をいただきましたが、それは、各教会牧師・定住教役者に、二ヶ月に一度、「伝道・牧会業務報告」を主教宛に提出していただくことと致しました。

「報告のための報告に終わってしまうのではないか」「それをどのように活用するかが問題だ」などの意見が表明されましたが、少なくとも実験的に始めても構わない、というのが大方の教役者の反応でした。もしかしたら、何の成果もない、もうひとつの悪しき官僚制のひとつに堕するかも知れませんが、少なくとも聖職団がその伝道・牧会の働きを「緊張感をもって」自己検証するよすがとなれば、と願っています。同時に、各教役者が、年間十五時間の研修の時を設けるよう要請致しました。詳細はなお検討中ですが、ただ自ら読書や視察をしてその時間を過ごすことではなく、講演や研修コースや特別講義・セミナーなどに出席して、正味十五時間を、そのような新たな研鑚の時として意図的に用いるというのが目的です。そのような研修を義務付けているアメリカ聖公会諸教区の教役者のお話では、年間わずかその程度の時間でも、実際に実行するのは結構大変であるとのことです。これも教役者の職務に緊張感をもって当っていただくための一助となればと願い、実施する予定です。各教会におかれましては、そのような試みを全教役者が始めようとしていることをご了解下さるよう、この席をお借りしてお願い申し上げます。

▽牧会の体制づくり

それにつけても、聖職・教役者数が現在の教区の教会数に満たないことは、残念ながら現実です。九つの教会で、専従司祭を置くことができない実情は、信徒の皆様に誠に申し訳ないことだと思っております。この現状を打開するためには、――数年後でも、教役者数が劇的に増加することは望めませんので、

  1. 一人の司祭に、二つの教会の伝道・牧会を担当していただくことを視野に入れ、そのための体制を信徒の皆さまのお知恵をいただいて、造り出したい、
  2. できる限り他の教区(海外を含めて)の応援を仰ぎ、『人』の確保を目指したい、
  3. 将来を踏まえ、教会が用いることのできる賜物は、ともかく『人』であることの認識のもとに、聖職として立って下さる方の発掘に引き続き努める、

という方針を採るつもりです。

(b)、(c)には昨年来取り組んで参りましたが、本年は、ソウル教区とハワイ教区から応援をいただけることができました。その応援さえ、未だすべての「人」の必要を満たすことにはなりませんが、それでも、それぞれの教区のご好意に感謝したいと思います。

また、聖職候補生となることを考慮して下さっている方は、昨年来六名を数え、去る2月には、その方々とともに常置委員・聖職養成委員・聖職試験委員がご一緒に一日修養会を催し、その方々の召命を助け、お互いに励まし合う試みを致しました。各教会で、自ら聖職を志すという方々の発掘とともに、「ぜひこの人を聖職に!」と、仲間を新たな道へ送り出す発想を持っていただければ幸いです。同時に各教会信徒の皆さんの間でも、現に主任司祭が与えられているか否かにかかわらず、牧師の務めを、さらに、どのような形で信徒として分担できるのかの検討を進めていただければ有難く存じます。

以上『人』についての私の思いを述べることに終始致しましたが、前回、前々会の教区会で私が述べましたことは、依然として、私が自身に課した宿題として生きていると認識しております。今日、新たに申し述べましたことも、その宿題の遂行の下支えになるものと信じております。

教会委員合同礼拝・祝福式で申し上げたことですが、教会成立の当初から、教会の歴史の中で、教会が教会としてその理想を申し分なく発現したなどという時代は一度も無かっただろうと思われます。教会が世俗の権力と結んでその権勢を誇った時代は例外として、いつの時代も、聖職と信徒はイエス・キリストを世界・社会で体現する教会として「労苦し、奮闘する」(テモテへの手紙第I)ことになります。

最後に、このたび東北教区被選主教となられた、加藤博道師を、日本聖公会全体への奉仕者となられる方として、私どもの祈りとともに送り出したいと思います。恐らく東京教区でのお働き以上の厳しい状況の中での、主の僕の働きをされることになるでしょう。

世界祈祷日メッセージ

2003年3月7日(金)  聖アンデレ教会

主教 植田仁太郎

 今日は、世界祈祷日にあたりこの聖アンデレ教会にお出かけ下さいましてありがとうございます。聖公会の東京教区の責任者として皆さまを心から歓迎いたします。

聖公会の教会制度によりますと、この教会は聖アンデレ主教座聖堂とも呼ばれております。聖アンデレ教会というひとつの教会であるとともに、東京教区の主教座、主教の座る椅子がおかれている東京教区を代表する教会という意味で、通称、大聖堂と申します。小さくても大聖堂です。カトリックの聖マリアカテドラルというのが関口台にありますが、カテドラルが大聖堂という意味です。カテドラルというのはカテドラという語から来ていますが、カテドラとはまさに椅子という意味です。

 さて、今日は世界祈祷日ということで私たちは集まりましたが、まさに世界中でこの日が守られています。NCC女性委員会が立派な式文と解説を作って下さいまして、そのご努力に敬意を表します。私はその昔、NCCの職員でしたから、教会の普通の方よりはこの祈祷日のことを知っているつもりでしたが、この解説を読んで、さらに色々なことがわかりました。アメリカで1887年に始まったそうですが、この解説の43ページの歴史の所には、その3年後にこの日のお祈りが海外伝道の祈りから世界的問題についての祈りとなったと書かれています。つまり何のためにみんなでお祈りするかが変わったということです。この変化が現代も引き継がれ世界祈祷日の大切な底流、音楽でいうならずっと響き続けているパッソコンティヌオ、いわゆる通奏低音のように、個々のテーマや礼拝の形式は毎年変るかも知れないが、毎年ずっと変らず底流のように引き継がれているものが、世界的問題についての祈りの機会だということです。

 世界的問題についての祈りの機会だというこの基本的精神は、献金の送り先のリストを見ても大変よくわかります。ついでに申し上げておきますが、昨年の献金先のリストそして今年の献金先のリストにも入れていただいておりますが、私はたまたま、この一月にこのリストにあります、タイのHIV感染者とエイズ患者のための施設「バーンサバイ」を訪ねることができました。そこで働いていらっしゃる自由メソジスト教団の青木恵美子牧師と昔から知り合いだからです。青木さんについて色々感心するところがありますが、人間60歳代後半になって、全く新しい地で全く新しいことを、生活の快適さや経済的安定などということは一切気にせず、やり始めるという行動力と潔さというのは、本当に神様の力に頼ることに何の不安もない、という人でないとできないことだと常々思っています。

しかも、そのことをいかにも信心深そうに吹聴したりしない、というところが私と大いに意気投合できるところです。バーンサバイと青木さんのことはもっとお話したいですが、この場ではただ、皆さんの献金は確かに必要なところに捧げられる、このリストを考えて下さる方々の眼は確かだ、ということを証言したいと思います。

 この祈祷日の献金先だけではなく、世界中の人々を憶えるための今年のテーマに選ばれているレバノンという国も私にとっては忘れ難い国です。

今から16年前にレバノン内戦の最中にレバノンを訪ねたことがあります。当時もベイルートの市内は道をふさぐ瓦礫の山と砲撃で崩れたビルが目立ち、さらにその崩れたビルの各階にビニールシートをかけて人が住んでいるという情景が普通のことでした。恐らく今も、その後急激に復興したというニュースは聞いていませんから、その有様はあまり変わりがないはずです。イラクやアフガニスタンやパレスチナがこの頃のニュースの脚光を浴びる中で、半ば忘れられかけているという点では、世界祈祷日に憶える国として本当に、世界中の人々の祈りを必要としているでしょう。そういう意味で今日の礼拝の式文を通して聞いたこと、また大変ていねいに紹介されているこの国の歴史や文化は、まさにこの通りだと証言したいと思います。

 そういうわけでこの祈祷日では、世界のあちこちに私たちの思いを馳せなければならないのですが、どうしてそうすることが私たちの信仰にとってそんなに大切なことなのかを、考えてみたいと思います。私たちみんな自分の日々の生活や教会のことそして、周りの人々に気を配ることで手一杯な筈ではないでしょうか。それを、たまには世界の人々のことを考えようよということなのでしょうか。いつもは考えられないから、たまには関心もちましょうということなのでしょうか。私たちの信仰というのは元々大変個人的なものなのだけれどたまには、世界のことを考えて視野を広く持ったほうが良いでしょうということでしょうか。

 私は、私たちが教会をとおして与えれた信仰のありかたは、この世界祈祷日が始まった頃からつまり19世紀の終わりごろから、それまでに無かったひとつのありかたを発見したために、その流れがちょうど宗教改革で、ローマカトリックとプロテスタントがわかれてしまったと同じくらい、あるいはもっと大きく二つの流れになってしまったと考えています。現代のイエスキリストを信じる信仰のありかたは、残念ながら二つの流れになってしまったと思います。この二つの流れの違いは、もうあなたカトリック、私プロテスタント、あなたバプテスト、私聖公会という違いをほとんど意味無くさせてしまったと思います。これらの教派とか教会の名前や伝統の違いをのみ込んでしまうくらいの勢いで、大きな二つの流れになったと思っています。カトリックだからこの流れ、プロテスタント教団だから、ルーテルだからこの流れという風には分けられないのが現代の信仰の流れの違いだと思います。そうでなければ、フリーメソジスト教団の青木恵美子牧師と聖公会の牧師である私が、信仰の色んな点で意気投合するということはあまり考えられないはずだと思っています。もし私がガチガチの聖公会の人間であったら「フリーメソジスト教団?何その教団?」という先入観が先にたったことでしょう。また青木さんがガチガチのフリーメソジストの方だったら「聖公会?何?あのにせカトリックめ」という思いが先にたったでしょう。しかし、そうならないで意気投合できてしまうというのは、私たち二人が違った教派に属していること以上に同じ信仰の流れの中で生きようとしているからだと思います。

 この二つの流れが生まれてくるのが、先ほど世界祈祷日の歴史で生まれて間もなく変化があったということを指摘しましたが、あの頃だと思います。ご存知のように教会の歴史の中で19世紀ほど伝道が進展し、アジア・アフリカの奥地にまで福音が宣べ伝えられ、教会が建てられ、ミッションスクールが沢山建てられた時はありません。それは、交通や通信技術の発展のお蔭で、初めて世界の人が世界を見、世界を意識することができるようになった時代です。明治維新で、日本人が世界を見、世界を意識するようになった時代と、そう隔たっていません。しかし、その世界を見、世界を意識する仕方は大変ゆがんだものでした。ヨーロッパ、アメリカの人々は、それ以外の世界を植民地にしてしまって当然だという風に見ていました。日本はヨーロッパ、アメリカをモデルと考え、その他の地域は日本より劣ったという風に世界を見ていました。だから教会の人々も自分達の信仰は他の信仰より優れていて、この信仰をまだ知らない人に知らせるべきだと思いました。その結果として世界のあらゆるところに伝道する、あらゆるところに宣教師を送り出すという運動がキリスト教会全体を熱気のようにおおいました。それはゆがんで意識された世界にやはりややゆがんだ信仰の形でした。私はその成果を、時代の産物なのですから軽視しないし、その功績も大いに認めます。しかし同時に多少ゆがんだ信仰だったということは今、認めなければならないと思います。でもそれは、2000年の教会の歴史の中で本当に地球上のあらゆる所を人々が初めて意識し始めたのですから、多少ゆがんでいたとしても致し方のないことです。しかし違いはその後です。これは歪んだ世界の見方であり、それにつられた歪んだ信仰だと気付いて修正していった人と、そうでない人で二つの流れが出てきました。

 たとえば、19世紀から20世紀前半に生きた人で有名なアルバート・シュバイツァーが居ります。彼は、アフリカという世界を見、そして意識して、そこにキリストの信仰と、文明の象徴である医療をもたらそうとしました。その偉大な功績は誰もが認めるところです。私は、少々意地悪でしたが、やはり皆さんの献金先のひとつでありますアジア学院に勤務しておりました時に、アフリカからの学生に、アルバート・シュバイツァーを知っているかと毎年聞きましたが、答えは「ノー、知らない。」です。多分ガボンというシュバイツァー博士の働いていた国の人々は知っている人もいるでしょうけれど、アフリカ全体ではほとんど知られていません。そのシュバイツァーは若い時に書いた本の中で、「我々は、アフリカの人々と兄弟である。しかし、我々が兄でアフリカの人々は弟である。だから色々と教えてやらなければならない。」ということを書いています。今、アフリカの人にこんな調子で語ったら、ぶんなぐられるか「エラそうなことを言いやがって」と無視されるでしょう。しかし、それが時代の見方でした。あえて言うなら歪んだ見方でした。しかし、シュバイツァーはそれを段々修正して晩年には生命の畏敬ということを盛んに主張しましたし、また核兵器の廃絶をも唱えています。

もう一人、シュバイツァーほどは知られていませんが、日本にYMCA運動をもたらした人でジョン・R・モットという人が居ります。この人も19世紀から20世紀にかけて生きた人で、最初は世界伝道を志して、まだ飛行機の無かった時代に世界のあらゆる地域に足をのばして、福音を説き、YMCAを設立してゆきます。彼も若い頃こう言っています。「今世紀中に、(つまり1900年までに)世界中をキリスト教化するという勢いだった。」世界をキリスト教化することが大切であるし、またそうできるし、そうすることによって世界の諸問題を解決できると確信していました。それは、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。それは、誰もやったことがないし、果たして神さまがそう望んでおられるかどうかもわかりませんので何とも言えません。しかしモットもその信仰のありようを少しずつ修正して、むしろ、世界各地に生まれていった教会を育て、それをひとつのものとしてゆくことに奔走します。そしてWCC世界教会協議会の生みの親となってゆきます。その頃には世界中をキリスト教化しようなどとは主張しておりません。

伝道への熱意は見上げたものであるし、私たちも常にそれを心がけることが必要でしょう。けれどもその伝道の仕方、姿勢によってずいぶん中味が変わってくるでしょう。20世紀半ばから世界の見方、世界の意識の仕方もずいぶん変わってきました。それに従って、信仰の二つの違った流れが生まれてきたと私は思います。敢えてその二つの流れに名前は付けません。その違いはどこにあるのでしょうか?ひとつは聖書の読み方でしょう。しかし、それを語り出すと大変ですので、今日は、それはカッコに入れておいて触れません。もうひとつの大きな違いは世界をそう見るかという点でしょう。

世界をキリスト教信仰を持っている人とそうでない人という物差しでみるか、それはどちらかというと二次的なことだと考えるかどうかです。また世界をどこであろうと神さまの働いている所と見るか、世界を神さまの働いている所といない所二つにわけて考えるかどうかにも違いは出てくるでしょう。

世界の見方を修正してきた人々の見方は、神さまはクリスチャンが居ようと居まいと、教会があろうとなかろうと、宣教師が居ようが居まいが、この世界で働いていらっしゃると考えることです。神さまはいわゆるキリスト教の国でも、イスラム教の国でも仏教の国でも働いておられる、私はそう考えています。

WCC(世界教会協議会)はその歴史の中でその神さまの働いていらっしゃる世界、それがどこであれ、オイクメネーだということを発見してきました。オイクメネーというのはギリシャ語で、人の住んでいる所すべて、という意味です。言うまでもなくエキュメニカル運動というむずかしい名前の語源になった言葉です。つまり、人の住んでいる所あらゆる所で神さまが働いていらっしゃるのだということを発見しました。さて、もう一度先ほどの献金先のリストを見て下さい。初期の世界祈祷日がその主題をちょっと変更してからでしょう-----この祈祷日のテーマは教会を拡張するためではなくて、世界的問題について祈るようになりました。私たちの献金先のほとんどは別にクリスチャンのためではありません。神さまの働いていらっしゃる世界、オイクメネーで、その神さまの働きに加わろうと、神さまの関心はここにあるに違いない、と信じている人々やグループの働きのために献金を捧げます。

 また、レバノンの女性たちの聖霊を求める祈りも、クリスチャンだけが神さまから恵みをいただこうなどというケチな考えではなくて、すべて痛みを持ち、苦しみ、犠牲となっている人々にこそ神さまが働いて下さるに違いない、という信仰で貫かれています。その人達をクリスチャンにして下さい、という祈りではありません。もちろん私たちと同じ希望、同じ信頼を持つ人が一人でも多く生まれてくれることを私たちも願っています。しかし、その人達がすべてクリスチャンという名称を得なければ神さまの働きは始まらないというわけではないでしょう。ともに祈り、ともに礼拝しともに賛美する人が一人でも多く加わってくれることは大きな喜びです。同時にそれ以上に、そういう場におられなくても、現に働いていらっしゃる神様の働きに参加し、それを人々と共に分かち合う人々がいてくれることはもっと大きな喜びです。

 私たちは世界中から悪の権化のように言われているイラクのフセイン大統領を、クリスチャンにして下さいと祈るのでもなく、クリスチャンであるブッシュ大統領がやろうとしていることがうまくゆくようにと祈るのでもなく、そのどちらにも聖霊を下して、弱い者、犠牲になっている者、傷つけられている者に気付き、そういう人々の味方になって下さいと祈ります。先ほど読みました聖霊降臨日の出来事のルカの物語は、教会というものがそもそも生まれた時の話だとされています。そして集まっている人が、色々な国の言葉で語り出したというのは、もうすでに当時色々な言語や文化の人々が教会を形成していた、ということの反映だと思います。つまり当時の世界、今から考えればごくごく限られた地域でアジアもアフリカもアメリカも視野に入っていませんが、それでも当時の知られていた世界全体に神さまは働いているんだ-----というそういう認識を示していると思います。教会の伝える信仰は、それぞれの時代の制約はあるけれども、世界で、神さまは働いておられるのだということをずっと語ってきたのでしょう。

 私たちの時代は、2000年前より、あるいは19世紀よりはるかに良く、はるかに日常的に世界が見え、世界を意識せざるを得ない時代になりました。毎日、テレビ、新聞で世界のことが伝えられない日はありません。そんな時代は教会の歴史上でも初めてのことです。それを私たちの良識や信仰からしめだすことはもうできません。この日本の社会でも、はるか世界から忘れられかけているレバノンでも、バンサバーイのあるタイにも、神さまは働いておられます。そして、特に弱い人、無視されている人、傷ついている人と共に居られる神さまに、私たちの顔を向けてゆきたいと思います。

イラク危機に関する声明

2003年2月28日


東京教区各教会・礼拝堂御中
牧師・管理牧師・チャプレン各位

日本聖公会東京教区
正義と平和協議会議長
司祭 香山洋人
教区主教  植田仁太郎

 わたしたち日本聖公会東京教区正義と平和協議会は、イラク問題の解決に際していかなる武力行使にも反対します。

国際紛争は武力によってではなく平和的に解決すべきです。「殺してはならない」(出エジプト20章13節)という戒めはキリスト教信仰の基礎であり、イエス・キリストは憎しみや復讐を禁じたばかりでなく、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5章44節)と教え、「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(26章52節)と武力の行使をいさめられました。しかしながら教会はその歴史の中で、福音の教えに反して自ら軍隊を組織して武力を行使したり、他宗教の人々を侵略したり、国家に迎合して戦争を肯定したりした罪を負っています。今わたしたちはこのことを深く悔い改め、「平和を実現する人々は、幸いである」(5章9節)とのみ言葉を銘記したいと思います。

すべての国家の責任ある立場の人々は国際紛争の平和的解決のため忍耐強く最大限の努力をしなければなりません。これは侵略と戦争に明け暮れた人類の反省の成果です。一方を「悪」と決め付ける姿勢ではなく、対話と協調の精神で平和的に紛争の解決にあたることこそが21世紀の智恵であり、勇気であるはずです。全人類を絶滅の危機に陥れる核兵器の開発禁止や大量破壊兵器の放棄は、イラクや朝鮮民主主義人民共和国だけではなくすべての国家に課せられるべき義務であり、平和実現の最重要課題であると信じます。

 今般のイラク危機解決のため、アメリカ政府は武力によるフセイン政権打倒を示唆しています。しかしこのことは世界を覆い尽くそうとしている憎しみと暴力の連鎖を加速させることはあっても、全人類が享受すべき平和実現のためにいかなる効果も発揮しません。持続的な平和は正義の実現を前提とします。貧困、民族差別、宗教的不寛容など根本的な問題解決こそが平和実現の優先課題です。いまこそ国際社会は、軍備にではなく、貧困の解消のためにあらゆる資源を投入すべきであり、富の不均衡の是正と諸民族間の正義と和解実現のために最大限の努力を行うべきです。

 イラクの人々は、湾岸戦争以来の「経済制裁」によってすでに甚大な被害を受けています。強大国や独裁者の誤った政治によって被害を受けるのは、弱い立場の人々、子供、女性、高齢者たちです。戦争によって死地に赴くのは国家の指導者ではなく兵士達です。わたしたちは、痛みを持つ人々に対する感受性を豊に発揮して、権力者達の思惑に翻弄される弱い立場の人々を想い起し、小さな声が尊重される民主的な社会制度の実現を目指さなければなりません。

 平和憲法を持つ日本の政府が、米英などと共にイラク問題の武力による解決を望んでいるのは恥ずべき誤りです。日本政府は、後方支援を含めいかなる戦争に対しても協力すべきではありません。わたしたちは1999年8月15日に日本聖公会首座主教名で発表された「平和アピール」を再確認し、「日米防衛協力指針」「周辺事態法」に強く反対します。わたしたちは日本政府に対し今回のイラク危機においていかなる戦争協力をもしないよう強く求めます。絶対非戦を貫くことこそ、戦争の加害と被害を共に体験した日本が国際社会に貢献する道であると信じます。

 平和の実現は常にキリスト者の祈りであり、すべての宗教は平和の実現を希求しています。戦争は神の愛を傷つけ被造世界を堕落させ破壊する悪の力の結果であるばかりでなく、殺戮、破壊、弾圧、差別などによって新たな憎悪と悲しみの連鎖を生み出してしまいます。キリスト者にとって、戦争防止と平和実現のために闘うことは洗礼の約束の忠実な実行であり、わたしたちは、今般のイラク危機を覚えて全世界の宗教者、平和を願う人々と共に平和の祈りの輪に参加し、共に行動したいと思います。
 最後に、この危機に際して同様の声明を発表している日本キリスト教協議会(NCC)アメリカ聖公会総裁主教フランク・T・グリスウォルド師、英国聖公会カンタベリー大主教ロワン・ウィリアムズ師、カトリック正義と平和協議会に連帯を表明します。

各教会、礼拝堂において以下の主題のもとに代祷をおささげください。・イラク問題の平和的解決のため・すべての国家が核兵器を含む大量破壊兵器を放棄し非武装の道を歩むため・戦争、テロの犠牲者のため・貧困、抑圧に苦しむ人々、特に、「経済制裁」のために苦しむイラクの人々のため・すべての為政者、政治指導者、特に国連安全保障理事会の人々のため行動提起「キリスト者平和ネット」などの呼びかけに応じて、武力行使反対のための行動にご参加ください。

教会委員合同礼拝・祝福式 説教

2003年1月25日(土)
聖アンデレ主教座聖堂
主教 植田仁太郎

詩編

第62編 1節 わたしは静かに神を待つ、わたしの救いは神から来る
    5節 わたしは静かに神を待つ、わたしの希望は神のうちにある

ホセア書 第6章 1節-2節 さあ、我々は主のもとに帰ろう。
主は我々を引き裂かれたが、いやし
我々を打たれたが、傷を包んでくださる。
二日の後、主は我々を生かし
三日目に、立ち上がらせてくださる。

テモテⅠ 第4章 10節 わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。



今日は、この教会委員の合同礼拝と祝福式にご参加下さいまして、本当にありがとうございます。数年前までは、教区全体で新年礼拝を致しまして、お互いに新年を祝い、決意を新たにする機会としておりました。私が主教の職に任じられましてからもうじき二年になりますが、過ぐる一、二年は残念ながら教区全体で新年を祝うという気持にはとてもなれなかったということは、皆様も恐らく同じお気持だっただろうと思います。

折角、そういう教区会以外に教区の皆さまに集まっていただく機会があったのに、全然それを無くしてしまう、というのも残念に思い、何かの形でそういう機会を設けたい、と思いましたのが、今日の礼拝を行うことにした第一の理由です。もうひとつ理由がございます。私が主教の職を与えられ、各教会を巡回している中で、各教会の教会委員さんとお会いしお話しするたびに、教会委員としてみなさんから選ばれている方々が、教会にとってどんなに大切な働きをして下さっているか、そして労多くして報い少ないお仕事に、何と多くの方々が黙々と精を出して下さっているかに、改めて大変心を打たれました。

ここの教区事務所にいつも出入りしている者たちが、特に主教は、教区会とか常置委員とか、教区代議員とか○○委員会とかの働きによって教区が動いているかのようにとかく錯覚し勝ちですが、実は、そうではない、各教会で信徒と聖職の間に立って苦労してくださっている教会委員の務めを果たしていて下さる方があって、初めて、教会が働き、教区が働いているんだということを、もっとはっきりと認識しなければならない、この方々とともに祈り、お互いに励まし合わなければならないと思いましたのが、今日のこの礼拝を企画致しました第二の理由です。

さて、今日の礼拝は、私も、ここに連なって下さっている同僚聖職も、そして皆さんも、神さまから与えられている務めに何よりも謙虚であらねばならないというつもりで、ともに嘆願をささげるというのが後半になっていきます。そして、前半、今まで読み、唱えてきました聖書と詩編のテーマとなっているのは、「希望」です。

▽詩編62編作者の希望

最初に唱えました詩編第62編は「わたしは静かに神を待つ」ということばで始ります。

これは、この二年間私の心の奥底にあった気持でもあります。世の中一般からも、教会からも、あまりいいニュースは聞こえてこない。時にはムッとしたくなるようなこともある。私が主教という恐れ多い務めに任じられたのは、こんなことをするためだったのだろうか。人々は、教会の方々も、その他の友人達も、こんなことを期待していたのだろうか。神さまは、私に何をしろ、と仰っているのだろうか。神さまは私たちに何をしろと仰っているのだろうか。あの人はあゝ言い、この人はこう言う、そう言う人もまた、どうするのが一番良いのかわからず苦しんでいる。誰もアッと驚くような解決、誰もみんなが納得するような解決を与えることができない。

「わたしは静かに神を待つ」。じたばたするな!「わたしは静かに神を待つ」。しかもこの言葉は5節にも、もう一度出てきます。そしてこの詩編の作者は、ホッとしたように思い出します。「わたしの希望は神のうちにある」。

▽ホセアの悲鳴と希望

次に私たちは、第一日課でホセア書を読みました。冒頭は強烈です。「主は我々を引き裂かれたが、いやし、我々を打たれたが、傷を包んでくださる」。

私たちに振りかかった例の経理事件は、まさに、私たちを引き裂き、私たちを打ちのめしました。だれが悪い、だれが責任があると言っても始まりません。それが分かった時点で色んな形で、私たちみんなが引き裂かれ、打ちのめされました。

ご存知のように、ホセアという預言者は、神さまから、身持ちの悪い女性と結婚せよと命じられて、非常に屈折した私生活を引き受けざるを得なかった特異な預言者です。そして、妻の子ではあっても自分の子ではない子を次々と家族として受け入れなければならなくなります。

妻の不倫によって出来た子に、恐ろしい名前がつけられます。「ロ・ルハマ、憐れまれることのない者」とか、「ロ・アンミ、わが民でない者」とか、空恐ろしい名前です。そういう複雑な家庭をかかえ、悩みながら、ホセアは、気付きます。この自分の状況は、神さまが神さまとイスラエルの民の関係が、このようにねじくれてしまっているよ、ということを身をもって知らせようとなさったのだ、と気付きます。そして、イスラエル、エフライム、ユダの人々に警告し預言をします。6章のこの箇所は、神から悔改めを迫られたイスラエル、エフライム、ユダの人々が悲鳴をあげているところです。「神さまは、我々を引き裂いたがいやし、打ちのめされたが傷を包んでくださる方に違いない」とすがっているところです。そして、「主は曙の光のように必ず現れ…我々を訪ねてくださる」という希望を表明します。

それはホセア自身の悲惨な家庭生活の中からの悲鳴と希望でもあったと思います。希望というのは、何もない所に空しくあるものではありません。失われた信頼の中から、打ちひしがれている時に、その中から信頼を回復しつつ生まれるものが希望です。

▽組織化時代の教会

そしてその次に、私たちは、第二日課でテモテへの手紙を読みました。テモテは、偉大なパウロの弟子として使徒言行録にも、パウロの手紙にもしばしば登場します。テモテという人の名前は、パウロとともに初代教会の人々の間で、かなり良く知れ渡っていたようです。

このテモテへの手紙は、あたかも偉大なパウロが、その弟子に書いているような格好にして、つまり、パウロの権威を借りて、誰かが書いたもので、パウロ自身が書いたものではないし、テモテに対して書いたものでもないことははっきりしています。手紙の差出人とあて名人は、どうでも良いことです。では、あまり重要でないか、というと、そうでもありません。パウロよりずっと後で書かれたようですから、本物のパウロの手紙とは書かれた時代背景や、書かれた意図が違います。つまり、パウロの時代には、まだイエスのことを実際に知っていたり、またイエスのことを記憶したりしていた第一世代のクリスチャンが沢山居りましたが、もうこの手紙の書かれた頃、紀元後百年位ですが、第一世代の人々はとうにいなくなって、第三、第四世代のクリスチャン達の時代で、教会がいよいよ組織化される時代になっています。

つまり組織としての教会を成立させてゆく上でのマニュアルだといって良いでしょう。ですから、この文章は、聖職にも信徒にも、教会という組織を預る現代の私たちにとっても、そのまま、良くわかります。そして、「わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです」と言っています。

教会の歴史のどの時代にも、良心的な人々は、労苦し、奮闘したのでしょうし、この手紙を書いた人も、また読んだ人々も、教会の実状としては今の私たちとそう大差のない状況にあっただろうと推測されます。そして、「労苦し奮闘できる」のは、「生ける神に希望を置いている」からだと理解します。

この手紙を書き、そしてこの手紙を読んだ人々は、実は、教会の運営に責任を持つ人々の「マニュアル」であるこの手紙だけを頼りにしたのではなく、イエスの教えとなさったことを記した福音書のどれかひとつを、当然知っていたと思われます。福音書に伝えられるイエスの姿・十字架・復活に従いつつ、もう一方でこの手紙を教会運営のマニュアルとしました。イエスのなさったこと、教えたことを心に留めながら、希望を神においているから、私たちは労苦し奮闘できるのだと言っています。これも私たちと同じです。

今日は敢えて福音書を読みませんでした。それは、私たちは、福音書のある箇所だけに注目するのではなくて、福音書に記されたイエスの教えたことなさったこと全体を心に留めながら、希望というものを考えたかったからです。私たちが希望を神に託することができるのも、私たちが静かに神を待つことができるのも、そして、私たちが神に悲鳴を挙げつつ信頼できるのも、イエスのなさったこと、イエスの教えたことがあるからです。

▽ひとつの奇跡

イエスのなさったことの多くは、人々に奇跡と映りました。イエスのなさったことの多くは、後の世の人々に奇跡として記憶されました。悪霊が追い出され、病人が癒され、水がブドウ酒に変り、嵐が静まり、一晩中とれなかった魚がイエスの指示で舟一杯とれたのも奇跡として映りました。私たちは、奇跡はイエスとイエスが生きた時代の人々にだけ起ったのであって、現代のような不信仰の時代には滅多に起こらないだろうと考えています。

しかし私には、教会の姿そのものが、やせても枯れても、ひとつの奇跡のように思えてなりません。

東京教区が、三五の会衆を擁し、年間三億四千万円もの予算を計上し、さらにその上に、一千五百万円もの献金を教会の外の働きに献げ、また各教会が直接用いている予算を勘定に入れれば、さらに何億円かを献げて下さっているのは、ほとんど奇跡のように思えてなりません。私を初め、つたない聖職団の力を考えるとなおさらです。お金のことばかり申しましたが、それだけでなく、おカネや人が居ないと嘆きながら、カパティランを支え、ホームレスの人々への働きを支え、ぶどうのいえを支え―、その他多くの働きを側面から支え、どれだけ多くの人々の支えになっているかを考えると、これまた奇跡のように思えてきます。

また皆さんとともに、もっと教会に生涯を捧げる聖職となる人々が増えて欲しいと願っているうちに、この一年で六人もの方々が、将来聖職となりたいのだけれど…と志願して下さいました。これまた奇跡のように思います。

イエスは興味本位や、自分の利益や自分の力を誇示するために奇跡のようなわざを行ったのではありません。そこには、必ず、労苦し、奮闘し、心配する当事者が居ります。そして、そこにイエスが居合わせました。

私は皆さんとともに、ずっとこの東京で起っている、そしてこれからも起るに違いない、奇跡の当事者でありたいと願っております。

詩編の作者が静かに神を待ち、ホセアが神に悲鳴をあげ、初代教会の人々が労苦し奮闘したこと、すべてが私たちに当てはまります。その中で、みんな神に希望を見出しました。そして、その希望はイエスのなさった奇跡的なわざで、むなしい希望でないことが裏付けられました。

今日のこの機会に、皆さんとともに、神さまの力の奇跡の当事者としてあり続けたいという、私の願いと祈りを分ち合っていただければうれしく存じます。

教区主教 聖霊降臨日

(教区時報掲載のもの)

聖霊とバリアフリー


 この頃マンションや住宅のチラシ広告に、『全室バリアフリー』などという、うたい文句があります。どの部屋に行くにも、トイレも台所も、段差がなく造られていて、足腰の弱くなった人でも、つまずかないで移動できますョ、ということでしょう。駅や公共の建物がバリアフリーだというのは、車いすでも苦労が無いですョという意味です。

「バリアー」とは、障碍物のことで邪魔するものという意味で、バリケードという言葉と同じ語根です。「フリー」は、もちろん自由のことで、バリアフリーは、障碍物から解放されている状態を指しています。

使徒言行録で著者ルカが伝える聖霊降臨の出来事に、集まっていた人々が、口々に色んな国や民族の言語をしゃべり出した、というエピソードをつけ加えています。ユダヤ人であったイエスの死と復活のメッセージを、どうしてもユダヤ民族・ユダヤ人文化・ユダヤ人の宗教を越えて、伝えたかったルカは、このエピソードで、言語・文化・宗教の障碍を越える、聖霊の力を示したかったのでしょう。今も昔も、言語・文化・宗教は人間が共に生きてゆく上で大きな障碍となります。それに加えて、階級や性別や年令、教育・収入なども障碍となります。

しかし、聖霊の力は、これらすべてを打ち破ります。全ての人間の間の、また社会の関係をバリアフリーにする力です。事実、初代の使徒たちはその力を発揮しました。教会とそこに連なる私たちも、その力をいただいているはずです。あとは、それを発揮することだと思います。社会と世界をバリアフリーに!

(東京教区主教)

教区主教 イースターメッセージ

(教区時報掲載のもの)

復活のミステリー


 イエスの誕生、そしてご生涯、十字架上の死、そして復活は、ミステリーに満ち満ちています。「ミステリー」と私が呼ぶのは、そんなに高尚な、宗教的な意味ではありません。ミステリー小説のミステリーです。つまり、イエスの生きた時代と現代とが余り隔ってしまったので、事実関係を再構成するのは容易なことではないからです。そして聖書は、その事実関係を解き明かすのに、格好の資料のように思えますが、必ずしも「事実関係」を残すために書かれたわけではないので、ミステリーを拡大することにもなります。

 私は、生涯、このミステリーを追いかけたいと思います。同時に、ミステリーが解けないと信じることができないというわけでは全くありません。

 パウロ―彼も余り事実関係については知りませんでしたが―「キリストが復活しなかったら、あなたがたの信仰も無駄です。」と明言しています。復活の証人となったパウロを含む使徒達に与えられた、圧倒的な神の力と恵みを、私たちも与えられています。私が妻を愛し、妻から力を与えられるのは、私と妻の出会いの「事実関係」が明らかにされないと起らない、というわけではありません。

 そういうものこそ、事実関係を越えた、深い深いミステリーでしょう。

教区主教 クリスマスメッセージ

(教区時報掲載のもの)

馬小屋で寝たことがありますか?


御子イエスが、両親の旅の途上、ベツレヘムの宿屋の馬小屋で、お生まれになったということです。
 子供たちのクリスマスの『聖劇』や、クリスマスカードのデザインに仕立て上げられると、何とロマンティックな情景でしょうか。このイエスの誕生にまつわる話は、ルカが創作したのでしょうか。それとも、ルカは、当時すでに人々が聞かされていた話を、ちょっと手を加えて脚色したのでしょうか。
 いずれにしても、イエス・キリストの本質を良く言い表す物語に出来上がっています。想像力に敬意を表します。

 私は一度だけ馬小屋に寝たことがあります。何年も前に、ネパールの山奥で。正確には、馬も人もニワトリもヤギも一緒でした。まず、寒かった。寝袋に入っていたのに。そしてクサかった。動物の小屋特有のあのニオイです。またうるさかった。闇の中でも馬は足を踏み鳴らし、ブルルッと鼻を鳴らし、おシッコまでします。…これが馬小屋の現実です。
 神さまが、どこかの皇室のお子様のようにではなく、こういう現実のまっただ中に、人の子としてお生まれになったことは、驚きであり、ありがたいことです。
 私たちも、現代の現実の中に生まれたもう御子の誕生物語を、想像力豊かに、作り出したいものです。

第93(定期)教区会開会演説

足らざる所を

 主教に就任致しましてから八ヵ月、皆様のお心遣いとお支えによりまして、不馴れな私を、この間励ましお助け下さいましたことを有難く存じます。教区会とは、もちろん初めてではございませんから、どういう性格と目的の会議であるか分っているつもりでございますが、議長の席には全く経験の無い者ですから、何とぞお手柔らかにお願い申し上げます。
 さて、東京教区とその諸教会の現状につきましては、毎主日の巡回や、教区の諸会合ならびに同僚諸聖職との会話をとおして、極力学びまた把握しようと努めて参りましたが、過去何年間か、実際教区の動きから離れていたせいもあり、その理解については未だ決して充分とは言えません。自信をもって、こういう状況であるから、こういう方向がこれから必要であろうと語れる状況ではないと思いますが、折角の大切な教区の意思決定機関の集りの機会ですから、誠に不充分ながら、私の現況理解とそれに基く、少なくとも向う何年かにかけて果たすことができれば、という期待を申し述べたいと思います。それが教区の真に進むべき道であるのかどうか、それが果たして実現可能であるのか、それが教会・教区とそこに連なる皆さんの成長に本当に資するものであるのかどうか―それは今後、あらゆる機会にご検討いただき、お知恵を拝借しつつご一緒に実効あるプランへと練り上げてゆければ、と希望しております。
教区・教会の現況理解に、いささか助けになるのではないかという観点から、特に前教区主教竹田主教とともに歩んだ教区の姿を振り返ってみたいと思います。お断り致しますが、この試みは、必ずしも統計や面接や調査に基く「科学的」な振り返りではなく、あくまでも私の主観に基く印象の域を出ないかも知れません。願っておりますことは、印象・感想であるから大して意味はないであろうということではなくて、そこには私の見方、私の価値観が否応なく表わされることになりますので、どうか、それを皆さんのこれからのご批判なりご提言の参照点としていただければ、ということです。

 竹田主教のリーダーシップのもとに成し遂げられた、教区・教会の生命と使命にとって、特筆すべき第一のことは、何と言っても、東京教区が日本聖公会における女性司祭の誕生の原動力となったことでしょう。それには、東京教区が姉妹関係を結んでいたメリーランド教区からの励ましが色々な形であったことを憶えます。姉妹関係が単なる友好・親善に止まらず、教会の生命と使命に関わる事柄で関心と経験を分ち合えることのできた素晴らしい一例だと思います。そしてそれは一朝一夕にして成し遂げられたことではなく、相互の訪問団の交換や、教会対教会のパートナーシップの提携などの積み重ねがあったからこそだと思われます。その後、教区には、さらに4名の女性聖職候補生が与えられることになりました。これもまた大きな喜びです。おひとりおひとりの召命を念じつつ、他の聖職候補生並びにその意志を表明しておられる方々とともに、いつか教区の聖職チームに加えられてゆく日を待ち望みたいと思います。
 同時に、司祭職に男女の区別を行なわないという教会全体の公式の在り方に、必ずしも同意されない聖職・信徒が居られることを知っております。その方々の心情と理論に理解を払いつつも、そのご見解の個人的表明が、教区・教会の信仰の一致を妨げることにならない広さを失わないものであることを求めたいと思います。
 第二に、過去十年ほどの教区の歩みの中で、教会の働きの前進の象徴的なステップは、教区に宣教主事が任命されたことでしょう。言うまでもなく、教区の宣教・牧会の最終的な責任は主教職にあるというのが聖公会の理解です。そして聖職は主教の代務者として各教会に派遣されてゆきます。けれども、宣教・牧会を教会単位で考えるのではなく、教区をひとつの単位として考えるとき、ただ教区内の聖職団に全てを託するのではなく、主事を任命して、教区が全体として果たさなければならない業を行ってゆく、というのは近代的な組織の在り方なのでしょう。それは、教区に財務主事が居り教務主事が居るということと同じ考え方で、宣教・牧会、ことに宣教の分野でそのような役割の人が必要であると教区が判断したことは、大きな前進だと言えるでしょう。しかも、竹田主教の英断で、その任に信徒が起用されたということも画期的であり、任用された方がその責任を充分果たしてきて下さったことも、将来にわたって信徒の賜物を重用することの大切さを教えてくれたと思われます。
第三に、一九九五年の阪神淡路大震災に際して、阪神地域の聖公会の諸教会の多大な被害の報に接して、ただちに救援・復興募金がスタートしました。その時の東京教区の反応は目ざましいものでした。手持ちの資金をすぐさま拠出して、悠然としがちな募金のプロセスを後回しにしました。当時私は教区に在住しておりませんでしたが、その行動の素早さに感心致しました。(しかも、各教会はその募金目標をほぼ達成しました。)復興・再建に着手しなければならない被災した教会にとっては、いつ与えられるか分らない助けを期待するのではなくて、すでにある程度の資金が届いているということは、極めて心強いことであったに違いありません。
以上の教区の決断は、多くの方々の心の関心ごとである事柄に、神の導きの徴を察知し、それに機を逃さず教区が応答できたという喜ばしい姿であったと思います。
過去一〇年余りの教区の姿を省みるとき、まだまだ多くの前進と成長の跡をたどることができるでしょう。たとえば、『教区時報』が多くの方々のご尽力で、週刊でキチンキチンと届けられていること、「教会グループ」が様々な形で教区の life(適当な訳語が思い当りません)を共有して下さっていること、「いと小さき者とともに歩む」という教区の姿勢のもとに、数多くのプロジェクトが生まれ、そしてそのプロジェクトがひとまず終了しても、その関心と活動が形を変えて持続されたこと、等々です。これらは、教会が現代の社会と世界の中で、神がお呼びになっている場に馳せ参じようという努力の表れだと思われます。

 これらの前進と成長を評価できることは、大きな恵みであり、私達にとっての励みでもあります。しかしながら、私たちは、教区・教会の数多くの「足らざる所」にも気付いています。新たな分野で新たな体験をし、新しい教会の姿を発見するのは喜ばしいことです。同時に、二〇〇〇年にわたる教会の歴史の中で蓄えてきた教会の体験の延長上にも―つまり、教会の姿の極めて伝統的な分野にも―本当は、新たな体験と新たな姿を見出すべきでしょう。私たちは、案外、そのような分野に「足らざる所」があることに気付いているようです。私たちの獲得した新しい分野での新しい体験をないがしろにせずに、なお「足らざる所」に、教区・教会の関心と活動を意図的に向けてゆくことが必要な時に来ていると思われてなりません。その「伝統的な分野」とは、たとえば礼拝音楽です。今、新しい聖歌集が出版されようとしていますし、そのための講習会なども各地で開催されています。これなど、「伝統的な分野」での新たな体験への取り組みの良い例です。
 同じように私たちが意を用いなければならないのは、信徒(そして聖職の)訓練の分野です。通常、教会では洗礼・堅信の準備を経てめでたくそのサクラメントにあずかることになった方々には、その後、信徒の訓練の場が(組織的・系統的には)備えられておりません。もちろん、教会の聖書研究会などに出席することが期待されているかも知れませんし、説教を良く聴いて自らの信仰の糧とすべきことが期待されているかも知れません。ただし、それはあくまで「期待」であって、今日の教会とキリスト者が世の中にあってあらゆる問題に日々直面してゆくときの、信仰の指針が系統的に与えられていないのは確かです。私自身、四〇年前の神学校時代の新約学の参考書が如何に今の時代と隔たってしまったことかと痛感するこの頃です。恐らく、信仰者には―時代や世界と隔絶して生きることを良しとするのでないなら―、常に自分を私たちの生きる時代と世界に対応させることが必要でしょうし、それが人々に私たちの行き方をとおして伝道する基本的在り方だと思われます。ちょうどクルマの車検制度が、常にメカニズムを整備しておくことを義務付けているように(ただし、信仰者というクルマは、新車より中古車ほど価値があるし、ポンコツはありません)、何年に一度かの信仰的リフレッシュは必要でしょう。そのリフレッシュは、○○研修会でも良いし、修道院の黙想会でも良いし、テゼの祈りの会でも良いし、けれども、なるべく多くの信徒を含めた組織的・系統的に行なわれることが必要なのではないでしょうか。この分野で、教区として考えられるプログラムは、教会委員である方々の研修、信徒奉事者の研修でしょうが、それが、その方々に、教区会に出席するのと同じくらい大切だと考えられることが必要でしょう。
もうひとつの教会の伝統的体験の分野は、聖職を先頭にしての宣教・伝道の分野でしょう。これについて論じ始めますと、キリがないと思われますので、ひとつだけ提案させていただきます。それは家庭集会の復興です。私たちは、伝道といっても、ある教派の人々が行なっているように(その熱意は買いますが)街頭で演説したり、戸別訪問をしたりすることが有効だとは考えておりません。私たちの信仰は、人づて、そして交わりをとおしてしか伝わらない性格のものだと理解しています。そして聖餐式によって送り出され、聖餐式に戻ってくる信仰の形態を伝えたいと思っています。それには、家庭集会の交わりを拡大することこそ最適だと思われてなりません。幸い、戦後の一時期より、私たちの住宅事情は格段に良くなりました。前述の教会委員さんや信徒奉事者の研修と連動して―その方々に限りませんが―、そういう方々の教会の業の分担として、聖職ともども家庭集会の復興に力を貸していただきたいと思います。
第三の教会の伝統的分野での新しい挑戦を行なわなければならない分野は、子供、そしてその延長上の青少年への働きかけです。恐らく、昔ながらの日曜学校、昔ながらの「青年会」「高校生会」を夢見ることは、まさに夢でしょう。年令の低い子供達にはまさに親ぐるみで巻き込む方法を考え出さなければならないでしょう。私自身も、この伝統的分野の方策を持ち合わせてはいません。けれども何もしないで良い、ということにはならないと考えています。

 以上自らに課した宿題とも言うべき分野ですが、私は、これらの分野こそ、宣教委員会で扱い、また知恵を集めていただかなければならない分野だと思います。ただし、伝統的な関心分野であっても、新しい発想と創造的な取り組みを試みなければならないでしょう。この伝統的な分野での新しい挑戦については、聖書の次のような物語を想い起こします。
 ガリラヤ湖の漁師たち(シモン・ペトロ、ゼベダイの子ヤコブ、ヨハネ)と対面したイエスは、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と助言します。しかし、プロの漁師たちは、この素人のイエスの助言を初め聞こうとはしません。「私たちは、このあたりの湖は良く知っています。一晩中やったのですがダメだったんですから、まずダメでしょう」、よく知っている分野だから、今さらやってみてもダメでしょう、という気分は、私たちの気分と良く似ています。「伝統的関心分野は、もうダメでしょう」と。けれども、そこでイエスの指示に従ってもう一度チャレンジすることによって新しい次元が広がります。ひょっとしたら、彼らはどうせもう一度やるならと、ちょっとは前とは違ったやり方、ちょっと違った場所を試したかも知れません。いずれにしても、もう散々やった、という分野での新しい試みはしてみる価値があると思われてなりません。

 大分長くなりました。教区・教会の現況について、私の理解していることはまだまだ沢山あります。皆さんも、「足らざる所」は、こんなもんではない、まだまだ沢山ある、とお思いでしょう。
今回は、私にとって、それを発表する最初の機会となりますので、ひとまず、この辺で大風呂敷を拡げる前に、私の心にあります一端をご理解いただくことを第一にして、教区会における問題提起の第一幕とさせていただきます。次回はさらにこの問題提起の想を練って、皆さまのご批判に耐え、且つ、実際の企画が可能な素材としての用をなす形に整えたいと思います。

 なお教区の来年早々の運営の上で、考慮すべき大きな条件となる要素を付言して、皆様のご理解をあらかじめ得ておきたいと思います。
 第一は、東京教区は、日本聖公会全体の中核的役割を益々負ってゆかなければならない宿命を背負っています。現在でも四人の聖職を、神戸、大阪、名古屋に派遣しておりますし、日本聖公会の諸機関・諸学校でも、さらなる人材の派遣を要請してきております。そして、私は、これら諸機関・諸学校の働きは、聖公会全体の宣教の業として、決して「付け足し」として軽視されてはならないと信じています。「宿命」と申しますのは、東京・大阪などの大都市圏を抱える教区以外から、関連機関へ聖職を派遣することは、量的にも質的にも極めて困難であるからです。
 第二は、上記のことから、東京教区に備えられている当面の聖職数の中で、各教会への牧師派遣を融通しなければならない状況が、この一、二年でただちに好転するとは思えません。一教会一牧師(そして、本当は、大きな教会は一人以上の聖職が必要であるのに)という体制は崩れざるを得ないでしょう。今、与えられている聖職候補生が、聖職へと召されてゆくには、まだ三、四年必要でしょう。