「クリスマス文化」を越えて

主教 植田仁太郎

 クリスマスというものが世の中で受け容れられて、友人同士や家庭での楽しみの機会となっていることは、大変うれしいことです。私たちの知っている、クリスマスにまつわるすべての事柄を、私は「クリスマス文化」と呼んでいます。あらゆるクリスマスの飾りも、ケーキもプレゼントも、カードもクリスマス・キャロルも――これらすべては、イエス・キリストの誕生をお祝いする習慣の中で、世界各地で、人々が生み出してきた「文化」です。サンタクロースという、クリスマス・キャラクターも生み出しました。これも文化の一部です。
 この文化が表現しようとしていることは、言うまでもなく、喜び、平和、思いやり、尊さ、などで、人間なら誰もそのことの大切さに異を唱えないでしょう。だからこそ、社会のあらゆるレベルで祝われるのでしょう。
 教会は、そのことを一方で歓迎しつつ、他方では、いつもその「文化」を越えて、クリスマスの真実を呈示しようと苦労しています。その真実のひとつは、喜び・平和・思いやり・尊さは、イエス・キリストの苦しみと自己犠牲の結果としてもたらされる、ということでしょう。
 クリスマスを一緒に祝いましょうと、招かれている私たちは、同時に、いつも、他の人のために苦労できる人になりましょう、という風にも、呼びかけられています。

8月15日に為すべきこと

主教 植田仁太郎

 「過去に目を閉ざす者は、結局のところ、現在にも目を閉ざすことにもなります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」(R・フォン・ヴァイツゼッカー)
 これは、1984年から94年までドイツの大統領を務めたヴァイツゼッカーが、ドイツの敗戦40周年を記念して、連邦議会で行った演説の一部です(1985年)。ドイツの戦争加害者としての反省とこれからの在り方を示す、深くまた見識のある演説として、各国語に訳され、ドイツ国内では何度も印刷・配布された有名なものです。そして、述べられていることは、敗戦60年目の今日も、この日本においても依然として真実を衝いています。多くの日本人にとっては、戦争の被害者(空襲の犠牲者、兵士の遺族、戦後の飢餓)の体験が鮮烈ですが、その反対側で、日本人以外に対しては、私たちは明らかに加害者であることを、どうしても認めなければならないでしょう。
 私たちの体験した戦争の不条理とともに、加害者として行ってしまった非人間的行為(戦闘行為ばかりでなく、植民地化、強制連行、従軍慰安婦の強制など)を「心に刻ま」なければなりません。個人としての「私」の行為ではないですが、国家の名において為されたその国家に連なるものとして、その行為を心に刻んでおくことが大切でしょう。
 教会の教える「悔改め」の第一歩は、為してしまったことを、「心に刻む」ことです。

聖霊降臨日

主教 植田仁太郎

 私たちの信じている神さまは、三つの様態をとられると言います。イエス・キリストという歴史上に出現してくださった神(子なる神)。その子をお送り下さった普遍的な神(父なる神)。いくら神が居られることが確かであっても、その神が私たちの人生と歴史と毎日に働きかけてくださらなければ意味がありません。その人生と歴史と個々人の在り様に働きかけて下さる力としての神―それを聖霊なる神と呼びます。神の望み給うことに、私たちが参与できるのは、この聖霊の力をいただいて初めてできることです。
 新約聖書の中の文書のひとつ、ルカ福音書と使徒言行録の著者であるルカは、「父と子と聖霊」を「順序立てて」説明しようとしました。つまり、時系列の中で説明しようとしました。イエスの生涯と受難―十字架上の死―復活―昇天―聖霊が下される、という順序です。
 その順序に依れば、ある日突然に、復活のイエスを信じた人々に、特別な力が与えられ、その日以来、教会という人々の群れが誕生したと伝えています。(使徒言行録二章)
 その出来事を憶え、私たちにも、日々聖霊の力が与えられるよう祈り求める日が「聖霊降臨日」です。それはちょうどユダヤ教暦の五旬節(過越祭から五十日目の日)であったという記述から、そのギリシャ語名をとって「ペンテコステ」とも呼ばれています。キリスト教暦に置き換えると、イエスの十字架の死から五十日目ということになります。

主イエス復活の日<イースター>

主教 植田仁太郎

 3月27日に復活日を迎えます。〔古来からの満月に連動した日の決め方なので、この復活を記念する日は、毎年変わります。〕
 言うまでもなく、教会にとって一番大切なお祭りの日です。「お祭り」というのは、大切な礼拝をする時という意味です。教会に、そして私たちに受け継がれた、「イエスは死から復活した」という信仰の根拠を憶える日です。この信仰が無かったら、教会も無かっただろうし、キリスト教という宗教そのものも無かったでしょう。また、イエスの復活の日を毎週覚える日として始まった、「日曜日」も無かったかも知れません。イエスの誕生日とされるクリスマスほどに一般には祝われることはないでしょうが、現代の社会の成り立ちに深く関わっている日であることは間違いありません。
 「死からの復活」-などということがあるわけない、というのが私たちの普遍的な体験です。人間は全て死すべき存在だからです。それは、今も、二千年前にもわかり切ったことでした。
 しかし「イエス・キリストに限って」そうではなかったという証言が続々と出現しました。またその証言に命をかける人々も、続々と出現しました。どちらも、そんなことをしても何の得になるというわけでもないのに、です。証言に耳を傾けた人は、神と人間と世界、そして人生のことが段々はっきりと見えてくることを発見しました。そこに私たちも人生を賭ける価値があると思うのです。

エルサレム教区 リア主教 クリスマスメッセージ

リア・アブ・エル・アサール主教 
(エルサレム教区主教)

Dear Sisters and Brothers in Christ,

Salaam / Peace and grace from Bethlehem, the little town in the Land of the Holy One.

Stars do not only penetrate the dark skies; they also give sight and shine bright in the darkest moments of any long and scary night. Light brings life. In the words of St. John: "In Jesus was life and the life was the light of men. The light shines in the darkness and the darkness has not overcome it." John 1:4-5. The circle of life must continue to defeat and indeed overcome all darkness and with a shining armor, it must continue to rift and crack all wombs and tombs and make birth the event of events and the miracle of all miracles.

Towards the end of the year 2004, the heart of Palestine quaked with the passing away of President Yasser Arafat. Calendars all around the globe marked November 11th 2004 with the black ribbon of sorrow and mourning. Nevertheless, a nation of faith is a nation of convictions: It will shake off the rains of sadness from upon its shoulders and its paralyzed hopes and trembling decisions will once again fly, with the sacred wings of freedom, northward to its right- righteous destination.
Whether it is in Palestine or in Iraq our mission as one family in Christ must ultimately and urgently transcend into ethical duty and moral obligation. It is time that we realize and help others realize the pain and suffering of our fellow brothers and sisters in humanity. The frozen, careless, indifferent waxed hearts must melt down and learn the art of arts that of meeting the other fellow halfway. The moment to give a hand is now. With the divine mutual cooperation we can wrestle, up-rise, and breakup the iron chains of human occupation: release, liberate and set free the captive souls, deprived refugees, and shivering scared homeless escapees.
It is Christmas again. It is high time to join hands and unchain our dear Bethlehem, to cross over and above every barrier, and to welcome the millions of pilgrims from around the globe to come and shout with joy "Glory to God in the Highest Heaven, And on Earth Peace among Those Whom He Favors."
Our prayer this Christmas is that the star of the East may enlighten all in power and wake them up, refreshed anew with humanity, to fulfill the greatest of goals - namely life and life with dignity and freedom for all.

Wishing you a blessed Christmas and may 2005 be the year of the Turning Point for peacewith justice, for healing and reconciliation.

 

In Christ,
+ Riah Abu El-Assal


キリストにある兄弟姉妹の皆さま

サラーム - 聖なる地の小さき町ベツレヘムから平和と神の恵みを

星たちは暗い空を照らすだけでなく、どんな長く怖い夜の真っ暗闇の時にも見えるようにし明るく照らし出します。光は命をもたらします。聖ヨハネの言葉:「言葉の内に命があった。命は人 間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった
(ヨハネによる福音書1:4,5)命の輪は光り輝く鎧を持って全ての暗闇を打ち負かし、打ち勝ち続けるにちがいありません。そしてそれは、すべての胎内とすべての墓場に割れ目とひびを入れ続け、全ての出来事の中の出来事、そしてあらゆる奇跡の中の奇跡を生み続けるでしょう。
2004年の終わりに、パレスチナの人々の心はアラファト議長の死に震え上がってしまいました。世界中の暦は、2004年11月11日に悲しみと哀悼を表す黒いリボンを記しました。にもかかわらず信仰の国は信念の国です:悲しみの雨をその肩から振り払い、麻痺した希望とゆれ動く決意は、自由の聖なる翼をもって、全き正義へと再び飛び立つでしょう。
パレスチナであろうとイラクであろうと、キリストにある家族として我々の使命は、速やかに倫理的な義務と道義的責任へと向かうものでなければなりません。私たちは、仲間である兄弟姉妹の痛みと苦しみを、慈愛をもって理解し、他の人々の理解を助ける時です。凍てつき、無頓着、無関心で固まった心は溶かさなければならないし、――他者と歩み寄るという技そのものを学ばねばなりません。今こそ手を差し伸べる時です。神から授かった相互協力をもってすれば、私たちは立ち向かって立ち上がり、人間の占領という鉄の鎖を砕くことができ、囚われた魂、難民、家を奪われ震え脅えあがる人たちを解放し、自由にすることができることでしょう。
またクリスマスとなりました。今こそ手を取り合って愛しのベツレヘムを解放し、全ての垣根を乗り越えて、世界中からの何億という巡礼者、旅人を歓迎し共に喜び叫ぶ時です。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなう人にあれ。」 (ルカ伝 2:14)
今年のクリスマスの私たちの祈り:東方の星が権力の座にあるもの全てを教え導き、目覚めさせ、慈悲によって新しく生まれさせ、最大の目標――すなわち、全ての人に命と尊厳と自由のある生活を得させてください。

どうぞ、よいクリスマスを。そして2005年正義ある平和癒し、そして和解のためのターニングポイントの年となりますように。

 

キリストにあって
リア・アブ・エル・アサール

 

[二〇〇四年十二月二十一日]

リア主教 2004年教区フェスティバル説教

リア・アブ・エルアザル主教 
(エルサレム・中東聖公会主教)

和 解

 これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちをご自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。
(IIコリント5章18節)

 教会の中にあり、なおかつ、教会の外に対するもっとも素晴らしい賜物のひとつに、クリスチャン同志の交わりがあります。それは、共に歩むという行為であり、手をつなぎ、声を一つにしてゆく、という行為であり、また、お互いに持っているものを分かち合うという行為でもあります。誰にとっても同じことですが、その交わりに入れないで、孤立したり、無視されたり、あるいは脇に押しやられるといったことがおきる時、それは見殺しにされるのと同じような苦痛となります。
 アラブのパレスチナ人キリスト者としての長い間の私たちの歴史においては、それはほとんど二千年に及びますが、私たちは皆さんの友情と祈りによるサポートとキリストにおける兄弟としての愛と配慮を熱望しています。皆さんに、私たちのところを訪ねて来ていただきたいと思っていますし、私たちは、皆さんが今までにしてくださったサポートを感謝しています。私たちは、皆さんがが祝福されるよう、そして皆さんの存在そのものが祝福であるようにと祈っています。
 有名なロシアの作家、トルストイは、ある日物乞いの男が自分の方に近づいてくるのに気がつきました。その頃の多くの作家がそうであったように、彼は自分のポケットを探ったけれども、そこには何もありません。その男の方にふりむいて、トルストイは言いました。「わるいな、兄弟。もし何かあなたの助けになるものを持っていたなら、あげられるのに」。すると、その男はにっこりと笑ってトルストイに向ってこう言ったのです。「いえいえ。あなたは、私の考えていたものよりよっぽど素晴らしいものを呉れましたよ。あなたは今、私を『兄弟』と呼びました」。

 あなたは、わたしたちをあなたの兄弟姉妹として受け入れますか?

 今日の説教の題は、「和解」です。今や白日の太陽の下、「平和」や「シャローム」という言葉を使いながら、実際にそう行われているのは、イスラエル中探しても、どこにもありません。私たちは、「シャローム」と言ってお互いに挨拶します。シャロームという名前を貰った子どもがいます。また、テル・アビブの高層アパートにシャロームという名前がつくことがあります。しかし、実際には本当の意味のシャロームはほとんどありません。この言葉は、すっかり面目を失ってしまい、間違って使われ、また、悪用さえされています。まさに神が詩篇の中で語っておられる通りです。「平和をこそ、わたしは語るのに 彼らはただ、戦いを語る」(詩編一二〇篇七節)。
 一九九六年のクリスマスパーティーの席上で、イスラエルのネタニャフ首相は「私は平和を成し遂げて、世界中の皮肉屋をがっかりさせてみせる」と豪語しました。私は、その言葉に応えて、ナザレのイエスが何と言ったか彼に思い起こしてしてほしいと願い、「平和を実現する人々は、幸いである」と言いました。おー、神よ!あなたが「平和を語る人々は幸いである」と仰らなかったことに感謝します! 「平和を実現する人々は神の子どもたちと呼ばれます」と仰っておられます。平和を実現して行きましょう! ただ単に、「平和について」語るのは、もうやめましょう。もし皆さんが、神さまの子どもとして受け入れられたいのなら、平和について説教だけするのもやめましょう。

 和解とは何なのか?

 和解とは行動であって、説教ではありません。私たちが行うべき努めであって、お題目ではありません。和解は、産み出され、そして実体となっていくべき良い知らせなのです。
 冒頭、私たちは、「神は、キリストによって世をご自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉を私たちに委ねられたのです」とコリントの信徒への手紙を読みました。
 「新しい年、新しいいのち」(二○○二年1月号エピスコパル・ライフ=アメリカ聖公会新聞=訳者注)という題の総裁主教フランク・グリスワルト師による年頭の挨拶で、彼は、「ところで、いったいどのようなミニストリー(奉仕職)に、私たちは招かれているのだろうか?・・それは、どんなところにあったとしても、不信と憎しみの大きな壁を叩き壊すことではないだろうか。ことにそれが、文化や民族、また国籍や宗教の違いによって引き起こされたもの、経済格差の開きによって作り上げられたものであった場合、ことにそれは、私たちの仕事なのではないだろうか。和解するとは、正しい関係を築くことであり、私たちの関係を仕切り直すことなのではないだろうか」と書いています。

  (中略)

 では、どこで、どのようにして、そしていつ?

 私の親しい友人が、その地方のお役所から「平和賞」を受けることになった時、彼が私に書いて寄越した文章の中に、「対立していることを無視して、平和や和解の道を探すことは、私には全く理解できないことである」というくだりがありました。
私たちは、対立のあるところに平和を実現することはできるのです。私たちは、対立と憎しみの渦巻くその場に身を置いた時に、はじめて他の人々と和解できるのです。常識のある人なら誰もわかるように、お互いにいがみ合っている仲間をそのまま放っておいて、友だちの中に平和を実現することはできません。愛し合っているもの同士には、彼らを和解させるための私たちの助けというものは必要ありません。しかも、何かに関わるということは、テレビのリモコンを操作するように、離れたところからコントロールするというわけにはいきません。誰でもそこに実際に行けば、ピクニックに行くような気楽な心構えで取り組めないことは、おのずと知ることになります。
 私たちが住んでいる中東地域であれ、私が想像するに、皆さんが住んでいる場所であれ、対立のない場所などどこにもないでしょう。もちろん状況はいろいろでしょう。でも、家庭の中の対立は政治的対立に比べてたいしたことじゃない、とは言えません。何が不充分なのか、という問いに応えるならば、本気になることと、関わりの中での忍耐力が足りないことだと私は答えます。

 和解は、平和の果実である

 正真正銘の平和は、単に戦闘状態でないことでも、憎み合うのを一時中断することでもありません。また、征服や抑圧によって静まり返っている状態をさす言葉でもありません。
 正真正銘の平和は、正義が存在し機能することです。それは、戦争を引き起こす全ての要因がもはや存在しなくなり、癒しがみんなを和解へと導く、そんな関係に入ることです。平和と和解が本物になり持続するためには、正義が行われなければなりません。不正によって傷つけられてきた人々の、尊厳をはじめとしたもろもろの人権が取り戻されなければなりません。
 「平和の地」は、中東では和解の出発点でした。イスラエル人が、彼らの所有物でないものを引き渡してくれる時と場所には平和が存在し得るのです。つまり、国連の合意のもとにある占領下の地では、調和が存在し得るのです。「占領」、それは、私の見解では全ての痛みと受難、また、私たちの国における安全管理の不足の根源的な原因となっているものであります。皆さんの国が占領下に置かれていたり、めちゃめちゃに壊された家や人間の体の部分が散らばっている中で、あなたは平和と安全を楽しむことはできないでしょう。私たちを分離してしまう中垣は、和解への道を強固にすることは決してありませんが、私たちをつなぐ掛け橋だけが、それを可能にします。防衛は、前提条件ではありません。それは結果です。もっとも安全な境界線(国境)を完備することとは、壁を築くことではなく、和解した隣り人がそこにいることです。安全のために隔ての中垣を作るのではなく、掛け橋を作ること、それが私たちクリスチャンの務めなのです。

 和解は、私たちを悪魔に対する戦いへと誘います、いかにして?

 ある時、偉大なるインドのマハトマ・ガンジーはこう言いました。「この世における悪の力や不正と戦うことを拒むのは、私たちの人間性に降伏してしまうことだ。悪の実行者によって武力を帯びて、悪の力と戦うことは、あなたの人間性に従事することだ。神の武器を帯びて、悪の力や不正、抑圧と戦うことは、神の業に従事することだ」と。私たちも、神の武器によって戦いましょう!
 和解は、勇気を必要とし、単に許すだけでなく、忘れることも要求するものです。

 最後に、それは誰の役割ですか?

 平和を実現することは、世界の政治家たちだけの業務ではありません。自分たちの考える政治的経済的な興味や利益を、保障したり守ったりするための、新たな秩序を設置したい人の役割でもありません。その役割は、私たちのものです。神の子どもになるということを信じている皆さんと私たちの仕事です。聖パウロの言葉がそれを語っています。「神は、キリストによって世をご自分と和解させ…(和解の言葉を)私たちに委ねられた」のです。誰か他の人に、ではないのです。

 その仕事は、全面的なかかわりが必要でしかも非常に犠牲も大きい

 養鶏場の鶏と養豚場のブタが、ある時一緒に逃げ出して、大きな街の中心地にやって来ました。鶏は、「美味しい卵とベーコンをお安く提供します」というスーパーのチラシを見て、ブタに言いました。「これ見てよ。私たちは、この人間どもを食べさせるのに本当に貢献してるのに、ちっとも感謝されないじゃないか!」
 すると、ブタは言いました。「いやあ、そう言うのは簡単だけどね。もっともあなたがたは寄贈していればいいだろうが、ぼくらの場合は、全面的な献身だからね」。
 私たちは、全面的な献身をする用意ができていますか?元カンタベリー大主教、ケイリー師の好んで用いた祈りを、一緒に祈りましょう。

 主イエス・キリストよ、木材と釘をもって細工された十字架を通じて、人類に救いをもたらしたナザレの大工職人よ、あなたのこの仕事場で、あなたの道具で充分に細工してください。そうすれば、あなたのもとにある私たちも、粗いけれど少しは仕事をすることができるでしょう。あなたのみ心のままにものを作り上げることができますように。あなたの優しい憐れみによって、アーメン。

 

 

[二〇〇四年九月二〇日]

第98(定期)教区会開会演説

主教 植田仁太郎

 今日は、折角のお休みのところ,教区会にお集まり下さいまして感謝申し上げます。

 春の定期教区会は、教区会が年二回行われることが慣例となりました時から、主として前年の教区の活動報告ならびに前年の決算報告を致す機会となっております。もちろん、教区の最高議決機関として、その時機に決議していただかなければならない案件も、その都度提出していただくことになります。それと、もうひとつ大事なことは、教区の常置委員を選挙していただくことです。

 何年か前に常置委員選挙方法に関するガイドラインを採択し、昨秋の教区会で、そのガイドラインを改正致しました。このガイドラインは、日本聖公会法憲法規が規定する範囲内で、東京教区独自で定めたものです。その目的は、事前に候補者を立てることができるようにしよう、というものです。ただし、法憲法規に抵触しないよう、候補者として認められた方以外も被選挙権を有する者であることを当然認めております。そしてそのガイドラインは、教区会開催の公示があった後に、代議員から候補者を推薦したいという要請があり、議長がそれを妥当と認めて、初めて発動されることになります。今回は、どなたからもそのような要請がございませんでしたので、この選挙方法ガイドラインは適用されず、旧来の方法、すなわち、全く特定の候補者を立てず教区内の全ての成人の現在受聖餐者が被選挙権を有する者として選挙を行うことになる、ということをまずご報告致します。

 この機会に、常置委員会の実際的な役割について、ひとこと述べさせていただきます。

 法憲法規に言及されております、常置委員会に託されております役割の全てをここに拾い出すつもりはございませんが、「主教制」という教会制度を持っております聖公会にとって、常置委員会は極めて重要な役を負っていただくことになることだけはお憶えいただきたいと思います。いわば、主教が最終決定しなければならない事柄全てに、意見具申する責任を負っていただきます。主教は、極めて多岐に渡る事柄、特に財政・人事に関して、多くを常置委員会の助言に頼ることになります。常置委員会の会合は、原則的に月に一回開催されますが、その会合が深夜にまで及ぶこともしばしばで、臨時の委員会を開催しなければならないこともございます。信徒常置委員の方々は通常のお仕事を持ち、聖職常置委員の方々も牧会する教会の責任の上に、この重要な役を負って下さっており、私は、日頃から、常置委員の皆さまの献身的なお働きに心から感謝致しております。代議員の皆さまの、常置委員諸兄姉へのご支援をお願いする次第です。

 さて、この常置委員諸兄姉のお知恵をいただきながら、二〇〇四年4月以降の教区の教役者(司祭・執事・伝道師・教育課程を終えた聖職候補生)の配置を、最近ようやく終えることができました。一部教会で、小職の認識不足が原因で、多少混乱を生じることとなりましたことをお詫び申し上げます。

 この教役者の人事配置は、聖公会の伝統の中では、主教職を分ち持つ教区の聖職団を、教会全体の宣教・牧会・伝道のわざにどのように用いることが、イエス・キリストの身体としての教会を体現することになるか、という基本から出発することになります。その基本の中には、言うまでもなく、信徒もできる限りそのわざに参画していただくことを奨励することも含まれます。世の中の組織の人事異動のように、教役者の適材適所という観点も全く無いわけではありませんが、ローマ・カトリック教会で近年強調されております信徒使徒(主教)職をどのように発揮していただくか、という視点を充分に取り入れるということでもあります。信徒は、聖職団の司牧の対象――製品販売会社の顧客、サービス会社の顧客、カスタマ――であるよりは、協働者であるとういう考え方を、教役者も信徒も持つように期待されているということです。それは、教会が、より大きな社会の中に存在しており、教会が全体として、社会の司牧に当るという考え方を持とうではないか、という呼びかけであると思います。

 そのような基本理念に基づいて、教区(すなわち教会全体)の力の配分の調整を行うということが、主教の責任において教役者の人事異動を行うことに表われてくるという次第です。4月というのも、別に絶対的な異動期ではなく、教役者のお子さんの学校とか、教役者の生活のサイクルに合わせたもので、必要と判断されればその他の時機にも異動をお願いすることになります。また、官庁や公立機関の人事異動のように、個人に関して定期的に命じられるわけでも、一種の人事評価に基くものでもありません。

 近年、この東京教区の聖職団の働き方と、信徒使徒職を最大限に発揮していただくことが形の上で表すことになる教役者の人事異動で、心がけていることがいくつかございます。

(1) 信徒の皆さんを同労者と位置づけるにしても、その中心を担っていただくのは、教役者です。ただし、教役者の数は限られますので、その力を大教会・小教会の別無く分ち合っていただく。

(2) 同労者である皆さんには、教役者のサービスの受け手(カスタマー)としてよりも、教役者を育て、励ます役割を一層負っていただきたい。

(3) 教会の宣教・牧会・伝道のわざのために備えられている賜物(教役者・信徒という人材、教会関係の施設・グループ、その他の資源)に、日本聖公会の中では比較的恵まれている東京教区は、聖公会全体のためにその賜物をできる限り分かち合いたい。

(4) 定年退職をされた聖職の方々のお力を、そのご意志を尊重しつつ、拝借したい。

 これらの点は、現実に教役者の異動が無い教会の方々にも、ご理解願いたいことです。以上のことを念頭におきつつも、実態としては、聖職の人数が限られている現状では、多くの教役者に管理牧師の任務を兼務していただいたり、信徒の方々に多くの働きをお願いする結果になっていることは、良く認識しております。また、教会の働きは、あらゆる点で人間関係を基礎としていることは事実であり、人事異動の結果、多かれ少なかれ、新たに赴任する教役者との間で、その人間関係(交わりの共同体)を築き直していただく努力をお願いしなければなりません。

 それにつけても、教区にさらに多くの教役者が与えられることを祈らざるを得ません。現在東京教区には、十二人の聖職候補生と聖職候補生志願者が与えられております。この方々が、神様と教会の期待する働き人として成長されてゆくことを願うものですが、この方々が向う数年のうちに、次々と候補生としての教育課程を終えられるという時期を迎えますと、いくつかの実際的な課題も教会全体として考えてゆかなければなりません。通常、それぞれの候補生に課せられます教育の期間を終えますと、実際の宣教・牧会の現場に派遣されてさらに研さんを積まれて、執事、司祭に按手されることになります。この期間は、指導する司祭のもとで、ある働きを担いつつ、研鑽されるということになりますが、指導司祭と候補生もしくは執事が、チームとして働いていただく環境(住宅)を備えて下さっている教会は、そう多くはありません。その課題に積極的に応えてゆく方向としては、たとえば、二人のチームで、一つ以上の教会の宣教・牧会を担うとか、二人のチームのために、少しでも財政的余裕のある教会は二つの住居を備えていただくとかの方途を、余り遠くない将来に展望していただく必要があるでしょう。現在の候補生や志願者の多くが、ご家族持ちの方々であることを思えば、なおさらのことのように思います。今から、皆さんのお心に留めていただければ幸いです。

 このような教役者配置の現況と近い将来を考えます時、これを支援する教区の体制ということも考えなければなりません。ひとつは信徒使徒職の強調につながる、自立的信徒の養成で、これは、徐々に信仰と生活委員会や正義と平和協議会、その他の教区諸委員会の活動をとおして、その焦点が定められつつあります。また、教会グループの自主的な活動の中でも、そのような方向性が見られることを、大変嬉しく思っております。

 昨年の11月の教区会開催以降、教区の教役者の配置について小職の関心の多くを割きましたので、以上のような展望を申し上げることとなりました。

 最後に、正義と平和協議会の発意で実施致しました、中東聖公会エルサレム教区への訪問は、随行して下さった方々共々、パレスチナの人々の強い正義と平和への願いをひしひしと感じさせてくれるものでした。イスラエル国家との間で起きている紛争の結果、同教区への訪問者も激減している中で、その紛争の本質を理解してくれる仲間を、世界中に求めている切なる思いを受け取ることができました。エルサレム教区主教も、東京教区をとおしてパレスチナの人々の願いを日本の世論に訴えたいとの希望を持っておられ、今秋に、東京を訪問して下さることを内諾して下さいました。今、始まろうとしている交流をとおして、世にある教会の、和解と正義と平和への努めについて、一層の理解と証しが前進すれば、と願っております。

 それぞれの教会が見出し、取り組んで下さっている、宣教・牧会の課題に、本年も、教役者・信徒が互いにパートナーとして歩んでゆくことができますよう、共に聖霊の助けを求めたいと思います。

[二〇〇四年三月二〇日]

パレスチナの聖公会・エルサレム教区訪問を終えて

行って自分の眼で確かめてごらん

今般東京教区の主教他、12名は2004年2月3日から10日間、エルサレム教区を訪問することができました。この計画を推進した東京教区「正義と平和協議会」は、世界の紛争の縮図ともいえるパレスチナの地にある教会の仲間から、その正義と平和を求める信仰と教会の使命について学び、そしてそれを分かち合うことを、訪問の第一の目的としたいと考えてきました。東京教区内には、マスコミで報道されている“危険”な地域に、殊更この時期に訪問団を送ることは必ずしも適当ではないという声もありました。日本政府も、パレスチナ・イスラエル地域を“危険”地域と指定し、一般旅行者には渡航を控えるよう勧告しています。毎年多くの「聖地旅行団」を送り出している日本の諸教会も、過去ニ・三年来そのような旅行団を組織していないようです。

にもかかわらず…・というより、だからこそ、私たちはこの困難な中にあるパレスチナ・イスラエル地域の主にある兄弟姉妹たちを、今訪ねたいと思いました。従って、訪問先ではなるべく多くの方々と出会い、その状況から学んだことを、日本ならびに世界の主にある兄弟姉妹に伝えたいと願ってきました。

以下は、私たちの10日間の訪問を通じて学び、理解し、そして語り伝えたいと強く感じた点です。

  1. イスラエル政府によるパレスチナ自治区を囲む「壁」の構築は、西岸及びガザ地区の人々の生活を脅かし破壊しており、国連決議により合意されたイスラエル・パレスチナ自治区の境界を無視していること。
  2. イスラエル政府による西岸及びガザ地区内のユダヤ人入植地の建設は、(そしてそれをつなぐ道路網の建設は)パレスチナ自治区での人々の生活と生存を危うくするものであり、1948年のイスラエル建国以来の様々な手段(戦争、暴力、嫌がらせ等)による、パレスチナ人所有の土地奪取が現在も進行していること。
  3. また、イスラエル国内のパレスチナ人は、イスラエル国民であるとされながらも、行政、雇用、教育、医療、社会サービス、司法、住宅/土地所有などのあらゆる面で差別を受け、国民としての権利をユダヤ人とは同等に与えられていないという現実。(イスラエル国内における「アパルトヘイト」状況)
  4. 世界の諸教会、特に原理主義的傾向の強い教会は、イスラエル国内のユダヤ教徒との連携と協力を強め、パレスチナ人クリスチャンの意志を無視し、結果としてイスラエル政府のパレスチナ人弾圧に加担していること。(「クリスチャン・シオニズム」と呼ばれている状況)
  5. 上記のような状況のなかで、パレスチナ・イスラエル双方が希望を見出せない状態になっており、特にパレスチナ人クリスチャン達についていえば、他国へ移住する決断をせざるを得なくなり、教会の存続が危くされていること。
  6. パレスチナ人クリスチャン達をはじめ多くのパレスチナの人々は、この状況の中で、イスラエル軍・イスラエル市民に暴力的に抵抗すること(たとえば、いわゆる自爆テロ)に反対しており、パレスチナ人、イスラエル国民はそれぞれに、正義と平和を求めているにちがいないと感じたこと。
  7. にもかかわらず、国際的合意を全く無視して、様々な方法でパレスチナ人の土地を奪い、家屋を破壊し、勝手に道路や地域を封鎖するというイスラエル政府のやり方は、テロに匹敵する非人間的行為であること。
  8. パレスチナ人クリスチャンの願いは、国際社会の中で、また全世界の教会の交わりの中で、彼らの状況と声が少なくともそのまま認証(recognition)され、広く世界に伝えられることにあること。
  9. パレスチナ人クリスチャンと教会は、これらの絶望的な状況のなかで、世界の理解ある諸教会の人々の援助を得つつ、パレスチナ人の教育、医療、福祉のために最大限の努力を続けていること。
  10. 以上のような理解と学びを通し、日本聖公会東京教区においてもエルサレム教区との交わりが継続的、かつ相互的なものとなるよう努力しなければならないこと。

言うまでもなく、パレスチナ・イスラエルを訪問することによって、私たちは聖書の世界、イエス・キリストの歩まれた歴史的な地に直接触れることの恵みを与えられました。ガリラヤ湖畔で、イエスの時代と変わらぬ自然にふれ、エルサレム聖ジョージ大聖堂とナザレの教会で、主にある兄弟姉妹と共に聖餐にあずかることができたことは、かけがえのない信仰の体験となりました。この体験を私たちの信仰の養いにするとともに、現実にそこで生活している人々の苦難と希望を、みなさんにお伝えしたいと思いました。

この訪問を可能にして下さったエルサレム教区の皆様、日本聖公会東京教区の皆様に、心より感謝致します。

一日も早く、この地に正義と平和がもたらされますよう に………。

 

   エルサレムにて

 

日本聖公会東京教区 主教 植田仁太郎

随行員                 
司祭 井口 諭(神田キリスト教会)
司祭 神崎 雄二(聖救主教会)
岩浅 紀久 (東京聖マリア教会)
大畑 智 (聖アンデレ教会)
梶山 順子 (聖マーガレット教会)
黒澤 圭子(聖テモテ教会)
鈴木 茂 (聖アンデレ教会)
松浦 順子 (聖マルコ教会)
宮脇 博子 (教区宣教主事)
吉松さち子(聖オルバン教会)
八幡 真也(管区渉外主事)

 

2004年2月12日

 


 

行って自分の眼で確かめてごらん

聖オルバン教会 吉松さち子

行って自分の眼で確かめてごらん

イエス様がお生まれになったベツレヘムの街

かつてあんなに巡礼者でごった返していたあの街が

ここ2,3年は観光客も途絶えたという

金を掘りつくして人々が去っていった

ゴースト・タウンのような街で

「あなた方が一月ぶりのお客様」と喜ぶ老店主

棚に置き去りになった聖母子像には埃が一杯

行って自分の耳で確かめてごらん

マリア様が受胎告知を受けたナザレの街に

かつてあんなに巡礼者で賑わっていたあの丘の街に

「今は通行許可書が必要で、それがないとイスラエル軍の

関所は通れないのよ。そんなに遠くない所に住んでいる

娘や孫に会いたいが、それもままならないの」

と涙ながらに嘆き訴える老婦人の声を

行って自分の肌で感じてごらん

イエス様もこの岸辺に立ったというガリラヤの湖畔に

2000年前と同じように風は肌を撫ぜ

湖畔の水は細波を立てている

道端にはアネモネが赤く

限りなく青い空に向かって咲き乱れているのに

   「この聖地にクリスチャンが2%しかいなくなってしまったの」という

    人々は傷つき、嘆き、そして将来を不安に思い、去ってしまった

    カナダへ、ドイツへと

    残されて行き場のない人々は

    壁の囲いの中に閉じ込められて

    檻に入れられた家畜のように

    自由に外出することも出来ない

乳と蜜の流れる”国で

    いまも無用な鮮血がながされている

    昨日もガザではイスラエル軍の攻撃を受け

    数十人のパレスチナ人が亡くなった

    世界中の和平への期待をよそに

    歴史の歯車を逆転させたのは、誰か。

    アメリカの詩人ロバート・フロストの

    “塀直し“ (Mending Wall) という詩の中で

    “隣人”は”よき塀あってのよき隣人“と繰り返す

    そして、詩人は彼に聞く、

    “塀をつくるのなら、何を締め出し、何を囲い込もうというのか”

    突き抜けるような高い空に

    グンと伸びたむきだしのコンクリートの壁が

    パレスチナ人の人として自由に生きる権利を

    奪い去ってしまった

さあ、今度はあなたたちですよ

行って自分の眼で、耳で、肌で確かめてください

そして、共に行動を起こしましょう!

パレスチナ人の人としての尊厳を守るために

〈東京教区新年礼拝説教〉
第二イザヤが私たちに呼びかけていること

主教 植田仁太郎


 今日は二〇〇四年度にあらためて、教区の諸委員会の委員をお引き受けくださった方々にお呼びかけして、ご一緒に私たちに与えられた責任を自覚し、神さまの前に、神さまの道具となって、謙虚にその務めを果たすことを誓いましょう…そういう機会を持ちたいと思いまして設けました礼拝です。昨年は、各教会の教会委員に選任された方々に呼びかけました。各教会委員さんであれ、教区の諸委員としてご奉仕くださる方であれ、その務めの本質は同じだと思います。事実上、両方の務めを重なって担ってくださっている方も沢山おられるでしょう。いわば教区というひとつの楕円形の二つの中心のように一つはそれぞれの教会という視点から、もう一つは教区全体という視点から大きな意味での教会の成長を目指す上での無くてはならない二つの視点に立っていただこうということです。

 昔、算数を勉強したときに、楕円形を描くには二つの点の間に紐を弛むように留め、その紐をピンと張るような形で二つの点のまわりに鉛筆を動かせば楕円形が描けると教わりました。教区というのは、主教を中心とした同心円ではなくて、各教会という一つの点と、教区全体というもう一つの点の周りに描かれる楕円であると私は思っています。主教はいわばそのふたつの点の間に渡された紐みたいなもので、それを用いて教区の皆さんが楕円形を描いてくださればいいと思っております。そういうわけで、教区の各教会の視点を持っていただく教会委員と教区全体という視点を持っていただく教区の諸委員と、一年ごとに集まって礼拝をすることにしたいと思っております。しかし今も申しましたようにその果たす役割は本質的には同じことです。二つの視点をしっかりさせた上でいつもはデレッとしている紐である主教をピンとさせて楕円形を描くということです。

 さてこの頃、毎日テレビ、新聞のニュースでは何やらキナ臭い自衛隊の駐屯地だとか装備だとか攻撃だとか正当防衛だとか、そういう戦争、軍隊用語が飛び交っています。それが通常の世界、日常の世界となってしまって良いのかどうか、大いに疑問です。そういうことが当たり前になって良いのかどうか私たちは注意しなければならないでしょう。そのニュースの焦点となっているイラクの地は、実は先ほど読んでいただいた旧約聖書が問題としている地と、たまたま全く同じ地域です。おおよそ二五〇〇年前も旧約聖書の主人公であるイスラエルの民がイラクという土地に注目しておりました。勿論、イラクという地名ではなくバビロンという地名で呼ばれている地域です。先ほど読んでいただいたイザヤ書51章にはこういう背景があります。

 イザヤ書は一つの書物ですが、学者によれば三つの本の合本だそうです。そして、学者たちはそれを第一イザヤ、第二イザヤ、第三イザヤと呼んでおりまして、これは真ん中の部分、第二イザヤと呼ばれる書物です。イスラエルの民が何万人という単位でバビロニアに捕虜になりました。その捕虜になった人々が、バビロニアの支配者が代わったお陰で何年か後にいよいよ帰還してよいということになりました。それは強制連行で日本に連れて来られた韓国・朝鮮人の人々が、日本が戦争に負けて日本の支配体制が代わった機会に帰ってもいいよといわれたのと良く似ています。帰ってもいいよと言われても帰りたいのは山々だけれど、連れて来られて何十年も経ってしまえば、はいそうですかとすぐ帰る決心がつくというわけでもない、帰る道筋だってちゃんと送り届けてくれるわけではないし、色々苦難が予想される。で、そこで二五〇〇年前のバビロンでも、せっかく故国に帰る可能性は開けたけれども、みんな帰ろうじゃないかというリーダーの呼びかけに従ったのは結構少数だったということです。

 終戦後の日本でも、日本に謂わば拉致された何万人という韓国・朝鮮人の人々の中でも日本に残った人と帰った人と居りました。それと同じような状況でした。そのバビロンから故国エルサレムに帰ろうと呼びかけたリーダーが第二イザヤという名で呼ばれる預言者です。その預言者が、神さまが昔から約束された土地に帰って、神さまとの正しい関係をもう一度築き直そうよ、と呼びかけたのですが、折角与えられたチャンスを前にして、ほんの少数の人しか一緒に来ないという現状を見て、歌ったのがこの箇所です。このように歴史的、社会的背景は中々複雑です。

 第二イザヤが立っている場所は現代のイラクですが、その語ってる背景は違います。それなのに何故、私たちはこの二五〇〇年前の第二イザヤの呼びかけを未だに大切にしているのでしょうか。旧約聖書は膨大な書物ですから現代に意味があることをそこから見出すのは中々大変です。明らかに現代ではどうでも良いことも沢山書かれています。歴史の古文書としての価値はあるでしょうが、現代の私たちの信仰にとってどうでも良いこと、必要ないことも沢山含まれています。そうであってもイザヤ書、特に第二イザヤは現代の私たちにも極めて大切な信仰の書とされています。バビロニアがどうのこうの、エルサレムに帰るの帰らないの、というのは現代の私たちにはどうでも良い歴史の一頁に思えます。二五〇〇年も前の一つの国際的な事件を背景にして記された文書から私たちが現代学ぶことは、その事件を背景にして語る預言者の観察と呼びかけです。多くの人々が帰国を前にして躊躇しているのを見てがっかりしながら、預言者はそれを神が与えてくださった一つのチャンスと見て取ります。何を躊躇しているんだ、私たちの神さまはアブラハムの妻に素晴らしいことをしてくれたのではないか、エジプトの奴隷状態から助けてくれたではないか、それを忘れたのか…「奮い立て奮い立て遠い昔の日のように」。つまりその神に依り頼めば不安材料は小さなものだ、これは大きなチャンスだと預言者は呼びかけます。

 第二イザヤと呼ばれる預言者ばかりではなく、旧約聖書に登場する全ての預言者は皆同じです。どんなひどい苦しみの中にあっても、どんな神の審きと思われる状況の中でも、これはチャンスだと呼びかけます。悔い改めのチャンスだし、新しい出発のチャンスだし、与えられたものを生かすチャンスだし、神をもう一度見上げるチャンスだし、新たな喜びと恵みを感じることの出来るチャンスだ、と呼びかけます。現代的に言えば、預言者は人生はいつも神様の与えてくださるチャンスに満ち満ちている、今現に与えられているものから出発しよう、という人生に前向きの人々です。

 さて教区の委員として推薦されたり、選ばれたりした皆さんは、どうして推薦されたり、選ばれたりしたのでしょうか。何か特別な能力が認められたからでしょうか。何か教区に対して功績があったからでしょうか。何か学歴がモノを言ったのでしょうか。そうではないことは皆さんご自身が良くご存知です。常置委員会が各委員長さんを選び、また委員長さんに推薦された方々を選ぶのに別に履歴書を見ているわけではない、勿論テストをするのでもない…。

 教区が皆さんにある役割を担っていただくようにお願いするのは、何よりも皆さんがあのいにしえの預言者のように人生に向かって前向きである人だと確信出来る方ですし、またブツブツと無いものネダリをするばかりの人間ではなくて、今与えられてるものから出発しよう、今は一つの神さまが与えてくださるチャンスだと考えらえる方々だからです。それは第二イザヤの表現を借りれば「正しさを求める人、主をたずね求める人」ということです。イザヤの呼びかけに多くの人は躊躇しましたから全部が全部イザヤが言うように、今は神の与えられたチャンスだとは考えられなかった。東京教区の方々全部がやはりそうではないかも知れませんが、皆さんは「正しさを求める人、主をたずね求める人」だと私は信頼申し上げております。

 その人たちに向かって、リーダーである第二イザヤは何と言っているでしょうか。この長い51章の文書の中から「○○せよ」という命令形の呼びかけの部分だけを拾い出して見ると、今が神さまの与えてくださったチャンスだ、現に与えらえた状況から出発しようと考えられる人はこうしなさい、ということがはっきりしています。 まず「私に聞け」とある。これは預言者が神さまになり代わって言っていることです。「私に聞け」は何度も出て来ます。「あなたたちが切り出されてきた元の岩、掘り出された岩穴に目を注げ(1節)」。これは自分が自分自身一つの孤立した存在になるのではなくて全体の一部だ、いわば「教会の、教区の一部だ」ということを忘れるなということでしょう。

 そして「あなたたちを産んだ母サラに目を注げ(2節)」と命じます。人類はみなアブラハムとサラから生まれたという神話に基づいた呼びかけですが自分が勝手に生きていると思ってはいけない、私たちはみな人類の営みの一部として生まれてきているのだということを憶えて欲しい、ということでしょう。そしてまた「心してわたしに聞け。…わたしに耳を向けよ(4節)」、そして「天に向かって目を上げ下に広がる地を見渡せ(6節)」と命じます。つまり文字通り、宇宙全体を見渡すつもりで広い視野でものを考えろということでしょう。そして三たび「私に聞け」です。そして「奮い立て奮い立て(9節)」と続きます。

 つまり、今が神さまの与えられているチャンスだと考えられる人は何をしなければならないか、というと、「神さまに耳を傾けよ」ということが最も大切なこと、そして私たちは全体の一部に過ぎない、人類の営みの一部だ、それを忘れるな、ということ、そして広い広い視野を持てということでしょう。

 私たち、聖職も信徒も教会の人間として何事かを託される人は、世間とは全く違った基準で選任され、またそうやって選任された私たちは、まず神さまに耳を傾けるところから始めなさい、と預言者は言います。

 教会はこの世の組織としてまた人間の共同体として、企業的側面も学校の側面もまた趣味のサークルのような面も、NGOのようなある目的のためのグループのような側面も持っておりますが、それを支える私たちに求められるのは、能力や学識や技術をはるかに超えて「正しさを求め、主をたずね求める人」であること、そして神に耳を傾けること、いつも全体の一部であることを忘れるなということ、宇宙的視野でものごとを見、また考えられる人となってゆくことだと教えられています。この意味で二五〇〇年前にイザヤが呼びかけたことは、未だに教会に連なる私たちに力強く語りかけるものを持っています。

 ここにいくつか挙げた資質を一言で言ってしまえば、信仰によって生きている人ということです。神さまに耳を傾ける、つまり神さまの前にいつも謙虚になる、という意味でご一緒に嘆願をいたします。ご一緒に祈りのうちに、教区と教会の成長に私たちが私たちの力を出し合うことが出来るようにお祈りしたいと思います。

 

〈2004年1月24日〉

第97(定期)教区会開会演説

 教区会にご参集下さいましてありがとう存じます。

 春・秋と召集されます教区会は、春は主として前年の教区の働きの報告、そして秋は、主として次の年の教区の活動計画を議する機会となっています。そして、教区の活動の中で明らかになった、機構や制度の修正が必要となった場合には、その都度教区会に諮って検討することとなっております。前年の評価と反省に立って次年度の歩みを決定するという意味では、春の教区会と秋の教区会は、八ヶ月隔たっているとはいえ、検討する事柄の精神はおのずからつながっているということでもあります。

 昨年11月の教区会で採択されました、「信徒代議員に女性が一層選出されるための方策を実施する件」という決議を各教会の皆様が真剣に受け止めて下さった結果、一年後の今日の教区会にご出席の女性の信徒代議員の方々は、信徒代議員総数の35%を越えることになりました。「…未だし」という感想をお持ちの方もおられるでしょうが、少くとも、教区で協議し、教区で合意したことに沿ってそれぞれの教会がご努力下さったことに、敬意を表したいと存じます。

 春と秋の教区会は精神においてつながっているという意味で、この春にはやや準備不足の感が否めなかった・そして、結果として撤回された・、「教区常置委員選出方法指針」の改定を、もう一度今回改めて皆さんに検討していただくことになっております。いずれにしても、これらの一連の施策は、教区会と教区常置委員会という教区の意思決定機関に、教区の皆さまの思いと声を、できるだけ適切に反映させたい、という願いからであると信じております。そういう流れのひとつの表れとして、この教区会にも、教役者議員はともかく、この二、三年のうちに、新らたに信徒代議員に選任されて出席して下さっている方が多くなったと思います。その方々を歓迎申し上げる気持ちとともに、教区会というものの位置づけについて、ひとこと申し上げたいと存じます。

 ちょうど二週間前に、毎年行っております、聖職養成委員会主催の教役者研修会が二泊三日で行われ、今回は、「教会法」を学ぶことが、そのテーマでした。半分はそこで学びましたことの請け売りですが、「教会法」といった場合、それは、教会のどこかに「六法全書」のような法律集があって、それが教会の運営の全ての法律となっている、という意味ではありません。(ローマ・カトリック教会では、それに似た包括的な法律集がありますが)聖公会の場合、それらしいのは「法憲法規」だけです。しかし、教会法というのは、そのような法律集に限られるものではありません。むしろ、聖書・祈祷書・教会会議の決議である信経、すべてが広義の教会法にあたります。それに加えて重要なのは、現にいのちを持って存在し、働いている教会・教区・管区のそれぞれのレベルで協議され、合意される事柄が、いわば教会法の延長とみなされます。その意味で、(各個教会ではなく、the Churchという意味での)教会は、特に聖公会は、いわゆる議会制民主々義という政治形態が生まれる以前から、合議制によってものごとを決定してゆくことを大切にしてきました。そして主教は、その合議制に基く合意を保証してゆく、教会の意志を代表する者として見なされることとなりました。

 従って歴史的な主教制度を引き継いだ教会は、ことに主教のこの責任を重視し、主教のもとにある(各個教会ではなく)ひとつの教区を、全体的教会の地域的単位と考えてきました。もちろん、宗教改革以降、このような制度に異を唱えて、ひとつの会衆(各個教会)こそ、全体的教会の唯一の表明であると主張する会衆派や、バプテスト教会も存在することとなりました。しかし私たちは、教区こそ、全体的教会の最少単位であるという伝統に立ってきております。(だから「オレの言うことを聞け!」と申しているのではなく)教区会というものは、単なる東京教区という教会連合体の運営について意見を交わす場であり機関である以上に、全体的な教会のいのちに関わる事柄を考えるひとつの重要な機会であることを憶えたいと思います。

 そして、その教会のいのちの働きを実際に担って下さっているのは、各教会の牧師とともに信徒の皆さんです(もちろん主教の責任も重いことも確かです)。いのちを持って生きている教会ですから、時代とともに盛衰があり、強大になったり、弱体化したりすることがあるでしょう。いのちを保ちつつ、耐え忍ぶ時があり、闘う時があり、生き延びる努力をする時があり、大いに成長する時があり、また将来を望み見て備える時があるでしょう。そのいのちが生きるよう命じられた時代がどのような時代であれ、その中で、世の中の苦しみと痛みと重荷をともに担うことの中に、そのいのちは喜びと希望を見出します。イエス・キリストの身体といわれる教会は、別の言葉で申せば、神を指し示しつつ、実際に神の国の片鱗を実現するいのちある共同体です。

 その共同体に洗礼・堅信をとおして加わって下さる方が与えられるというのは、いのちある共同体の生きている確かな証拠であるように私は思います。それぞれの教会で洗礼・堅信を受ける方が絶えず与えられ、教会で洗礼式・堅信式のサクラメントが行われるというのは、いのちの心臓の鼓動のように思います。洗礼・堅信が久しく行われない教会があるとすると、その教会のいのちがやや弱っていると言わざるを得ないでしょう。ひとが、教会の共同体に導かれその共同体の一員として生きることを決断することになるには、実に様々な要因と力と祈りが働く結果なのであって、まさに「神さまの導きによって」としか言い様がありません。

 また東京教区の多くの教会では、専任・定住牧師が与えられず大きなハンディを抱えています。ですから、時には、いのちがやや弱ってしまうという徴候が表れるのも避けられないことかもしれません。にもかかわらず、二〇〇三年は今日までに一三四人の堅信受領者が与えられました(二〇〇一年度は五八人、二〇〇二年度は一一六人)。私はこれらの数字を挙げるとき、それを何か私たちの意図した業の達成を表わすものとは考えません。むしろ、教会いのちに触れて下さった方がこれだけいらっしゃったという望外の喜びの数として受けとっています。教会のいのち、神の国の片鱗を分ち合って下さる方が与えられるというのは、そのいのちの営みに教区の聖職・信徒の皆さまがそれだけ真剣に参与して下さっていることを示しているものとして、喜びを共にしたいと思っております。

 各教会に託された日常の宣教・奉仕・交わりの業をとおしてその喜びを常に持ち続ける教区・教会として二〇〇四年度もご一緒に励みたいと思いますが、同時に、教区としてのそのいのちに連なる業を続けたいと思います。

 一年前に宣教委員会を改組して、「信仰と生活委員会」と「正義と平和協議会」を発足させ、宣教委員会の持っていた広範な活動分野を二つの焦点に絞るという方向に歩み出しました。信仰と生活委員会が打ち出しました信徒の研修と子供へのミニストリーを自覚的に進めるという重点方針を引き続き喜んで支えたいと思いますし、それとともに本教区会で正義と平和協議会がお諮りすることになる「エルサレム・中東聖公会との交流」という新しい歩みにも意を注ぎたいと考えております。

 世界の聖公会との連帯と交わりは、常に東京教区の働きに新たな認識と友情と刺激と挑戦を与え続けてきました。歴史的には、大韓聖公会、フィリピン聖公会、アメリカ聖公会メリーランド教区との交わりは、私たちに神さまの呼びかけに応じる多くの機会を与えてくれました。今、私達の心を痛めている世界の戦争と紛争そしていわゆるテロの脅威の根幹にあると思われるのは、五〇年間満足な合意を得られないまま苦しみと犠牲だけを生み出してきたイスラエルとパレスチナの問題です。

 そのパレスチナの地で、私たちと信仰を共にする聖公会の人々が苦闘している体験から、私たちが学ぶべきことは実に多いと思われます。かつて東京教区をエルサレム教区主教、ナザレの教会の司祭(現主教)が訪問されましたが、当時は残念ながら両教区の交わりにまで発展することはありませんでした。小さな教会の交わりが、ただちに平和をもたらすことはできないでしょうけれども、その交わりの種が将来どんなに大きく育つものか私たちは、大韓聖公会、フィリピン聖公会、メリーランド教区との交わりの中で実際に体験してきました。

 私たちの各教会での礼拝と交わりと奉仕が営々と続けられる中に、教会のいのちがあり、そのいのちを分ち合ってくれる方々が次々と与えられる喜びがあります。また教区全体として、お互いの教会を支え合う働きと、世界の聖公会との交わりを継続することになります。

 終りに過去二年間にわたって私が教区会の席上で所信表明致しましたことは、依然として私の宿題として残っていることは言うまでもないことを申し上げ、それに加えて本教区会と、来年に向けての私の期待するところを述べさせていただきました。

(了)

[2003年11月24日]